創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

45.月のお姫様(1)

 古めかしくも美しい洋館が、門から数メートル先にそびえ立っています。その壁はまるで城壁のようです。石造りの塀と、大人の頭上をも超える高さの黒い鉄柵が広大な庭園をぐるりと囲っています。両脇は妖精の森に面していて、清涼な空気が漂っているようでした。しかしそれすらも、私たちには緊張の材料でしかありません。

「本当に凄いおうちなんだね……」

 見上げ続けていると、そのうち背中から倒れてしまいそうです。隣に並んで立つキラも上を向きながら眩しそうに目を細めています。屋根の向こう側から、日差しがさんさんと降り注いでいました。

「……別に帰ってもいいぞ」

「だ、大丈夫だよ! ここまで来たんだから!」

 私は怖気づきそうになる気持ちを抑えて声を張り上げ、両手をグーに握り締めました。

 周辺に人の姿はなく、しんと静まりかえっています。木々の風に揺られる音がはっきりと耳に届く静けさです。

 すぐ手の届くところに、金色の小さな呼び鈴がかかっていました。サビ一つなく透き通ったそのボディにゆらゆらと、所在無げな私たちの姿が映り込んでいます。

 キラと顔を一度見合わせ、今まさに手を伸ばそうとしていたその時、妖精の森に続く茂みが足元でガサッと音を立て大きく動きました。気が張っていた私は、過剰なくらい驚いてしまいました。

 しかも、そこから出てきたのは女の子の頭だったのです。女の子もこちらに気付くと、ぎょっとしました。

「うわやばっ……ってなんだ、キラじゃん。何してんの、そんなとこで」

 年は私たちと同じくらいでしょうか。四つん這いの姿勢で地面に手をつき、肩や目深にかぶったキャップ帽にちらほらと木の葉がくっついています。

 つばの下からこちらを見上げる両目が、猫のようにキラリと光りました。

「………」

 しばし呆気にとられる私たち。

「そんなとこから出てきたお前に言われたくないんだが」

「し、知り合い?」

「っつーか……」

 キラが怪訝な顔で腕を組みます。

「用事あんでしょ? 早く入れば? あ、アタシとここで会ったことは絶対黙っててよね、ヨロシク」

 こちらの動揺はお構いなしと、彼女はさっさと告げると返事も待たずに再び茂みの中へと引っ込んでしまいました。追いかけて覗き込んでみても、もう姿は見えません。茂みの先には、人や動物が通るような道らしきものもありませんでした。

「ええと、今の子は……?」

「……ハァ。面倒な奴に見つかった」

 諦めた様子で、キラはベルを鳴らします。

 少しすると、門も扉も自動で開き、私たちを招き入れました。

 

「いらっしゃい、キラ。それからルミナ、初めまして。アタシはネビュラよ」

 赤絨毯の敷かれた廊下を歩き、二人には広すぎる部屋へ通され――客間なのだと思われます――格調高いソファに恐る恐る腰かけ待っていると、先程の女の子が執事を引き連れてやって来ました。

 彼女はメアリーの双子の妹、ネビュラです。黒髪が腰の下まで真っ直ぐに伸びています。半袖のブラウスに七分丈のパンツというラフな格好は、きらびやかな雰囲気のこの屋敷とは少しちぐはぐな印象を受けました。

 ニコニコと言うネビュラと、その斜め後ろで目を細めた初老の執事リアスさんに、私はペコリと頭を下げました。隣に座っているキラが、早速話を切り出そうとします。

「オレはネビュラじゃなくてメアリーに用事があるんだ。メアリーはどうした?」

「お父様と一緒にお城にお勤め。ま、今日はあと一時間もすれば帰ってくるよ」

「お前は行かなくていいのかよ」

 ネビュラは向かい側のソファにぴょんと座りました。ひらひらと気だるげに手を振ります。

「いーのいーの。お城の仕事は全部メアリーのだから。だいたいアタシ、城って嫌いなの。でさ、メアリーが帰ってくるまでこっちも暇なわけよ。だから何か話して」

 そう言うや否や、気の強そうな瞳がおもむろに私を捉えました。

「ルミナ、あんたの話が聞きたいわ」

「私の? ……ですか?」

「あーそういうのやめて。タメなんだしさ。キラから聞いてるだろうけど、アタシら『ご令嬢様』って友達の少ない寂しい女なの。ガッコのクラスメイトだと思って、気楽に仲良くしてよね」

