創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

64.導くは鎮魂歌

 パリアンさんはよく子供っぽい振る舞いをするのですけれど、やはり、私たちよりもずっと大人でした。時々妙に含みのあることを言って、澄んだ光をその緑の瞳に宿します。そんな彼女の目に、ミリーは惹かれていたのでしょう。
 翌日ミリーはもう一度店頭へ足を運び、フロアでパリアンさんの姿を捜しました。
 先に彼女の方がミリーに気が付いて、歩み寄ってくると小首を傾げながら一言尋ねます。
「幸せは見つかったの?」
 ミリーは、レンズの厚い伊達眼鏡で隠した目をわずかに見張りました。肩を落として首を横に振ると、パリアンさんはミリーを安心させるように朗らかに笑って言います。
「ゆっくりでいいの。いきなりはムリなのー。それより、来週の定休日一緒にお出かけしよ! なの! 都合悪くない?」
「うん、いいですよ。行きたいな。どこ行くか決まってるんですか?」
「カレのところ!」
「えっ」
 それまでは乗り気に見えたミリーが、グッと身を引いてたじろぎます。
「そ、それはお出かけって言わないんじゃないかな!?」
「嫌なの?」
「う、うぅー……だって、全然笑わないし喋らなくって怖いんですもん……」
「それはねぇ、クールでカッコいいっていうの♪」
 普段以上のハイトーンボイスでうっとりと手を合わせるパリアンさんに、さすがのミリーも呆れ顔です。頬を引きつらせ、ステージ上ではとても見せられない苦笑いをしています。
 聞き流すつもりになっていたミリーでしたが、実際にはパリアンさんの発言は決して単なる惚気ではなく、ミリーのことを考えた結果の真剣な提案でもありました。
「喋んないのはそうかもだけど、バレッドはすごーく優しくって頭いいから、アタシのよりもいい答えが聞けると思うの。顔だって怖くないの、カッコいいの!」
 パリアンさんは力説します。
 その真っ直ぐな善意を拒否することは、ミリーにはできませんでした。流されるまま予定が決まってしまったのでした。

 

 彼に会うことを考えると気が重く、学校でも少々憂鬱な気分になってしまいます。パリアンさんには言わなかったけれど、ミリーがその男性を恐れている理由は他にもありました。
 放課後、机に突っ伏していたところを、一緒に下校しようとしてやってきたネフィリーが心配そうに覗き込んできます。
「ど、どうしたの? 大丈夫……? 今日もまた用事だった?」
「ん……あ、わ、ネフィリー! だっ、大丈夫だよ。帰ろっか」
 慌ててガタッと立ち上がり、笑みを取り繕って鞄を手に取りました。
「最近なかなか一緒に帰れなくってごめんね? ちょっと……色々あって」
「うん、急用だったんでしょ? 気にしないで。それより、本当に大丈夫? 疲れてない?」
「ワタシは元気だよ! 学祭の準備が色々忙しいから、そのせいじゃないかな?」
「ならいいけど……」
 ネフィリーは不安げな表情を変えません。
 ミリーはパタパタと手を振って明るく笑うと、別の話題を振りました。
「あのさ、ネフィリーは聞いたことない? 人の記憶を盗むっていう男の人の噂」
「……!」
 それを聞いたネフィリーは息を飲み、つり目がちな顔つきを途端に険しくさせたけれど、ミリーは特に気が付いていない様子です。
「……知らない。教えて」
「そのまんまなんだけどね」
 こわばった表情で尋ねるネフィリーに、廊下を歩きながら説明します。
「商店街でお店やってる人でね、占い師とかでもないのに、やけに他人のことに詳しいの。何でも知ってるんじゃないかってくらい、変なことまで知っててさ。あといっつも無表情で怖い! で、人の記憶を盗み見てるんじゃないかって気味悪がられてるんだよ」
「盗むって、そういう……。取られるとか、忘れるとかとは違うんだね?」
「ん、そこまでは聞いたことないなぁ。でも、忘れちゃうんならこんな噂にはならないんじゃない?」
「……そっか」
 食い入るようにじっとミリーを見つめ耳を傾けていたネフィリーでしたが、急に関心を失ったようにスッと視線を外しました。
「いくらなんでもデタラメだって思ってるよ? でもほら、ルベリーのことがあったでしょ? 人の心の声を聞ける人がいるなら、もしかするとこの話も本当かもしれなくない?」
「本当のことだったら、その人もルベリーと同じってことなのかな。半霊族、だっけ」
「かもね~」
 話を始めた最初こそ強く興味を引かれていた様子でしたが、ネフィリーはもうすっかり落ち着きを取り戻し、真っ直ぐ正面を向いています。彼女が期待していた内容とは少々異なっていたのかもしれません。
 二人はいつものように、互いのクラスの出来事を話して笑いながら肩を並べて下校していきました。

