創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

79.太陽の君(1)

 * * *

 

 校舎の外壁に付いている時計を見上げると、まだ五時前だった。この時間なら、きっとまだみんな作業を続けてるはずだ。

 来た道を戻って内履きに履き替え、校内に戻り三階の音楽室を一直線に目指す。L字を描く階段を駆け上がっていくと、教室に近付く前からもうクラスメイトの声が聞こえた。扉を閉めていなくて、元々周りに教室も少ないからだ。

 顔だけ出して中を覗くと、やっぱり俺の思った通りだった。近くでこっち側を向いていた何人かがまず気付いて俺を呼び、次々とみんなが振り向く。遠くにいる友人もみんな揃って不思議そうな顔で、先に帰るって言ってたのにどうしたのかと言いたげだ。

 適当に相槌を打ちつつ、ジェシカの姿を捜してキョロキョロと見回す。向こうの方が先に俺に気付き、ジッと俺を凝視していた。奥まったところに仲良しグループで固まっていて、扉からは少し距離が離れている。構わずに声を張って呼んだ。

 ザワザワしていて何を話してるのかは聞こえないけど、ジェシカが傍の女子たちに何か軽口を言われているように見えた。彼女はそれを苦笑いであしらいながら、手にしていたガムテープの輪を友達に預けて小走りにやってくる。きゅっと弱く口を結んで、緊張した表情だった。俺も緊張していた。

 廊下に彼女を連れ出し、階段を半分降りて、踊り場で向かい合う。放課後にこの辺りを通る人はまずいないはずだし、もしクラスの誰かが上から覗き見に来たってすぐ気付ける場所だ。エレナみたいなのを警戒しすぎかもしれないけど。

 ここに来るまでの間に心は決めてきた。言うことも決めてきた。

 全部、正直に伝えるんだ。傷つけるかもしれなくても。傷つくかもしれなくても。

 これが正しいか間違ってるか、なんて、どうせ俺の頭じゃわからない。だからもう開き直ってやることにしたんだ。

 壁の角は薄暗く、夕方の空気はピリッとして肌寒いけど、頭上の窓から差し込む柔らかい陽の光は温かかった。

「ごめん。さっきの話だけど、俺は、行けないよ」

 最後まで言い切って、それから頭を深く下げる。顔を上げ、決して目を背けずに真っ直ぐ見続ける。

 ジェシカのことは仲いい友達だって思ってる。今年初めて同じクラスになったばかりだけど、気兼ねなく遊べる仲間だし、クラスの女子の中ではよく話す方だ。明るく前向きで、積極的なのも長所だと思うし、学園祭実行委員の仕事も一人であれこれやって凄いと思う。

 でも、俺、この学校に好きな子がいるんだ。

 多分その子にも好きな人がいるし、それ以前に高嶺の花すぎて、片思いだけどな。

 この気持ちを抱いたままじゃ、行けない。

 他の子のことを考えたままじゃ、向き合えない。

 俺はきっと、その子とジェシカを比べちまうよ。そんなの駄目だって、頭ではどんなにわかってても。

 だから一緒に後夜祭には行けない。ごめん。本当に。

 俺が話している間も、全て言い終えてからも、ジェシカはずっと黙ってた。悲しんで泣くのも、怒ってわめくのも、笑ってごまかすのも、そのどれもしなかった。黙って、少し俯き瞼を閉じた。

 長くて重い沈黙が流れる。

 目を開けたジェシカは、笑顔で意外な言葉を返した。

「いいよ、それでも。大丈夫だから」

「……え?」

 聞き返すと、頷く。

 ジェシカも俺から目を逸らさず、言葉を紡ぐ。

「告白する前に振られそうでヤだから、言わせて。私は……私が好きなのは……レルズだよ」

 絞り出したような声に、ズキリと胸の奥が痛んだ。その痛みはきっと、俺の本心の証明だった。

「実は、去年からずっと。レルズは私の顔も知らなかったよね? でも、明るくて優しいレルズのこと、気になってたんだよ。合同体育で一緒になったり集会で見かけたりしたら目で追ってたし、廊下でちょっとすれ違うだけでも幸せな気分だった。だからさ、同じクラスになれて本当に嬉しかったんだ」

