創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

35.肝試し〜ひねくれレーサーの場合〜

 * * *

 ネフィリーは最後まで中に入るのをためらっていた。
「ほ、本当に、入るの? ずっと使われてないんでしょ? 真っ暗よ?」
 エレナがその背中をぐいぐいと押す。ああいう、女子特有の意味のないじゃれあいはつまらないものだ。構わずさっさと炎を手前に出して先に進むと、観念して付いてきた。やはり気は進まないようで、ぼくの数歩後ろから先には来ない。
「待ってスティンヴ、歩くの早いよ」
「あんた、幽霊とか苦手なタイプなわけ?」
 前を向いたまま、サングラスを外してシャツの襟元に引っ掛けながら問いかけた。これまで何度か話してきて、そういうキャラには見えなかったから。肝試しなど平然とこなすものだと思っていた。
「違うの。そういうのは別に平気。ここならもっと平気」
 いつもより余裕のない、早口な声が返ってくる。後半は何のことかと思ったが、周囲を見回して意味がわかった。この坑道は山の中を通っているから、地中にあると言ってもいい。つまり四方八方に草木の根が張り巡らされているため、植物の根を操るあの術を使えばなんてことはない……という話だろう。
 秘密にしてほしいと言っていた例の術のことを口に出してしまうほど、気が回らなくなっているのだろうか。中に入ってから少しは歩いたし、外までは聞こえなかったはずだが。
「お化けじゃなくて、暗闇が嫌なの。その、ちょっと、嫌な思い出が……」
 言葉はそこで途切れた。暗い場所に閉じ込められた経験でもあるのかもしれない。だとしても、過剰な怯え様だった。炎の明かりがあるから、言うほど暗くはないはずだ。足元もお互いの顔もちゃんと見えているし、土壁の凹凸もわかる。ネフィリーは、照らされたその地面にずっと視線を落とし自らの体を抱きかかえていた。
 もし、ぼくが突然立ち止まったら、気付かずそのままぶつかってくるんじゃないか。試しに、わざと怒らせてみたい気もしなくもないが……明かりを消したらどんなことをされるかわからないから、やめておいた。
「何か、意外だ」
「……?」
 自分でも気付かないうちに、思わぬことを口走っていた。
 花壇のときもそうだった。ネフィリーと二人でいるときに限って、妙な発言をしていることがある。このぼくが、自分をコントロールできなくなるのだ。
「それは、幽霊が平気なこと? それとも、暗いのが駄目なこと?」
 幸いにも、こちらの動揺は伝わっていなさそうだった。そのまま顔を見られないように、背中越しに喋る。
「暗いところの方。強い奴だと思ってたから、この程度のことが怖いんだなって」
 今度は逆に、自分の言葉がすとんと腑に落ちた。そうか、ぼくはどうやら、こいつを「強い」として一目置いていたらしいな。そうでなければ、このぼくが他人にこんなにも気を引かれるはずがない。
 隠し持っている得体の知れない魔法と、学生らしからぬ強大な魔力。大人しそうに振る舞っているようで心の内を明かさない、毅然とした態度。そういうところが、他の奴らと違って見える理由でもあるのかもしれない。
 風が吹き抜けていく。影が揺らめく。
「強い? そんなわけない。買い被りだよ」
 ネフィリーの返事に力はなかった。声の調子が低く、謙遜している風には聞こえない。常々、弱いと評されるよりは強いと言われた方が良いに決まってる、と考えているぼくにしてみれば不思議だった。振り返って見るが、まだ下を向き続け口だけで話している。
「私は弱虫だし意気地無しだし、臆病者」
 深く息を吐くと、ようやく目線を上げてぼくの方を向いた。まだ表情はぎこちない。
「……その、あんまり沢山の人には知られたくないから、内緒にしてくれない?」
「またそれか。術のことといい、ぼくはいいのか?」
 本気で懇願するような様子が可笑しくて、笑みがこぼれた。歩く速度を少し落とし、隣に並ぶ。
「しょうがないでしょう。たまたまスティンヴにばっかり見られるんだから」
「別に、どっちも隠す必要があるとは思わないけどな」
「い、嫌だよ。目立ちたくないし……恥ずかしい。暗い場所が嫌いだなんて、小さい子供みたいじゃない」
 偶然でしかないとしても、自分だけが知る彼女の秘密があるという事実には気分が良かった。「特別」はどんな形であっても悪くないということか。
「どうせ今はぼくしかいないんだし、我慢しなくていいんじゃないか」
 足を止め、左手を差し出す。
「片手ぐらいなら貸してやってもいいけど」
 何故だろうか、断られないだろうという自信があった。
「……私」
 ネフィリーが斜めに首をかしげる。瞬きと同時に火花が弾け、瞳の中に手のひらが映った。にわかに炎の橙に染まり、眩しい。
「大丈夫。ありがとう。これくらい自分一人で乗り越えなくちゃ」
 それはきっぱりとした拒否だった。遠慮、嫌悪、恥じらい、そのどれにも該当しない。顔を上げた際に前髪が揺れ、その影も揺れた。眉を下げ微笑んでみせてから、明かりが届かず闇に包まれている道の先へ目を据え、一歩ずつ歩き出した。
 広げた空っぽの左手を、そのまま下ろす。前を行く彼女の肩は張り詰めていて、強がっているとしか思えない。その弱みを知るぼくしかこの場にはいないのだから、素直に頼ればいいのに。そう思うと、少し腹が立った。