 ネビュラは少々早口気味で喋りながら、長い足を優雅に組みます。

 屋敷の中に入るとき、私のことは「キラの学友で、お嬢様の話し相手になると思い同行させた」のだという紹介をしてもらっています。ネビュラはああ言ったけれど、もし彼女の機嫌を損ねるようなことがあれば追い出されてしまうかもしれない……そんな想像と不安が私の頭をよぎりました。

「それじゃあ……遠慮なく、普通にするね」

「ん、そうして。ルミナはどこから来たの?」

「ラグライドの、フィードントって町だよ」

「ああ、あそこの田舎町ね。じゃあすぐ傍にザルドの森があるんだ」

「う、うん。そうだけど、すごく詳しいんだね。行ったことがあるの?」

「ないけど、外国の地理も勉強させられるのよ。ラグライドはお隣だから、特に細かくね」

 ネビュラはコリをほぐすように肩を軽く回す仕草をしました。

「ラグライドからわざわざスズライトまで学びに来てる、ってことは、魔法の才能を見出されて?」

「ううん、そんな、全然! 授業の成績は良くないし、箒乗れるようになるのも時間かかったし……。私はお母さんがここの出身で、魔法に憧れてたからこっちに来させてもらったんだ」

「……ふうん?」

 濃い目のハーブの香りが漂ってきます。リアスさんが淹れたての紅茶を運んできて、ネビュラは早速それを一口飲みました。

 窓も扉も閉め切られているのですが室内はとても涼しく、紅茶からも湯気が立っていました。棚の上に水晶玉のような置物が置いてあって、それが冷気を発生させているのです。町では高級品の、魔法が施された空調設備でした。

 熱い紅茶に息を吹きかけながら、魔法の才能があるのかなどと言われたことを不思議に思っていると、キラもそうだったようです。私が浮かべていたのと同じ疑問を尋ねました。

「どうしてそんな風に思ったんだ?」

「だってこのルミナって半霊族じゃん」

「なっ!?」

「はん……? 何、それ?」

 理解できない私の横で、キラがソファから腰を浮かせます。

「まさか、そんなはずは」

「アタシは見ればわかるから、間違いないよ。その反応、キラにも思い当たる節あるんじゃないの?」

「それは……でも、ルミナは……転入してきて初めて、魔法を使えるようになったんだ。半霊族なら、おかしいだろ」

「ああ、別にそれ変なことじゃないのよ。よく誤解されてるけど。で、ルミナ。あんたには自覚がなかったみたいだけど、詳しく聞きたい?」

 どうして、ネビュラはこんな問いかけをしたのでしょう。目の前であのような会話をされて、気にならないはずがありません。

 まるで、知らなくてもいいことだと言っているような――?

「う、うん。よくわからないけど」

 深く考えず、素直に、思ったまますぐに頷いた私に、ネビュラは好奇の目を据えてどこか不敵な微笑みを浮かべました。

「ふふ、そりゃそうか。わかったわ。そういう訳だから、リアス。外はよろしく」

「かしこまりました」

 微笑みを絶やさないまま、リアスさんは深々とお辞儀をして答えます。ティーセットはそのままで、部屋の外へ出て戸を閉めました。

 これは今になって思う推測ですけれど、もしかしたらネビュラは、この時から私のことを試していたのかもしれません。

 

 リアスさんが退室し、ローテーブルを挟んで私たち三人だけが部屋に残ります。

 ちょっぴり冷めた紅茶をすすり一呼吸置いて、私はまず、半霊族という言葉の意味を尋ねました。

「まだ判明してないことも多いんだけど、ま、強い魔力を生まれつき持ってる人のことよ。ざっくりね」

「雑すぎるだろ」

 ネビュラの回答にすぐさまキラが突っ込み、補足に入ります。

「杖を使わなくても魔法が唱えられる人間を、半霊族と呼んでるんだ。その人自身の体内にある魔力が強いから、普通は必要不可欠なはずの杖がいらないって話だが。それと『族』とは言うが、別に血の繋がりは関係ないらしい」

