創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

81.日暮れに想う

 学校の中へ戻ったレルズがその後どんな行動をしたのか、私は知りません。何を決意し、誰に、どのような想いを伝えたのか、私の知るところではありません。

 恐らく、関係のない私が口を挟むのも野暮というものでしょう。それは私が知らずとも良いことであり、彼らの思い出の中だけで大切に仕舞われているべきことなのです。

 ですから、この件に関しましては私から語ることは何もございません。私が言えるのは、この翌日以降にレルズが塞ぎ込むような様子は二度と無かった、ということのみであります。

 

 同じ頃、校舎にはまだ多くの生徒が残っていました。ほとんどは各クラスの中で学園祭準備の仕上げに取り掛かっていたのですけれど、ミリーのように、そうではない生徒もいました。

 ミリーは音楽室の掃除を終えてシザーやエレナと別れると、一度教室へ鞄を取りに戻ってから職員室へ向かいました。

 

「――ありがとうございました」

「先生はこれといって何もしていないよ」

 席の横で頭を下げるミリーに、ギアー先生は椅子を引いて向き直ります。眼鏡の奥の目を穏やかに細めました。

「実行委員の生徒たちみんなが尽力してくれたおかげだ。先生の力じゃないさ。それに、教員たちも楽しみにしているからね」

 ギアー先生の言葉も声色も優しく、ミリーはホッと安堵します。

 話している二人の傍に、パルティナ先生が近付いてきました。その横で立ち止まると、腰に手を当てて口をへの字に曲げます。

「特別だということはわかっていてちょうだいね? 本来の期日は何ヶ月も前のことでしょう?」

「は、はいっ、ごめんなさい!」

「去年も同じ話をしたけれど、貴女は一つのことに集中すると他を疎かにしがちなところがあるから、気を付けるように。それを許されるという甘えがあるところも。いつまでも通用はしないわ」

「はい……」

 咎められたミリーはツインテールを垂らして俯き、しゅんと小さくなりました。間でギアー先生が困り眉になり、フォローに入ります。

「パルティナ先生、担任の僕に免じて今日のところはそれくらいに。せっかくミリーさんが頑張ろうとしているときなのですから。ミリーさんもそんなに縮こまらなくて大丈夫だよ。先生たちの間でもミリーさんは人気でね、パルティナ先生だって何枚もレコードを持っているんだ。確か全て買っていましたよね?」

「えっ!」

「ギアー先生!」

 二人がほぼ同時に声を上げました。顔を見合わせます。

「ほ、本当ですか?」

 目を見開いて戸惑っていたパルティナ先生でしたが、少々間を置いた後ふうっと一息をつくと、柔らかく微笑みました。

「ええ、事実です。教え子の評判を知らないわけにはいきませんもの」

「単純にミリーさんの歌を気に入っていると言えばいいものを」

「ちょっとギアー先生は黙っててくれません?」

「おお、怖い怖い」

 にこりと微笑んだまま制するパルティナ先生に、ギアー先生は慣れた調子で軽口を返します。ミリーは反応に困り、ただ黙って苦笑いしました。

 職員室は人がまばらで、ミリー以外に訪れている生徒の姿はありません。会話をしているのも彼女たちだけです。風を通すため少しだけ開けたままにしている扉の向こう側も人通りがなく、落ち着いた時間が流れていました。