 

 それは、この町の商店街では昔からそれなりに知れ渡っている話です。
 大通りから遠く外れた路地の奥、日当たりの悪い袋小路の突き当たりに位置する平屋。打ち捨てられた廃墟のようですらある、看板の無い理髪店。窓の角には蜘蛛の巣が張られていて、ガラスには小さなヒビが入り、壁の塗装はところどころ剥がれかけています。
 店主は彫像のようにぴくりとも動かない表情を長い黒髪で覆った、全身黒づくめの不気味な男性です。口数はとても少ないのに、いざ口を開いたと思えば、人の恐れや不安を全て見透かすかのような言葉をぼそりと投げかけてくるといいます。
 そういった店の外観や店主自身の印象から、その理髪店には滅多に人が寄り付くことがありません。
 この日もまた、来客はおろか通行人の一人すら近寄らない店の中、本来はお客さん用として置いているはずの紅色のソファで、彼は気だるげに足を組み黙々と雑誌を読みふけっていました。何か月も整えていなさそうな伸びっぱなしの前髪が、鼻先にまでかかっています。
 ガラス張りの扉からその姿が見えていて、ミリーは入口の前でごくんと息を飲みました。
「バレッドー! アタシなの!」
 そんな空気などお構いなしと、パリアンさんが直進して戸を開け放ちます。
 店主のバレッドさんは、微動だにしません。
 雑誌に集中していて聞こえていないのだろうか、と訝しみながら、ミリーもおずおずとパリアンさんの後ろに付いて中へ進んでいきます。店内は嫌に冷えきっていました。
 パリアンさんはミリーを置いてどんどん奥まで入り込んでいき、体をぶつけるほどの勢いで彼の隣に座ります。それでも尚、彼は一切の反応を示しません。
「今日はねっ、お友達も連れてきちゃったの」
「………」
「この子! ミリーなの! バレッドも知ってるよね? 雑誌にもいっぱい載ってたアイドルさんだもん!」
「………」
「でも今はちょっと事情があってね、相談に乗ってほしいのっ。ね? お願いなの~」
「………」
 甘えた声を出しながらパリアンさんがバレッドさんの腕に抱き着くと、彼が初めて身動きを取りました。
 誌面に目を落としたまま、無言で、ぐいと押し返しました。
「えへへー、バレッドったら照れちゃって♪」
「うるせえ。邪魔だ」
 今度は低く唸るような声で撥ねつけます。
 離れたところから様子を見聞きしていただけで、自分に言われたわけでもないのに、ミリーは全身がすくむのを感じました。
 当のパリアンさんは全くもって平然としていて、それどころか、満面の笑みを崩すことなく再度くっつきます。けれど「暑苦しい」と二度目はしっかり引き剥がされてしまい、そこまでされてようやく少しむくれました。
 ミリーは、パリアンさんが熱烈な愛を注いでいる彼の存在については、以前より彼女自身から話に聞いていました。しかし、それとは別に例の噂話も耳にしていて、どちらも同じ“バレッド“という男性のことだと知っていたのです。
 目の当たりにしてみても、二人の関係は不可解でした。
 唖然として立ちすくんでいると、唐突にバレッドさんが頭を上げてミリーの方に振り向きました。ほとんど目は隠れていて見えないのですけれど、確かに視線を感じます。ミリーはつい反射的に二、三歩後ずさりました。
 ミリーがそのまま動けずにいるとバレッドさんは溜息を吐き、雑誌を乱雑に置いてユラリと立ち上がります。
「………」
「あの、ワ、ワタシ……!」
 ゆっくりだるそうに歩いてきて、委縮するミリーの正面で立ち止まりました。
 バレッドさんは背が高く、一方のミリーはただでさえ小柄ですので、彼の体の幅にすっぽりと収まってしまいます。よれよれにくたびれた真っ黒なシャツと長ズボンに身を包んでいるため体格がわかりにくいのですが、半袖の下から伸びる両腕は筋肉がついて引き締まっていました。がっしりとした太さがあり、ミリーの首の太さと同じくらいありそうです。
 ミリーは威圧感に怯えながら、恐る恐る見上げます。すると、その距離でようやくバレッドさんの表情を確認することができました。
 ――ちょっとカッコいいかも、と、少しだけ胸のドキドキが強まります。
 無造作に伸びた髪は枝毛ばかりで、服も皺だらけなのですけれど、近くで見ると前髪の隙間から覗く目鼻立ちだけはモデルのように整っているのが伺えました。やはり無表情で恐ろしくはありましたが、それがかえって、筋の通った高い鼻と切れ長の目を引き立てているようにも感じられます。クールな美形と捉えられなくもありません。