「そそ。お偉いさんが勝手に名付けただけ。当初そういう仮説があったからとはいえ、紛らわしいっしょ。ラグライド出身なら、向こうの歴史に出てくるサバイバーっていう人たちもかなり似た特徴を持ってんだけど……知らないか」

 こちらの表情で察したらしく、ネビュラは肩をすくめました。

「でもそれなら、やっぱりおかしくない?」

 釈然としないため、質問を二つ投げかけます。

 一つは、スズライトで初めての杖を貰い勉強をするまで魔法は一切使えなかった私が、なぜ半霊族だと言えるのか。

「さっきキラにも言ったけど、それはちょっとした誤解。理屈上は杖無しで可能だとしても、実際できない人の方が多いの。魔法は杖を持って唱えるものだって頭に刷り込まれちゃってて、無意識のうちに抑制がかかるのよ。自分に備わってる魔力の量や質なんて自覚しようがないわけだしさ。ルミナの場合は、自分は魔力を持ってないっていう思い込みかしら」

 物は試しです。両手を大きく広げて宙にかざしながら、学校で習い覚えた魔法を幾つか唱えてみます。しかし、やはり何も起こりませんでした。この無意識の思い込みは、そう容易く拭えるものではないようです。

 もう一つの質問は、なぜネビュラは私を半霊族だと断定したのかということでした。

「ああ、それ? アタシは人の魔力を一目でだいたい感じ取れるから、それでわかったってだけよ」

「サラっと何言ってんだ。オレも初めて聞いたんだが」

「そんなこともできるんだ、凄いね!」

「フン、そんないいモンじゃないわよ。誰かに押し付けられるならそうしたいくらい」

「そっか……。ごめんね、簡単に言っちゃって」

「あっ、ちょっと、そんなガチで謝んないでよ。なんも気にしてないからさ。たまには得することもあるし、もう昔からずっとだから、慣れちゃったわ。ホントよ。まあ押し付けたいのもホントだけど」

 私の謝罪を受けて、ネビュラは少し焦った様子であたふたと繕います。彼女とはまだ出会ったばかりでしたけれど、この時ちょっとだけ、ネビュラを同世代の少女として身近に感じることができました。

「半霊族に血筋は関係ないって言ってたけど、それじゃあどうして私が半霊族として生まれたのかはわかる?」

 言いながら、なんだか話の規模がだんだんと大きくなってきたことに心の中で苦笑します。それでもキラは真剣に答えてくれました。

「法則は今も判明していない。ただ、有力な説として、妖精の気まぐれ……という話がある」

「妖精の? ねえ、それって妖精の森とも関係あるの?」

 その名を耳にすると、自然と私の声は弾みます。

「わからない。けど可能性はあるのかもしれない」

 以前にも聞いたことがある、妖精の森にまつわる話を少し思い出しました。初めてスズライトへやってきた日、私は確かにあの森の中で「迷子になれた」のです。

 あの日、森にいつの間にか迷い込んで、いつの間にか出られなくなっていました。しばらくして、それが通常は有り得ないことだったとキラに教えてもらいました。あそこは何故か人が深入りできないようになっている場所であり、その深部へ至ることができるのは、“妖精に愛されている者”のみと伝えられているのだと。

 もしも、“妖精の気まぐれ”と“妖精に愛されている者”に関係があるのだとしたら。私は本当に妖精と出会えるかもしれない。そんな空想に胸が躍ります。

 それをぴしゃりと止めたのはネビュラの声でした。

「妖精の森ねぇ。その呼び方も、アタシにしてみればバリバリ違和感なのよね。元々妖精ってのは自然現象に宿り森で暮らす精霊全般のことで、スズライト以外でも普通にいるんだからさ。別にあそこが特別神聖なわけじゃないっての。……って言ったら、学者連中には『不敬だ!』って怒られちゃったけど」