 一度咳払いを挟みつつ、パルティナ先生が再びミリーと目を合わせます。透き通ったライトブルーは秋の高い空のようでもありました。

「成績を落としたり期日を過ぎたりしてもいい理由にはならないけれど、やりたいことがあるのなら私たちはいつでも応援しています。貴女は自慢の生徒よ」

 パルティナ先生は、昨年のミリーのクラスの担任教師です。そのため当時の彼女の様子には他の先生よりも少し詳しく、昨年の冬の出来事についても理解を持っていました。

 進級後に担任はギアー先生へと変わりましたが、パルティナ先生はそれ以降も気に掛け続けてくれていたのでしょう。だからこうして、声をかけてきたのでしょう。

 話し始めは厳しい口調での注意だったけれど、ギアー先生に思わぬ暴露をされ気を緩めて以降のパルティナ先生からは温かな優しさが滲んでいるように感じられました。

 気付けば、傍で事務作業をしていた他の先生も顔を上げてミリーに笑顔を向けています。勿論、ギアー先生も。

「先生たちは皆同じ気持ちだよ。たとえミリーさん自身がどう思っていようともね。ひょっとして、こう言うのはかえって重荷になってしまうかな?」

 見上げて問いかけるギアー先生に、ミリーは髪を揺らして首を横に振りました。

 晴れやかな顔で、決意に満ちた瞳で、背筋を伸ばし高らかに告げます。

「もう平気です! ワタシを待ってくれてたみんなの期待に負けないように、頑張りますっ」

 ギアー先生は満足そうに頷きました。

 もう一度、ミリーがお辞儀をします。

「それじゃあ、失礼します!」

「はい、気を付けて帰ってね」

 職員室を後にするミリーの背中を、二人の先生は見届けました。廊下に出て完全に見えなくなるまで目を離さず、見守り続けていました。

 

 窓際の、ギアー先生の隣の自席についたパルティナ先生は、椅子の背にもたれかかって深い溜息を吐きます。

「まったく、ギアー先生は。また生徒を甘やかしていると思えば、言わなくていいことまで話して」

「そうでしょうか? 隠すことでもないでしょうに。嬉しそうだったじゃありませんか。別に甘やかしているつもりもないのですが」

「ミリーさんは今までにも多くのことを周囲の厚意に許されてきています。それに慣れさせてはいけません。大人の中で歌手としても活動する彼女には、私たち教師こそが率先して正しく教育と指導をしなければならないのですよ」

「ええ、わかっていますとも。パルティナ先生の厳しい言動は全て、生徒たちへの思いやりから生まれているとね」

 ギアー先生はパルティナ先生の苦言をさらりとかわしました。パルティナ先生はまだ不服そうな顔をしていますが、気にせず悠然と紙コップに手を伸ばして口を付けます。ぬるくなったブラックコーヒーが入っていました。

 整然としたパルティナ先生のデスクと比べると、ギアー先生のデスクには少し物が多く見えます。脇にはいくつかの書類が縦に積んであって、その一番上にあるのは学園祭のパンフレットです。ギアー先生はそれに目をやりながら肘をつきます。

「早いものです。つい先日夏休みが明けたばかりなのに、もう学園祭ですか。僕はほとんど生徒に任せきりですので、あまり実感がないですよ。当日ばかり仲間面というのも何だかしっくりきませんし。パルティナ先生の方はどうですか?」

「……クラスに問題はありませんが、あのシャツを着るのは……。毎年困るのだけれど、本当に私も着なければならないかしら……」

 パルティナ先生が眉を寄せて深刻な口ぶりで言うので、ギアー先生は苦笑しました。

「せっかく生徒が考えて用意してくれた物なんですし、全く袖を通さない方が悪いのでは?」

「そうですよね……でも、あのパリアンが作った物でしょう」

「……もしや、気にしているのはそこなんですか」

「そ、それだけではありませんが!」

 声を荒げて否定するパルティナ先生にますます呆れて肩をすくめます。残りのコーヒーを飲み干すと、パンフレットを取りました。パラパラと捲りながら全体を眺めます。

「火のない所に煙は立たない……とも言いますし、僕の耳にも届くほどに噂が広まっているのは心配でしたが、どうやらミリーさん自身はものともしていなかったようですね。安心しました」

「彼女は人に注目される環境に幼い頃から身を置いてきたのですから、噂されてこそのアイドルだという自覚をきっと持っているのです。あれから時間も経ちました。先程の様子なら大丈夫ですよ」

 そう言い切るパルティナ先生に、ギアー先生は無言で寂しげな微笑みだけを返しました。

「時間が経ったから……ですか」

 パンフレットを閉じて元の場所へ戻すと、スッと眼鏡の奥の目を細くして反芻します。何を見ているのかわからないような、微笑んでいるのに無感情にも見えるような顔です。

「……そうです。人間はそのようにできています」

 パルティナ先生はギアー先生の様子を一瞥し、短くそれだけ答えました。

 

 陽が傾き、窓から見える空が徐々に暗くなっていきます。

 生徒の下校時間が過ぎて、他の教員たちが支度を整えて席を立つ頃にも、二人は机に向かっていました。窓辺の席である二人の机の上には長い影が伸びていましたが、カーテンを閉める様子もありません。

