創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

92.跳ね回る偶像(2)

 教室の前の立て看板には、ミリーがフロアを担当する時間帯が大々的に宣伝されていました。パンフレットの案内や当日の客引きにも彼女の名は存分に使われており、このクラスの最大の売りであったと言っても過言ではないでしょう。当初ミリーは受付で来場者との握手会を兼ねるという案だったのですが、それはクラス出し物として認められなかったとのことでした。

 教室の中にはミリーを一目見ようとする人々が大勢集まり、午前中はほぼ空いていたテーブルも満席です。生徒側も当番の人数を他の時間帯より多めにしていて、いかに気合が入っているかが伺えます。

 ミリーがフロアの中心に出て声高に挨拶をすると、教室内はこれからライブが始まるかのように湧き上がりました。当番の他の生徒たちは、ミリーの動きをサポートするように店を回しています。

 ミリーがやってくる前から待機していた人たちはとっくに食事を終えていたため、彼女と少し言葉を交わした後は他のフロアスタッフの誘導で席を立たされていきました。

「はーい、順番でーす! 次に来るお客さんのことも考えてくださいね! 決まりを守らない悪い人には罰として、出来立てアツアツのたこ焼きを口に突っ込んじゃうんだから!」

「ちなみに、お仕置き係はミリーちゃんじゃないのでよろしくお願いしますー」

 ニコニコと笑顔で注意事項を告げるミリーたちを見て、ネフィリーが呟きます。

「……ああいうのって、いいの? 本当にやらないよね?」

「ど、どうだろ……? エレナがチェックしてるはずだから、実行委員会のオッケー出てるなら大丈夫なんじゃないかな?」

「むしろエレナの案なんじゃないの、今の話」

「そ、それは、うーん……ありえるかも……」

 私とネフィリーは列から少し離れた壁際に立ち、教室の盛り上がりを一歩引いて眺めていました。ミリーが中へ入る前に私たちの分を頼んでおいてくれたので、その到着を待っていたのです。

「二人とも、お昼ご飯まだだよね? うちで買ってっちゃわない? ワタシがまとめて注文してくるから。……あ、お代はいいよ! 奢っちゃう! ボディーガードしてくれてたお礼だと思って、ね!」

 ミリーはそう言って私たちを押し切り、教室へ入る際に受付席の男子へ注文をしていきました。

「これ、代金ね。三セットよろしく!」

「三つ? 自分の?」

「ううん、それは予約。取り置きとも言うかな?」

「……?」

 私の疑問に、ミリーは笑ってそれだけ答えて小走りで教室の中へ行ってしまいました。

 廊下の端に寄って、その出来上がりを待つ間のことです。私は不審な視線を感じていました。

 冷ややかな眼差しに、時折ひそひそ話をしているのも見受けられます。列に横入りする形になったせいかと初めは思いましたが、恐らくそれが原因ではありません。

 視線を向けられているのは、私の隣に立つネフィリーだけのようでした。彼女自身も察している様子で、いつしか口元から笑みが消えています。

「……多分、今朝もミリーを見に来て、教室を囲んでた人たちだよ。私に文句あるんでしょ」

 ネフィリーは彼らと目を合わせず、真正面を向いて顔を上げたまま小声で告げます。

「放っておいて。私は気にしてないから」

「……でも」

 彼女自身がそう言おうとも、気にせずにはいられない理由が私にはありました。

 厳密に言うと、私は彼らの視線にすぐ気付いたのではありません。それよりも早く、私の目には、皆の周囲から途切れ途切れに黒い霧が吹き出ているのが見えていたのです。

 列に並ぶ人々のうち三人に一人程度が、胸元に小さな渦を浮かべていました。同様に、列の外の人にも若干名見られます。一度にこれだけの数を観測したのは初めてのことです。

 一つ一つは目玉ほどの小ささですが、息苦しい気配の感じ方はこれまでに見たものと変わりありません。瞬きをする度に霧も渦も現れたり見えなくなったりして、チカチカと明滅しています。それはまるで共鳴でもしているかのように、私の不安を煽りました。

 ネフィリーの言う通りにこのまま無視していて本当に良いのか、しかしどうすればこの霧を払えるのか。どんな行動をするべきなのか。私は何もわからず、ただ立ちすくむばかりです。

 そのときでした。

 身動きできずにいる私と、硬い表情で無視を決め込むネフィリーの間の重い空気を破り、たこ焼きを両手で一セットずつ持ったミリーが向かってきます。

「お待たせ! お持ち帰りの二名様~!」

 その声がした方向へ、全員の視線が集まりました。

 船のような三日月型の器に六個のたこ焼きが詰まって、湯気が立っています。分厚い紙の器も少し熱そうです。

 ミリーはまずネフィリーへ一つ目の器を手渡しました。そうして空いた右手で楊枝を持ち、もう一つの器のたこ焼きを一個差すと私の口元に笑顔で差し出します。

「はい! ルミナ、あーん!」

「えっ? わ、私は何もルール違反してないよ!?」

「うん? ……あははっ、違う違う」

 私はバタバタと手を振って、たこ焼きから体を離しました。ミリーは一瞬きょとんとした表情を浮かべ、笑い声を上げると「冗談、冗談」と付け足します。

 ミリーはその後、すぐには教室へ戻りませんでした。クルッとTシャツの裾を翻して振り返ると、列で順番を待つ人々に声をかけ始めます。こちらに背を向けたミリーの顔は見えませんが、あえて想像することもないでしょう。