 笑顔でジェシカは続ける。

「しかも、委員会の仕事のおかげで沢山喋れて……こんなの、今だけかもしれない。そう思ったから。ただ、それだけ……。だから……私に、思い出を下さい」

 そう告げて、体の前で手を合わせると、顔を下げた。前髪がぱさりと目元を隠す。その下でどんな表情をしているのか、俺にはわからない。

 返事をできないでいると、顔を上げてまた俺に笑いかける。

「……それと、本当はまだちょっと、諦めたくないな。私じゃ敵わないのかもしれないけど。でも、何もしないで引き下がるのはヤだよ」

 小さく開いた口元から覗く八重歯がキラリと陽を浴びた。

 やっぱすげーよ、ジェシカは。

 俺はスティンヴとエレナに背中を叩かれてやっと、その道に気付けたってのに。それをジェシカは自分一人でやってのけるんだな。

 さっきも、今も、すごく勇気を振り絞ったんだろう。

 覚悟が、揺らぎそうになる。

「あ、でもそのっ、私といるのをその子に見られたくなかったら、無理にとは言わないから」

「……いや、それは。じゃあ、えっと……当日はよろしく……?」

「うん。よろしく。ありがと」

 よろしく、なんて言葉で、本当にいいんだろうか。

 だけど他の言い方が見つからない。自分が情けない。

 でも、ジェシカはこんな俺を好きだと言ってくれた。

 その気持ちに応えられないとしても、感謝は示したい。

 それは、俺の自己満足だろうか。わがままだろうか。余計に傷つけるだけなんじゃないだろうか……。

「困らせてごめんね」

 やめてくれ、謝らないでくれよ。先に謝られたら、俺はますますどうしていいかわからなくなっちまう。

「俺こそ……ごめん」

 くるりジェシカが振り返り、俺に背を向けた。肩を震わせ、制服のスカートを上から強く握っている。

「あ、後から、みんなのとこ戻るから……っ。レルズは先、行って」

「……わかった。また、明日な」

「うん」

 涙声だったことには気付いていないフリをして。

 ジェシカを一人残し、俺は階段を降りていった。

 

 冷たい空気の中、誰もいない静かな廊下を歩く。

 何が正しくて何が間違ってるのか、俺は馬鹿だからわからない。

 そもそも正解自体が無いことかもしれない。

 もしそうだとしても、本当にこれで良かったのかって疑問と後悔は拭えなかった。

 足取りが重くなっていると自分でもわかる。無意識にどんどん背中が曲がって、うなだれて、目線が落ちていく。

 だから全く気が付かなかった。真正面から、制服姿の彼女が歩いてきていたことに。

「レルズ君」

 見なくてもわかる。聞き間違いようのない、鈴の鳴るような軽やかな声が、俺の名前を呼ぶ。

 胸に鉛を落とされたみたいだった。

 よりによってどうして今、君と会っちゃうんだよ。今でさえなければ、最高の偶然だってのに。

 立ち止まり、そろそろと顔を上げる。

「……ミリーちゃん」

「帰るところ?」

 頷いて答えると、ちょっと不安そうな目で首を傾げた。小さな肩の上でツインテールが揺れる。

「元気ないね」

「そ! そんなことないっすよ! 俺は元気なのが取り柄っすから!」

 見抜かれたくなくて、訳を話したくなくて、ブンッと腕を振りいつも通りにしようとしたら思ったより大声が出た。こういうのが逆にわかりやすいのかもしれないと、さっき靴箱でスティンヴに突っ込まれたことが頭をよぎる。

 だけどミリーちゃんは深く聞かずに、「そっか」と一言だけ言って目を細めた。

 ミリーちゃんこそ一人でどうしたのかと尋ねて、話題を変える。出店の準備の方にいないのが意外だったのは本当だし。女子らしいハート型のチャームが付いた鞄を持っているけど、寮の部屋に帰るにしてもミリーちゃんが向かおうとしてたのは昇降口の逆方向だ。

「さっきまで職員室に行ってたの。用があって」

 どうやら、思いのほか早くその用事が終わったためクラスの様子を見に戻ろうとしているところだったらしい。

「……あのね、レルズ君」

 何だか改まってミリーちゃんが切り出した。

 ふっと、またさっきみたいに不安げな表情を浮かべて、弱々しく呟く。

「……ごめんね」

「えっ」

「ワタシ、レルズ君に謝りたいことがあるんだ。今、少しいい?」

「え!? いやそんなっ、何かあったっすかね!?」

 突然の話に困惑した。

 謝られるような心当たり、全くない。それどころか今は、俺が謝りたい気分だ。本当に何もろくな理由になってねーんだけど、俺が一人で勝手に後ろめたくなっていた。

 ミリーちゃんが周囲の様子をキョロキョロと見る。 

「でもここだと、ちょっとな。えっと……」

「あっ、それじゃあ、俺の教室なら。下校時間の鐘が鳴るまでみんな戻ってこないと思うんで……」

「ホント?」

 つい考え無しに提案してしまったけど、もしかしてこれって結構大胆な誘いになってるんじゃないかと、途中で気付いた。でも、ミリーちゃんが特に気にした様子じゃなかったから、俺も気にしないようにして何も言わない。わかってる、いつも意識してるのは俺だけなんだ。

 あんなことがあったばっかりだから、ミリーちゃんと二人きりになるのは避けたかった。もう少し気持ちの整理を付けて、いつか俺から話をしに行くつもりでいたんだ。

 その”いつか”ってのは、少なくとも今じゃない。

 だけど、こんな顔で言われたら、断って帰れるはずがなかった。