 ついに、最後の二人になりました。

 二人が飲んでいたコーヒーはとうに空で、紙コップの底に茶色く古書のような跡が滲んでいます。

 ギアー先生がほとんど独り言同然に、睫毛を伏せて視線を落としながら口を開きました。

「僕はミリーさんを尊敬しますよ。あの年でなんて立派なことでしょうか。僕に彼女のような強さはありません。……その道は、苦しいでしょうに」

 パルティナ先生は目だけをそちらに向けます。波一つ立っていない湖のように、静かな眼差しです。

「彼女は僕とは違いますね。僕の方が生徒に教えられるばかりです。僕も、パリアンのように考えられたなら良かったのでしょうか」

「あの娘は単に軽薄で浅慮なだけよ」

 パリアンさんの名前が出た途端に口を挟んで、ぴしゃんと言い捨てました。

 生徒も教師も他に誰も残っていないためか、パルティナ先生の丁寧な口調は崩れています。こちらの方が先生の素なのでしょう。教員になる以前からの付き合いだという話でありましたから。

「……かといって、貴方も引きずりすぎだとは思うわ。でも……それを否定することは恐らく間違いなのでしょうね。私にはわからない思いだけれど。貴方は他の誰よりも、彼女を深く愛していたもの」

「恥ずかしいことを言ってくれますね」

「もう……すぐそうやって茶化す」

「照れるのですよ」

 不服そうに唇を尖らせてジトリとした表情を向けるパルティナ先生に、ギアー先生は困り眉で首を振りました。

 ふっと、風に煽られた蝋燭の火のように、マリーゴールド色の目から光が消えます。

「いっそ全て忘れてしまえたなら楽になれるものを」

 いつもゆっくりと話すギアー先生ですけれど、その言葉だけ一息に呟きました。低く、地に沈むような声でした。

 パルティナ先生は黙って顔を背け、窓の向こうの空を見上げます。そこにはただ、雄大な森のシルエットが遠く浮かんでいるだけ。かすかに、星の瞬きがありました。

「パルティナ先生はこんな噂をご存じでしたか? ああ、噂と言っても、ミリーさんのことではありませんよ。生徒たちのみならず教員間でも以前から囁かれている、このスズライト学園祭にまつわる噂話です」

 振り向くと、ギアー先生はすっかり元の調子で薄い微笑みを浮かべていました。

 パルティナ先生はすぐに返事をせず、その胸の内まで見つめるようにじっとギアー先生の瞳の奥を見ます。顔色一つ変えないギアー先生に、パルティナ先生もまた表情を変えません。

 小さく息を吐いて、先に折れたのはパルティナ先生でした。仕方がなさそうに向き直ります。

「クラス出し物でお化け屋敷を開く教室には、学校関係者の誰かが裏でとあるまじないをかけている……といった内容の噂のことね? 本物の霊が紛れ込むのを防ぐ、だったかしら。それがどうしたというの?」

「魔術科を教える先生としては、どうお考えで?」

 ギアー先生はニッコリと目を細めて尋ねました。

 開いた窓から静かに吹き込んできた冷たい風が、学園祭のパンフレットを音もなく捲り上げます。

 パルティナ先生は口元に手を当てて微笑を零しました。

「全く……何を言い出すのかと思えば、わかりきったことを。ごまかし方が下手ね」

 風になびいたライトブルーの髪が、ゆらゆらと影を揺らします。瞳は夕闇の中に青白く浮かぶようです。

「確認ですよ。よく聞く噂ですから。学校という場での楽しげな催しには子供の霊が集まりやすい、というのはね」

 眼鏡のレンズ越しに、マリーゴールドの瞳も同じく揺らめいて浮かびます。

 それは二対の人魂のように妖しく。

「そう、子供の……生徒たちと同じくらいの年齢でこの世を去ってしまった人間の子供の、未練ある魂」

 風が弱まり、止まったパンフレット。開かれているのは、ステージのプログラムを記したページです。

 人の気配のない校舎を、静寂が包み込みます。

 森の影の中へと、陽が沈んでいきました。

「また今年もやってきたのね、この時期が」

「早いものですよ」