 バレッドさんは感情の読めない真っ黒な目にミリーを映して、しばらくそのまま見定めるように静止した後、彼女の頭の向こう側にじっと目をやりました。その目線の先にミリーではない別の誰かを見ているような違和感がありました。
 風がカタカタと窓ガラスを叩いています。隙間風が入り込んできて髪を掠めました。
「相談なんか無駄だ」
「え……」
「何度も言わせんじゃねえ。一度で聞け」
「!」
「めんどくせえんだよ」
 乱暴で強い語気にミリーはびくりと体を震わせます。バレッドさんは自身の頭を荒々しくガシガシと掻きながら、ミリーに背を向けました。
 振り返った彼のすぐ目の前には、パリアンさんのしかめ面が。
 いつの間にか彼女も傍にやってきていました。
「そんなこと言わないの! もうちょっと優しく聞いたげてなの!」
「だりい」
「もー! 言ってるそばからなの! そういうのをやめてって言ってるのー! あ、そうだミリー、これ美味しいから食べて食べて! 持って帰ってなの」
 パリアンさんは冷ややかな態度をとるバレッドさんにぷりぷりと怒っていましたが、唐突にくるりと表情を一転させてミリーに声をかけます。
「え? わ、あ、はい。えっと……チョコかな?」
 手渡された紙袋は、一部が半透明のフィルムで中が見えるようになっていました。そのパッケージも中身も、一見するとコーヒー豆のようです。
「こんなにいっぱい、いいんですか?」
「サービス用だから平気! あげるの! 夜寝る前のデザートにするのがオススメなの、試してみてなの」
「………」
 そう伝えながら自分でも持っていた一粒を口にして、ポリポリと無邪気に咀嚼しました。勝手に会計カウンターの裏から取ってきたようでしたが、バレッドさんが特に咎めたりする様子はありません。ミリーは紙袋を鞄の中にしまいます。もはや自分が何をしに来たのか、何をしているのか、疑問に思い始めました。
 先程の彼の発言の意図は気になっているけれど、あのようにきつく言われた直後に聞き直すのは酷でしょう。ミリーはその場でまごついていました。
 少しの間だけ誰も喋らず、沈黙が流れます。
 ミリーの横で、窓ガラスがバレッドさんを呼ぶようにガタガタ鳴りました。顔だけ振り向かせた彼は、揺れた髪の切れ間からギロリとミリーを睨んでいます。
「もうとっくに答え決めてんだろ」
「え! そうなの?」
「……そ、それは……だけど……」
「………」
 バレッドさんの鋭い目つきがミリーを突き刺しました。
 自分の何を知っているのか。どうして知った風なことを言えるのか。そう言い返すこともできません。
 一言喋ったきりまた口を閉ざしてしまったバレッドさんと体を縮こまらせたミリーをチラッと見ると、パリアンさんは彼に代わって口を開きました。
「何も迷うことないって! 今ミリーが考えてることに間違いはないから、その通りに行動すればいいの! バレッドはそう言ってるの! さっきのは、もう相談する必要はないって意味なの!」
「そ……そうだったんですか?」
「………」
 バレッドさんがまた溜息を一つつきます。
 ミリーにはとてもそう思えないのですけれど、パリアンさんは自信満々に頷いていました。
「……本当にいいんですか……?」
「知るか」
「大丈夫なの! バレッドもそう言ってるの!」
「い、今のは絶対言ってなかったですよ!?」
 思わず口をついたそんな指摘も意に介さずに、彼女は続けます。
 凛とした真っ直ぐな眼差しを不意にミリーへ向け、
「歌いたいんだよね?」
 そう短く問いかけました。
「誰も思ってないの。ミリーが歌っちゃいけないなんて。アタシもバレッドも、ファンのみんなも、クレアちゃんも! みんなミリーを待ってるの!」
「で、でも!」
 冷気がミリーの頬をそっと撫でていきます。
「だからワタシは、失望されるのが、怖い……。その期待にワタシは応えられないかもしれない……それに……人の気持ちはその人にしかわからないってパリアンさんも言ってたじゃないですか。それじゃあ……」
 パリアンさんの励ましは優しい響きをしているけれど、未だにミリーはそれを素直に聞き入れることができません。弱々しく激しい声になって、反発します。
「うぜえな、グズが」
 黙って聞いていたバレッドさんが、吐き捨てるように。

 

「死人は何も言わねえだろうが」

 

