85.実った蕾は膨らんで
「四等賞はこちらをどうぞー。それとこっちが参加賞でーす」
「意外と難しいね! もっと沢山取れると思ったんだけどなぁ」
教室後ろのロッカー上に並べた景品の中から、お菓子の詰め合わせ袋と色紙で作った勲章を受け取ってミリーははにかみます。他にお客さんが少ないので、手の空いているクラスメイトたちも皆ミリーの楽しむ様をソワソワと眺めていました。
勲章を胸元に付けたミリーが、パンフレットを広げながら私とネフィリーの方に振り返ります。
「楽しかったー! じゃあねっ、ワタシ次は三階の――」
彼女の言葉が突然止まりました。同時に、ワッと歓声が上がります。
「ん? ……わ! 何これ、いつの間に!?」
視線の先を追うと、教室の前の廊下に大勢の人がひしめき合っていました。
クラスTシャツを着た学生も私服姿の一般客も、年齢や性別を問わず顔を揃えてミリーを待ち構えています。彼らは教室の中には入らず受付の手前で群がり、遠巻きに手を振って口々に声を上げました。
「わああっ、こっち見た! ミリーちゃん!」
「ミリーちゃーん! うちのクラスもよろしくー!」
「うちにも来てね!」
「活動再開の噂って本当ですか!?」
「あ、あはは……うん、ありがとー」
注目されることには慣れているであろうミリーも、さすがに口角を引きつらせています。振り返した手がへにゃりと折れました。
「ふーっ、どーなってんだこりゃ」
「ずっといないと思ったら。どこ行ってたの?」
「どこってそりゃ、宣伝。うちのお客さん第一号はミリーちゃんだぜーって」
「あんたの仕業かー!」
「な、何だよ! 嘘は言ってねーじゃん!」
ギャラリーの間を縫って戻ってきた男子生徒が、他のクラスメイトたちからそのように詰め寄られていました。
「去年よりは大人しいけどね……」
「そ、そうなの? これで!?」
私とネフィリーは途中からの編入学のため、昨年の学園祭の様子を知りません。ミリーのぼやきに驚愕します。
避けて通ろうにも、前後両方の扉をほとんど塞がれてしまっている状態でした。教室から出るにはあの中を抜けるしかないようです。
仕方なくミリーが近付いていくと、騒ぎはますます大きくなり人々もより一層ギュウギュウ詰めになってしまいました。
「うん、うん、ありがと、ごめんね、ちょっと通してもらえないかな……」
ミリーの言葉はほとんど聞き入れてもらえていませんが、あまり強くも言えないのでしょう。収拾がつかなくなっていく一方です。私は数歩後ろで成すすべなくおろおろするばかりでした。
そんなときです。
突如、どこからか冷え冷えとした空気が一筋流れてきた気がして、かすかな寒気を覚えます。
「邪魔ね」
「……ん?」
隣で私と同じように圧倒されていたはずのネフィリーが、つかつかと前へ出ていきました。
ミリーの手を掴んで横に並び、人の山をギッと睨みつけます。
思わず私の背もビシッと伸びました。教室ではこれまで一度も見せたことがなかった顔でした。
「どいてちょうだい。私たちが先に約束してたのよ。ミリーを困らせないで」
有無を言わせない威圧感のある口調。誰も彼もが唖然として、場が固まります。ミリーすらもネフィリーの横顔を見上げてびっくりしているようです。ざわめきは、一気にシンと静まりました。
皆が言葉を失う中、ミリーが一足早く我に返ります。掴まれた手を繋ぎ直して、皆にはパッと笑顔を振りまきました。
「そういうわけで、今日のワタシは予約済みで友達優先なんです! だから、ごめんね! また後で! お昼はワタシのクラスのたこ焼き屋さんをよろしくお願いします~!」
まだ少し呆けている人々を半ば押しやるようにしながら、早足でネフィリーがミリーをぐいぐい引っ張っていきます。
「ほら、ルミナも」
