02.少年と

 私はてっきり、キラはチラシを私に押し付けてから真っ直ぐ自室へ戻ったものと思っていました。しかし彼はそのまま一際大きな存在感を放つ樹木のような学生寮を通り抜けて、森の木々による深緑のほんのりとした闇の前で立ち止まりました。私に掴まれた手を見、空になったポケットへ突っ込みます。
 少しだけ耳たぶの先を赤くしながらも、眉をひそめて睨み付けるようにじっと地面を見つめていました。一見、苛立っているようでした。

 初めての登校日はよく晴れた日で、無理矢理人がこじつけているだけで理屈が無いとしても晴れやかな気分です。女子の制服はピンクと赤が基調のセーラー服スタイルで、スカーフではなくリボンを蝶々結びにします。胸元の「s」の刺繍は、スズライトを示しているのでしょう。男子の制服はほぼ無地の黒い詰め襟なので、女子の方がデザイン重視なのかもしれません。私はそれに足して、ヘアバンドも身に着けていました。
 黒板があって、教卓があって、こげ茶の机と椅子が並ぶ光景はこの国でもあまり変わらないようです。また転校生に注がれる好奇心というものも、聞いたものと相違ありませんでした。
 すぐ近くの席にキラが座っていますが私の机の周囲は一瞬で人に囲まれてしまい、声をかけようにもかけられません。先日漠然とだけ感じたあの感覚は今のところありませんが、さすがの私でも全く気にかかっていないと言えば嘘になります。しかしそれ以上に、間髪入れず飛んでくる質問への対応で精一杯でした。
 授業は授業で、私一人の都合などお構いなしにそれまでのペースで進んでいきます。板書をするだけならともかく、根本的に魔法の出し方などさっぱりな私にとってその辺りの話は全く理解できなかったとしていいでしょう。放課後の補習をむしろありがたく感じました。
 毎時間ごとの、十分の休憩時間。その都度私はキラに話しかけようとして、ことごとく失敗しました。彼に声が届く前に他の人が私に話しかけてきたり、彼が別の人に勉強を聞かれていたり、いつの間にか姿が見えなかったり。昼休みになってようやく落ち着いて話ができる時間になりましたが、
「あの、キラ」
「悪いけど後でいいか」
 かわされて、どこかへ行かれてしまいます。早歩きなのは私の気のせいだったでしょうか。立てつけがよいとは言えない木の引き戸を開けて廊下へ一歩踏み出しましたが、すぐにその足を引っ込めて若干のけぞりました。
「あらキラ。ちょうどいいわ、ルミナいる?」
「そこにいるだろ」
 向かい側から来たエレナと鉢合わせしたようです。キラは私を振り返らず、彼女の横を抜けて外へ出てしまいました。
「ん? キラと何かあった?」
「ううん、今日は何も。エレナこそどしたの?」
「購買とかの案内ついでに一緒に食べようと思って来たんだけど……あ、いーちゃんたちも来るー?」
 教室の中にいた、エレナの友人らしい子が何人か声をかけられてこちらへ来ます。計五人で行くことになりました。購買、食堂共にメインは寮の方だそうですが、学校の方にも施設としてはあるそうです。
 クラスメイトとなる彼女たちと少しずつ打ち解けてきた頃に、エレナは用があるからと先にいなくなりました。憶測ですが、言わば私たちの仲介役である自分が不在となっても問題ないタイミングを見計らっていたのかもしれません。私は人見知りをしないという自負はありますが、それでも彼女はそういう人なのです。

 元々、私自身あまり気が回らない人間であり、そこまで関心もなかったため、その時エレナがどこへ何をしに行ったのかはわかりませんでした。しかし彼女を知る今となってはそこしかないよね、と思います。
「はいキラ見つけた」
「! 脅かすな……何だよ」
「いえ別に? ただちょっと気になることがあっただけ」
 彼は何かするとき友人を連れ回したり、わざわざ誰かに報告して行ったりするような人ではありません。よってエレナは完全に自力でキラの居場所を突き止めたことになります。
 キラは、学校全体で最も奥にある塔にいました。天井まで届きそうな古ぼけた棚にはぎっしりと本が詰め込まれ、折れてしまいそうな脚立が立っています。床にも何十冊か縦積みされていて、本の一冊一冊は私の見慣れたものよりずっと大きく片手では持ちきれないサイズです。椅子等は無く、図書室というよりも書庫という表現が正しいでしょう。昼にも関わらず薄暗く、普段から人気がないのか彼以外に誰もいませんでした。
「オレはお前が好きそうな話題なんか持ってないぞ」
「そうね、去年じっくり観察したけど浮いた話はなかったわね」
「観察してたのかよ……」
「だって気になるんだもの。あなた結構モテるのよ? わたしの好みじゃないけど」
「知るか。それで何の用だ」
「珍しいような気がしたのよね、キラがああやって人を遠ざけるの」
 顔をしかめるキラの眉がぴくりと動きました。
「今までずっと、来る者拒まず去る者追わずって感じだったじゃない? 現にこうやってわたしとの付き合いも切ろうとしないわけだし。でもさっきはルミナを避けてなかった? 昨日今日でそんな変化があるもの?」
 エレナは楽しそうな顔です。新しいおもちゃを見つけた猫のような目をしていました。キラは口を閉ざしていましたが、諦めたように息を吐いて棚に軽く寄りかかります。
「お前が余計な詮索し出すと誇張されることがあるから先に言っとくが、お前の期待してるようなことは何も無いから。……ただ」
「ん?」
「昨日の夕方、あいつがおかしなことを言ってた。それが気になってるだけだ。あいつ、まるでオレの心が見えてるみたいな……」
 最後の方は尻すぼみに消えていきました。次第に、表情に影が落ちていくのを彼自身が気付きます。顔を上げて、尚も興味が薄れた様子のないエレナに向き合いました。
「とにかくお前には関係ない、余計なことはするなよ」
「余計なことって何かしら?」
 小首を傾げて再び質問します。キラは口ごもり、少しの間言葉が止まりました。
「だから、それは……お前いつもお節介で色々口出してるだろ。そういうのだ」
「うふふ、まあいいわ、まだたったの二日だもの。……そういえばあの子、妖精の森で迷ったって話だったわよね。それ、あながち間違ってないことを言ったのかもよ? あの森で迷子になれるということは、妖精に出会える可能性があるということ。それはそのまま、何らかの意味であの子は特別だという可能性も示しているもの。キラはそういうの抜きでルミナが気になってるみたいだけど」
「オレの話聞いてたか!? そうじゃなくて――」
 彼の言葉を最後まで聞かずに、エレナは笑顔のまま背を向けてひらひら手を振りながら塔の螺旋階段を下りていきます。もうじき昼休みが終わるのでキラも戻らなければならないのですが、すぐ彼女の後を付いていくことはせず、その場で額に手を当てて溜息をつきました。