03.芽生えるときは
校庭の一角に花の種を植える。今日最後の授業内容はいまいちピンとこないものでした。担任教師のパルティナ先生が教室に来て、教卓で話をします。まだ若い先生で、ポニーテールにした水のような髪とクロスして留めた二本のヘアピンが特徴的です。
この時間は、クラスごとで別々の作業を割り振られているそうです。私たちの担当は秋の学園祭に用いるための花植え。それから、その世話係を決めることでした。
「学園祭まで続く役割ですので少し大変かもしれませんが、自分がやってもいいという人は誰かいないでしょうか」
いなければこちらで無作為に選びます、と続き、できれば私はやりたくありませんでした。花は嫌いではありませんが根気の必要そうな仕事は苦手ですし、私にはそれ以外にしてみたいことが沢山あったからです。
誰も手を上げる人はいなくて、先生が出席簿を手に取ったその時、はいと控えめな声が教室の左側からしました。一人の女子が、肘から下をおずおずと上へ向けています。青緑色の緩くウェーブがかった髪を、頭の上で一つの大きなお団子にまとめていました。後ろから見るうなじが綺麗です。
「はい、ありがとう。後一人はいた方がいいですね。誰か」
「あ、私、一人でも大丈夫……です」
「そうですか? 他に誰も手を上げませんでしたら、ひとまずネフィリーさんは決定しますが」
二度目の間にも他に挙手する人はおらず、彼女はそっと手を下ろすと縮こまるように背中を少し丸めました。
「では係はネフィリーさんに任せますけれど、もし彼女が一人で困っていたのならちゃんと手伝ってあげるのですよ」
先生がまとめて、私たちは快晴の広がる校庭へと出ました。
与えられた種は親指の爪くらいの大きさで硬く、少し凹凸があります。植える場所は正門の方ではなく裏庭の方で、畑でも作れそうな柔らかい土を敷いてある赤レンガの囲いの中です。長方形の物がいくつかあります。校舎の壁際にジョウロが立てかけてあるので、元々園芸等に使うための場所であると思われます。
四十人余りのクラスメイトが一気に花壇を取り囲み、出遅れた私の入り込む隙間が見当たりません。人の群れから一歩後ろで、同じように種を持ったまま立って待っているネフィリーに話しかけてみました。ちょっと唐突だったかもしれません、びっくりしたようです。
「この種、えっと、コミナライトだっけ。どんな花か知ってる?」
「えっ? あ、これは、芽が出てから花が咲くまで時間がかかるんだけど、でも秋になるとオレンジの薄い花びらが夕陽を透かして、凄く綺麗だよ。ルミナ……は、見たことない?」
「多分初めて。詳しいね、お花好きなの?」
「うん。……変?」
「全然そんなことないよ! いいと思う!」
「よかった」
改めて見ると目尻はつり気味なのですが、微笑むときゅっと細くなって静かな印象を受けます。かすかに緑をたたえた茶色の瞳もそれを強めていました。話を聞いてみると、彼女も去年の秋終わりに転入してきたばかりで学園祭には出たことがないそうです。
私が思い描いていた「魔法使い」のイメージは、杖一振りでどんな奇跡も軽々と起こしてしまうまさしく夢のような存在でした。しかし生まれたときからスズライトに住んでいるというネフィリーは、私のその話を聞いて苦笑交じりに言います。
「そんな大したことは大人でもできないよ。自在に天気を操ったりとか、どんな病気も怪我も治したりとか、それができたら伝説として歴史に残るくらい。もしくは神様だね。……時々、悪魔みたいな存在と契約してまでそういうことをしようとする人はいるけど……」
「悪魔なんて、いるんだ。ちょっと怖いね」
「あ、でもっ、奴らが外に出てこられないように、この町を守ってくれてる妖精たちが大昔に封印をしたって言われてるよ。だから、きっと大丈夫。あそこちょっと空いたから、植えちゃおう?」
促され、人と人の間にできた隙間にしゃがんでコミナライトの種を植えました。ネフィリーは花そのものの知識だけでなく育てることに関しても詳しいようで、植える際のポイントを教えてくれます。そのためにすぐ掻き消されてしまい、私も先日のように感じ取ることができませんでしたが、彼女もまたその一瞬だけ影を覗かせていたのです。しかしそれは、直後に再び現れました。
立ち上がろうとすると、ネフィリーが動きを止めます。気になって、視線の先を真っ直ぐに追うとキラがいました。彼はこちらに気付いておらず、誰と話すでもなく距離を置いたところに立って空の方を見上げています。ネフィリーは衝撃が走ったような、そんな顔をして、それから少しずつ表情を喪失していきました。同時に、私は彼女の輪郭と周りの風景の境界から真っ黒な霧が吹き出している様子が見えたような気がしました。
「キラがどうかしたの? 声かけてこよっか」
「待って、いいの、何でもないから。ちょっと知り合いに見えて驚いただけ。何でだろ、どこも似てないのに」
花壇の傍から下がります。私が見たさっきの霧は幻か見間違いだったのか、思わず目をこすってみても何もありませんでした。ネフィリー本人を含めて、周囲にも特に気にしていそうな人はいません。どちらにせよ私にはキラと話したい用事があったので、彼女と一緒に彼の近くへ行きました。
二人は互いにほぼ初対面で、今まで言葉を交わす機会すらなかったようです。二人ともどちらかといえば内向的な性格であったのがその理由でしょう。近付いてみて、ネフィリーが何か気付きます。
「そっか、目元がそっくりなんだ」
「そんなピンポイントなパーツ一つだけで人を見間違えるものか?」
「うーん……でもそれ以外に似てるところなんて、どこも見当たらないもの。強いて言えば雰囲気は近いかもしれないけど……」
聞いていた私も釈然としないものはありましたが、まあそういうことも時にはあるのだろうと思いました。それはそうと、私はキラが目を合わせてくれないことが気になります。今朝から業を煮やしていたこともあり、思い切ってその旨を尋ねてみました。彼は自覚していたのかそうでないのか、ちょっとだけ赤くなって再度顔を背け、間があってから私の方を向きます。
「……昨日……いや、何でもない。お前は気にするな」
「そう?」
だけど良かった、大丈夫そう。その言葉は口にせず飲み込みました。私にも説明はできなかったのです。やはり目に見えるキラの変化は特別何もないのですが、あの何か暗いような感じはしませんでした。ネフィリーも同じです。
この時の私の、褒められた行動があります。それは疑問の解消を急ぐあまり、自分勝手な判断で彼らの内側へ踏み込もうとしなかったこと。ネフィリーが見た人物とは何という名前でどこの誰なのか、詮索しなかったこと。
もしもこの場でそうしていたのなら、恐らくキラもネフィリーもつらい思いをしたことでしょう。今となってようやく、そう考えることができるようになりました。