創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

76.世界はウソに溢れるが故に(2)

 ゴミ捨て場の場所は、書庫がある離れの塔の裏手です。屋外に古びた焼却炉が設置されています。

 廊下の突き当たりにある勝手口から中庭に出て、校舎の壁沿いにズカズカと大股で進んでいたシザーは、その曲がり角でルベリーと鉢合わせました。彼女が運んでいたゴミ箱の中は空で、既にゴミ捨てを終え校舎内に戻るところだったようでした。

「あ……」

「……ん」

 ルベリーはその場で立ち止まってしまい、俯きがちにおどおどと視線を泳がせます。その様子を見て、シザーは腕から力を抜きゴミ箱を地面に下ろします。

 ボソリと低く小声で聞きました。

「ああ……そうか。ずっと全部バレてた訳だ。あの肝試しより前から」

 教室にいるときよりも多少穏やかではあるけれど、ぶっきらぼうな口調はそのままです。ルベリーは不安げな表情で目を逸らします。

「……ごめんなさい」

「どうしようもないんなら仕方ねーだろ」

「それでも……ごめんなさい」

「………」

 辺りには他に誰の姿もありません。夕日を浴びた校舎が長い影を伸ばして、二人の影を包んでいます。この場はとても静かで、ルベリーには彼の内心がはっきりと聞き取れる状態でした。

「……誰にも言ってないですし、言わないです」

「助かる」

「で、でも……あの」

 唇も腕も震わせながら、ルベリーは軽いゴミ箱を持つ両手を強く握り締めます。

「……シザーくんは、それで後悔しないのかと……私、わからなくて」

「……俺は」

 シザーの大きな足が、ジャリッと地面を鳴らしました。

「ご、ごめんなさいっ、私なんかが口を出して……」

 その音に全身をこわばらせてギュッと縮こまってしまったルベリーに、シザーは少しだけ無表情を崩されて眉間に皺を寄せました。

 恐る恐ると、ルベリーは目を開いて。

「だけど……最近のシザーくんは、特に……無理をしてるから……」

「ルベリーはそうじゃねーのか。どうしてまだ、学校に来れる」

「……それは、その」

 彼の問いかけに、伏せていた目をちらりと上向きにします。

「私は、無理はしてないつもりです……。私は自分の意思で、みんなに会いたいから、学校に来てます」

 シザーは、言葉の続きをじっと待っていました。ルベリーは身を屈めると、彼のようにゴミ箱を脇によけます。

「この前までは、嘘ばかりの人たちが……怖かったです。優しさも、笑顔も、上辺だけだと知ってしまって、たまらなく怖かった……そんな関係に何の意味があるのかもわからなかった……だけど……」

 俯いたときに長い黒髪が秋風に揺らされて、優しい琥珀色の瞳が見え隠れしました。

「嘘だけじゃない……本当のこともあるって、気付きました。それを忘れたくないんです。そう気付かせてくれた友達のことを……信じたいんです。これからも学校に通って、エレナさんたちの傍にいれば、信じ続けられる気がするんです……」

 ルベリーがこのように口にしたのは、自分の気持ちがシザーと共有できるものであったからです。彼が自分によく似た思いを抱いていると知っていたからです。それはこの日に初めて知ったことではなく、ずっと前からルベリーには気が付いていたことでした。

 心を閉ざして目を瞑っていたルベリーと、心を冷たく固めながらも世界を見続けようとするシザー。全く違う道を歩んでいるようであったけれど、二人が胸の中に抱えていた問いと苦悩は似通っていたのでしょう。

 一方、シザーがどのように感じていたのかは私にはわかりません。口をつぐんだシザーの「声」がルベリーには全て聞こえていたはずですが、彼女がそれを他人に明かすことは決してありませんでした。

 顔を上げ向き直ったルベリーの、日陰の中の琥珀色に、ほのかな光が映ります。真っ直ぐにシザーの目の奥を見つめています。シザーもまた、静かな水面のようにじっとそれを見つめ返しました。

 

 例えば、胸中に渦巻く魂胆を悟られないように偽の笑顔を貼り付けて親しげに近付いたり。

 例えば、波風を立てず平穏に過ごすために本音を飲み込んで心にもない発言をしたり。

 例えば、友への嫉妬心を気取られないように仲良しを演じて隣に並んだり。

 例えば、周囲の人たちに心配をかけないために涙を隠して笑ってみせたり。

 

 これらは、人間関係を取り繕うためのものという意味で言えば同じ嘘。だからといって、全てを同一視するのは少々愚かで浅はかというものでしょう。

 それでもルベリーは願っていました。その嘘は本心を覆い隠すものであるけれど、本心の一欠片でもあってほしいと。また、自分を守るための嘘が自分を苛んでしまうことや、自分を騙すための嘘が本当の自分を作ることもあると。