振り向いたミリーに手招きされて、私も慌てて足を動かしました。ネフィリーの作った隙間をそそくさと通り抜け、駆け出していった二人を追います。
「はいはい、入らないなら散った散ったー。せっかく来たんですし~、ミリーちゃんもお墨付きの当店はいかがですか~」
受付席に座るクラスメイトも肝が据わっていて、気の抜けそうなゆるい調子で言いつつ毅然と手を叩いて人々を解散させていましたが、それを目で確認する余裕はありませんでした。
廊下の角を曲がって階段を上り切ったところで、ようやく一息つける状況になりました。
たちまちネフィリーの足取りが重くなっていきます。
こわごわと振り返った彼女は、ついさっきまでの剣幕が嘘のように青ざめていました。ミリーの顔を見ることもできずに、唇をわななかせています。
「……ご、ごめんなさい。ミリーのファンの人たちなのに、あ、あんなこと……勝手に……。我慢できなくて……」
「ううん、いいよいいよっ、助かっちゃった! それに、ネフィリーかっこよかった!」
「うん! あんな風にはっきり言えるのって凄いよ!」
「でも……」
私とミリーが称えますが、まだ怯えた表情です。
ミリーは繋いでいた手を離すと、代わりにぴょこんとネフィリーの腕へ飛びつきました。
「ネフィリーがいるから、今年は安心して色々見に行けそう! ね、もしネフィリーに何か言ってくる人がいたらワタシが守るよ。だからネフィリーも、ワタシのこと守ってほしいな?」
あどけない笑顔で見上げるミリーに、ようやくネフィリーの頬が綻びます。
「……あれだけ大勢の前で言っちゃったら、二回も三回も変わらないよね……。わかった。やってみる」
「わ、私も今度はもうちょっと頑張るよ!」
「えへへ、二人とも頼もしいねっ」
私たちは気を取り直して、先程ミリーが言いかけていた教室を目指しました。
昨年ミリーたちと同じクラスだった友人がいるというそのクラスは、小奇麗な喫茶店を経営していました。女子生徒はメイド、男子生徒は執事風の衣装で揃えていて、上品な空間です。その格好に、私はスズライト家の屋敷と執事長のリアスさんを思い出していました。さすがに彼らと比べてしまえばチープさが拭えないのですけれど、学園祭の出し物として考えるとなかなかのクオリティです。
扉の前にレースのカーテンがかかっていて、白いリィムローズの造花が様々なところに品よく飾られています。黒板に書かれたメニューは本物のカフェのように整った滑らかな字体で、イラストも上手です。
机と椅子には他のクラス同様に教室の備品を使っているはずなのですけれど、真っ白なテーブルクロスを掛けたりクッションを敷いたりしているため別物に見えました。ドリンクにはコルクのコースターがセットです。器は普通の紙コップですが、コースターの上に置いてあるだけでも雰囲気が変わります。
「わぁ、ミリーちゃん来た! じゃ、なくって、お帰りなさいませお嬢様!」
「お嬢……えっと、屋敷みたいな造りにしてるお店……ってことだね?」
「すごーいっ、本格的!」
ミリーの来店に皆の視線が集まり、にわかにざわめき立ちました。しかしこの空間が作り出す空気のおかげか、それとも緊張したネフィリーの険しい表情によるものなのか、今度は大きな混乱は生まれずに済んだようです。
誰がミリーの接客へ行くのかと、小さな執事たちが壁際でそわそわしていました。そうしているうちにちゃっかり者のメイドが先を越して執事たちは一斉に声を上げ、一部始終を見ていた人々の間に笑いが広がります。オーダー後、食事を提供されるときには代わる代わるに別の生徒がやってきましたが、誰もがミリーとの距離や慣れない言葉遣いに戸惑っていたのが見て取れました。
三人で頼んだパンケーキはちょうどいい焼き加減でふわふわだったけれど、ずっと見られている感じがして落ち着かなかったものです。