 スズライトはそういうとこ閉鎖的で保守的で古臭くって馬鹿みたいよね、とネビュラはちょっと意地悪そうにククッと笑いました。それから間髪入れず私に向き直り、質問への答えを引き継ぎます。

「ま、スズライト国内の妖精の力が他国より強いのは事実よ。国を挙げて守ってるくらいだし。もし、半霊族の力が本当に妖精の気まぐれによって与えられるものなのだとすれば、生まれる規則性も何も考えるだけ無駄ね。現にこれまでの事例にもまるで共通点がないみたい」

「ええと、じゃあ……理由はわかんないってこと?」

「そうね、誰にも答えようがないと思う」

「だけど私、全然実感がないよ。あっ、ネビュラを疑ってるわけじゃないんだけどね。ただ、自分の魔力が強いなんて思えないし、妖精も見れたことないから」

「みんなそんなもんよ」

 慌てて弁解を付け足しましたが、彼女は特に気分を害した様子もなくさらりと言いました。

「見れる可能性があるかもしれない、ってだけで、そもそも妖精はそんなホイホイ出てこないし。半霊族の特徴で最も大事なのは、妖精がどうこうって話じゃないの。その人それぞれが持ってる、ある特殊な魔法ってのが一番知るべきところ。……これも心当たりないわけ?」

「うーん……?」

「ってことは、スズライトに越してきてからこっちの妖精がイタズラしたのが原因で半霊族として目覚めた、ってところが仮説としては妥当かな? ザルドの森が影響してる線もあるっちゃあるんだけど」

 ネビュラは足を組み直しながら、背もたれに大きく寄りかかります。

「まあいっか、話を戻すけど。その特殊な魔法っていうのはさ、杖がいらないどころか呪文も儀式も一切不要なのよ。強いて言うなら『出ろ!』って念じるくらい?」

「え? 思うだけで?」

「何だそれ、そんなことあるのか? それはもう魔法の定義からも外れてるんじゃ……」

 横でキラも一緒に驚いて、何やら小難しい感想を言います。

「難しいとこね。だから魔法であって魔法でない、みたいな? 区別するために、アタシはその人の『能力』って呼んでる。他人の『能力』の中身まではアタシも見抜けないから、あんた自身に気付いてもらうしかないんだけど」

 ネビュラの話によると、その半霊族の「能力」は一人一種類だけ行使することが可能で、教本から習う従来の魔法とはまるで異なる効果を発揮するようです。動植物と意思疎通ができる人や自在に時空を行き来できる人の実例が残されているとのことでした。

 また、「能力」は前もって呪文などを用いないがために、自力で制御できないこともあるという一面を持ちます。この場合は「体質」と言い換えることもできるかもしれないと彼女は説明しました。

「動物や草花とお喋りできた人の例で考えるとイメージしやすいんじゃない? そういう『体質』だって。その人にとっては、話せるのが当たり前だったらしいからね」

「……いつも使っているかもしれない特殊な魔法……能力……体質……?」

 ふと自分の胸の内に引っ掛かりを感じ、目を閉じて咀嚼するように呟きます。すると瞼の裏に、いつかの光景が蘇ってきました。

 

 スズライトへ来てから度々見えるようになった、私にしか見えていないらしい黒い渦と霧。その傍で表情を曇らせる友人たちの姿。

 

 途端、それまではまるで自覚を得られずふわふわしていた会話が、くっきりとした実像を結んだのです。

 私は黙ったまま目を開き、そっと小さく深呼吸をしました。残り僅かな紅茶のカップに手を掛けていたキラが、ピタリとその動きを止めて、私の方へ顔を向けます。

「……ルミナ?」

 その声で、ネビュラもこちらの様子に気が付いたようでした。私は両手を体の前で緩く組み合わせ、目線を落とします。

「……えっとね。実は前から気になってたことがあって――」

 手の甲は少し冷えていて、外の暑さのことはすっかり忘れていました。

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