 そういった想像を巡らせ、信じていました。

 それはエレナたちによって気付かされた可能性でした。

「……シザーくんが先生たちを嫌う理由は、少しわかります……。私も、同じでしたから……。私に心の声が聞こえてたと知ってから、私を避けてる先生も……何人かいます。今もほとんど話せてないままで……」

 冷たい風が、シザーの背中側からルベリーの顔に向かって吹いてきます。ズボンの外に出しているシザーのシャツの裾と、丈の長いルベリーのスカートがはためきました。

 ルベリーは一度言葉を止めて間を置いてから、静かに首を横に振ります。

「……私は、失望はしてません。前までなら多分、そうだったけど……。気を遣って、頑張ってくれている先生もいます。友達もいます、だから大丈夫です。それに……話してくれない先生も、苦しんでるんじゃないかと……思うんです」

 シザーの眉がぴくりと上がり、スッと目つきを鋭くしました。少しルベリーは怯んだ様子だったけれど、続けます。

「確かに、私は、人の心の声が聞こえる……でも、どうしてそう思うのか……その理由や、その人が過ごしてきた過去の事情までは知れません……。だから、想像してみるんです。そんな風に思う理由、嘘を吐く理由……」

「それが心の底までクソみてーな奴で、最低な理由だったら?」

 硬い声で、シザーが初めて言い返しました。

 ここまでの間にも心の中には燻りがあったのかもしれません。

「……嘘と、本当とか……偽物と、本物とか……きっと単純に分けられるものじゃないはずだから……」

「じゃあ先公は俺をどう思ってる? それも聞こえてんだろ?」

 シザーは突如堰を切ったように、間髪入れずに問いをぶつけてきます。その声色は次第に冷たさを増し、詰め寄るような物言いになっていました。

 たじろぎながらも、ルベリーはシザーと向き合うことをやめませんでした。心の声を聞き続けてきたことに責任を感じていたのかもしれません。思っているだけでは伝わらないと痛感しているからこそ、形にして伝えようと必死だったのかもしれません。

「……どんなことでも、人の気持ちをバラすのは、し、したくない……です。だから、ご、ごめんなさい」

「……そうか」

 彼が欲する答えの提示は、拒否されます。けれど、その理由の正当さと誠実さには反論できませんでした。

 指摘された通り、恐らく彼女の中に回答はあったのでしょう。ルベリーは尚も心苦しそうに謝罪を繰り返します。しかし、シザーにそれ以上尋ねる気はありませんでした。

「もういい、わかった。今のはルベリーが正しいだろ」

「ごめんなさい……。あの、その、でも……シザーくんが一番聞きたいことは、他に……」

 再び風が吹きました。風向きが先程とは逆になり、シザーが正面から冷風を浴びます。

 互いに口を開けずにいると、曲がり角の向こう側から近付いてくる話し声が聞こえてシザーの表情がサッと一気に険しくなりました。

 言葉の続きを待たずにゴミ箱を持ち上げ、彼女の横を足早に通り抜けていきます。すれ違うときにも無言で、顔も向けません。

「待っ、あの、シザーくん……!」

 ルベリーは彼を追って振り向きながら、咄嗟に声を上げて呼び止めました。その拍子に体がぶつかり、傍に置いていた空のゴミ箱がガタンと倒れました。

 数歩ほど離れたところで、シザーが背を向けたまま立ち止まります。

「わた、私は……シザーくんがしたいことをするのが一番だと、思います……!」

 背中に向かって、ルベリーは少しだけ声を張りました。彼女に発することができたのはその一言だけでしたが、シザーには何のことを言われているのかわかったようでした。

「……んなもんねーんだよ、俺には」 

 塵や埃、引き割かれた包装紙、紙くずが詰め込まれてぐちゃぐちゃになったゴミ箱を見下ろし、憎々しげに吐き捨てた呟き。鬱積し続けて溜め込み切れなくなった感情が、ほんの僅かに漏れ出ます。体の前に持ち上げたゴミ箱の重みで、冷えた指先がじりじりと痛みました。

 校舎沿いの日陰を振り返らずに歩いていくシザーの姿は、どんどん遠くなっていきます。ルベリーは立ちすくんだまま、案じるような目を向け続けていました。

 シザーの後ろから談笑しながらやってきたのは、仲の良さそうな女子生徒二人でした。共にゴミ箱を運んでいましたが、角を曲がったところで一人がパッと手を離します。ルベリーの傍に歩み寄ってきて身を屈めると、横倒しのままだったゴミ箱を立ててくれました。

「どうしたの、倒れてるよ?」

「あっ、大丈夫です、すみませ……ありがとうございます」

「ちょっ、ちょっと!? 急に離さないでー!?」

 唐突にゴミ箱を預けられたもう一人は、ぐっと体を反らして力を込め困惑しつつ笑っています。彼女たちにシザーとの会話は聞こえていなかったようです。「ごめんごめん」と戻っていく様子に、ルベリーは少し表情を和らげました。

 陽が傾き、夕闇は徐々に濃く深くなっていきます。

 冷たい風が吹き続いていました。

 

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