「ネフィリー、あーんってして?」
「え、う、うん、いいよ。……はい」
「ん~♪ 美味しい!」
当のミリー自身は気にせずに食事を堪能しています。ですがネフィリーは恐らく私と同じ思いだったことでしょう。いえ、私以上かもしれません。一口大のパンケーキをミリーに食べさせているとき、この鈍感な私でさえも強く注目を浴びているのを感じましたから。ただネフィリーは、幸せそうに目を細めるミリーを前にして彼女には敵わないといった様子でした。
そんな折、私はふとミリーに一切関心を見せない男子生徒が一人だけいることに気が付きます。
それ以前の話として、やる気そのものが無かったのでしょうか。彼は教室の隅で腕組みをして壁にもたれかかり、不機嫌な顔で気だるげにしています。思えば配膳時にも、彼だけはクラスメイトに混ざるどころかその場を動いてすらいませんでした。鋭い光を湛えた青い瞳と近寄りがたい空気はどこかで見覚えがある気がしたけれど、思い出せません。
帰り際、その少年のすぐ傍を通りました。
無言でサッと顔を背けていった彼に、ネフィリーが何か感づいて足を止めます。
「……?」
「………」
訝しみながら顔を横に近付けると、彼は反発する磁石のようにぐぐぐっと反対へ首を捻っていきました。
明後日の方向へ目線を送り、苦々しく口を歪めます。
「……い、行ってらっしゃ――」
「やっぱり。スティンヴでしょう」
「クソッ」
「えっ!? あ、本当だ!」
目元を緩めたネフィリーの指摘と、肩を震わせ苛立ちを露わにした彼の姿を受けて、私はようやく合点がいきました。ミリーも目を丸くして、よく気付いたねと感嘆しています。
スティンヴは毎日欠かさず身に着けているサングラスをかけていませんでした。髪もオールバックにしていて、私たちが知る姿とは大きく異なっています。ほのかに頬が赤いのは怒りか、恥ずかしさか、どちらでしょうか。
三人でスティンヴの正面を塞ぐような形になりましたが、私たちのことを少しも見ようとしません。
「……あんた、髪違うから、わからなかった」
「私よりスティンヴの方がだいぶ違うと思うけど?」
「うるさい。食べ終わったんならさっさと出てけ」
「いけないんだー、今のスティンヴは執事でワタシたちはお嬢様なんでしょ? ダメだよ、そんな態度」
「何がオジョウサマだ。馬鹿馬鹿しい」
彼は遠慮なく毒づいて舌打ちをしました。
「どうしてぼくがこんなことしなきゃならないんだ。マジで最悪、早く終われ」
「そう? かっこいいよ」
「………」
ネフィリーが小首を傾げ、屈託なく笑ってさらりと告げます。
ぶつぶつと不平不満を並べ立て続けていたスティンヴは、そっぽを向いたままぴたりと口を閉ざしました。
「執事服とかスーツ、そういう襟のピシッとした服ってかっこいいと思う」
「わかる! うちの男子制服は学ランだけど、ブレザータイプいいよねっ。サンローズの制服みたいな!」
「う、うん……」
硬直しているスティンヴに構わず、ネフィリーとミリーは男の人の服装の話で盛り上がっています。
出入口の前の廊下を、地学の先生が複数の生徒を引き連れてワイワイと通り過ぎていきました。ミリーの関心はそちらに移り、彼らを追って教室を飛び出していきます。ネフィリーもすぐにミリーを追いかけます。それでもまだ、スティンヴは固まっていました。
少しばかり心配になりつつも、私はこれまでに彼と一対一で会話をしたことがほとんどなかったので、ごちそうさまでしたと一言だけ告げてカフェを後にしました。
あの後、このクラスは待機列が形成されるほどの賑わいを見せていたそうです。何でも、優雅で微笑みの素敵な優しい執事がいるとのことで。
しかし私たちが噂の現場を見ることはなく、それを知ったのは学園祭が幕を下ろした後だったのでした。