 彼の言葉は無情で、ミリーの心臓をギュッと鷲掴みにするようでした。
 ガラスが一際大きくガタンと音を立てます。
 喉を詰まらせて眉を寄せ、鞄ごと体をきつく抱き締めたミリーを背に庇いながら、パリアンさんが二人の間に立ち塞がりました。キッと口を結んで責めるような目をバレッドさんに向け、詰め寄ります。
 しかしバレッドさんはその肩を押しのけて、尚もミリーの前に立ち続けました。そしておもむろに、ズボンのポケットから杖を取り出しました。
「めんどくせ……」
 溜息交じりにぼやいた後、ぼそぼそと呪文らしきものを唱え出します。無骨な木の杖が手のひらの上で長く伸びて、彼の背丈よりも大きくなりました。
 カツン、とダークブラウンの床に軽く振り下ろすと、微弱な風がバレッドさんの前髪をふわりと広げます。
 黒真珠のような瞳にぼんやりと白い光が灯されました。
 その光はまるで、浮かび上がる火の玉でした。
 彼の魔法により、三人の頭上に大量の雑誌が一斉に出現します。その数はおよそ五十以上もあり、全部が淡い光の輪に包まれてページを開いた状態で宙に浮いていました。
 二人は、その光景に驚嘆して見上げます。
 ミリーの目にまず飛び込んできたのは、笑顔の自分の似顔絵でした。
 それはミリー自身にも覚えがあります。記事の内容は、オーディションに受かったことを流行りの週刊誌で大きく取り上げてもらったときのものです。まさにその一ページが目の前に広げられていて、彼女の感情は大きく揺り動かされました。
 ぐるりと見渡してみると、開かれているページに書かれていたのは全てミリーに関連した記事のようでした。
 大きく掲載されて目立っているのはそのデビュー時のニュースと、人気絶頂期に数多く組まれた彼女の特集、ライブ前後のインタビューなど。活動休止を発表した頃の記事も特に大々的に、センセーショナルな見出しとセットで載せられています。
 また、芸能誌に限らず、ファッション誌やグルメ情報誌でモデルを任されたときのものや、イメージキャラクターとして広告に添えられたイラストまで見つかりました。一面ほとんど文字と表だけの、レコードの発売日一覧や売上のランキングまで中にはありました。
 描かれているミリーの表情は生き生きとしていて、店内に桃色の花々が咲き誇っているようです。
「いい加減思い出せ」
「……思い出す……?」
 バレッドさんは苛立ちの滲んだ低い声で咎めるように言います。
「ワタシ、別に何も、忘れてなんか……」
 ミリーが顔を下げると光の輪が割れて、彼女の視線を追うように、雑誌が開いたままバサバサと床に落ちてきました。何十冊余りのその音にはなかなかの迫力があり、一瞬ミリーの肩が驚きに跳ねます。
 こわごわとしゃがみ込んで足元の一冊に手を伸ばすミリーの様子を、バレッドさんは冷たい目で見下ろしました。ですがそれも数秒のことで、すぐ興味を無くしたようにフイッと真正面へ向き直ります。直前までミリーが立っていた空間を、今は誰の姿もない中空を、彼は黙って見つめ続けていました。
 床に手と膝をつき、次第に瞬きすら忘れて、ミリーは雑誌に引き込まれています。
 アルバムを捲るような気持ちでした。
 懐かしいレコードのジャケットイラストも、答えた覚えのある質問も、綴られた思いも、記憶から薄れつつあるささやかな出来事も、そのどれもがミリーの歩んだ軌跡です。
 キラキラとした表情で輝く、過去の自分の姿。目を背けていた思い出たち。
 突きつけられたそれらが、色を失っていたミリーの瞳に虹色の光を灯していきます。
 小さく開いた口から、ぽつりと感情が零れました。
「パリアンさん、答えを……言います」
「お? なになに?」
「見つけたんだ、ワタシの『幸せ』。……ううん、違うな。気付いたんだ、思い出したんだ……。あのときが、どれだけ楽しかったか……」
 バレッドさんの横に並んで立っていたパリアンさんは、その場でミリーの回答を待ちました。バレッドさんもまた、瞳だけを僅かに動かしてミリーの方に向きました。
「ワタシ、歌が好き。だから、歌っているときがワタシの一番の『幸せ』って、思います」
 床についた拳を握って、顔を上げるミリー。がたつく窓の音は止み、吹き込んでくる細い風だけが残っています。
「そう……だから、ワタシは歌えなくなってたんだね……」
 唇と目の端にぐっと力を込めた泣きそうな微笑みが、ガラスにうっすらと反射していました。

 

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