「こんにちは! 来てくれてありがとうございます~!」

 かける言葉も表情も、何気ないものです。

 それでもミリーが一度笑いかけただけで、人々はまるで魅了の魔法にでもかけられたように彼女に釘付けとなりその姿を目で追っていきました。

 偶然だったのか、彼女が近付いて声をかけていたのはもれなく、心に黒い渦を表出させていた人たちです。

 彼女と言葉を交わした人の胸中の渦が、パチパチと弾けるように消えていきます。遠巻きに見ているだけの人の中にあっても、狙い澄ましたかのように的確に歩み寄ってその渦と霧を消して回りました。

 直接尋ねて確かめたことはありませんが、ミリーに私と同じものは見えていないはずです。けれど確かに、このとき私の視界を晴らしたのは彼女でした。

 皆から熱い注目を一身に注がれながら、ミリーは教室へ戻ります。この出来事以降、彼らがネフィリーへ刺のある目を向けることはもうありませんでした。

 

 廊下の端に二人立ったままたこ焼きを食べていると、ライトブルーの髪の束をなびかせたパルティナ先生が正面を横切っていきました。

 チラッと見えた横顔は、唇を噛み締めて怒りに震えています。

 先生は待機列を無視して扉の縁にガッと手をかけ、教室内へ顔を突っ込みました。近くの来客たちがざわつきます。

「あなた……!」

 中で接客中のミリーの方を睨みつけると、端正な顔を歪めて一言絞り出しました。

 口を開けて笑っていたミリーが振り返って、先生と目が合います。

 その状態のまま、凍り付いたかのようにピタリと数秒ほど固まりました。

 次第にゆっくり、すぅっと目を細めていき、華やいだ微笑みを広げます。

「いらっしゃいませ! パルティナ先生! 似合ってますよ、クラT!」

「ぐ……!?」

 スッと近付いてきて先生の顔の下へ潜り込んだミリーは、腰の後ろで手を組むと可愛らしく見上げました。パルティナ先生はたじろぎ、扉から手を離して顔を引きつらせます。

「あ、だけど、いくら先生でも順番は守らなきゃダメですからね~」

「いいえ、私は結構よ。ミ、ミリーさん、あまり騒がしくし過ぎないようにね?」

「はーいっ」

 先生は声を上擦らせ、挙動不審のままそそくさと立ち去りました。

 ミリーも即座に踵を返し、パルティナ先生の来訪は無かったかのように業務を再開させます。

 隣でネフィリーがたこ焼きを咀嚼しながら、階段前の角を曲がって消えていく先生の後ろ姿に目をやって不思議そうにしていました。

 

「ミリーちゃん、いますかー!」

 またしても入口の扉付近から、ミリーを呼ぶ声が上がります。その甲高い少女の声は賑わう教室の中にもよく通りました。

 声の主を見たミリーは、パッと目を輝かせます。

「シズクちゃんだね!?」

 受付の横で仁王立ちして声を張り上げたのは、チェック柄のアイマスクを両目の上に被せたシズクでした。両親と思われる大人の男女も後ろにいます。来客たちはシズクの顔に好奇と物珍しさの入り混じる眼差しを向けていました。

 ミリーはシズクの下へすぐには行かず、パチンと手を叩いて皆の注意を引くと教室を見渡します。

「あの子は、ワタシが呼んだの。お友達なんだ。ごめんねみんな、ちょっとだけ待ってて?」

 そう断りを入れて、パーテーションとカウンターに見立てた教卓で区切られたキッチン側へと一度引っ込み、たこ焼きを持って戻ってきました。それはどうやら私たちの分と同時に注文した三つ目のようで、湯気は立っていません。

 受付前まで駆け寄ると、両親を見上げて無言で会釈しました。左右に首を振って落ち着きのない様子のシズクの体の前で、身を屈めます。

「待ってたよ、シズクちゃん! 今席が一つ空いたところだから、案内するね」

「うん!」

 ミリーの声で顔を止めたシズクは、手を引かれてゆっくりと窓際のテーブルへと足を進めていきました。歩きながら、アイマスクで目元が隠れていても表情がわかるほどに大きく口を開け、弾んだ声で喋ります。

「あのね、シズクね、学園祭って初めて来たの! いっぱいいい匂いがして、おなかペッコペコ!」

「色々なお店が出てるもんね。もう何か食べた?」

「まだ! 一番にここ来たから!」

「そっか、ありがと~! はいっ、着いたよ。こちらにどうぞ!」

 テーブルの上に器を置き、その正面の椅子を引いてシズクを促します。シズクの隣には母親が、向かい側には父親が座りました。

「熱々だとヤケドしちゃうかも、って思って、先に作ってもらっておいたんだ。余計なお世話だったかな? まだ中は熱いかもしれないから、気を付けて食べてね」

「だいじょーぶ! ありがとうミリーちゃん!」

「ふふ」

 地に届かない足をぶらつかせ、シズクは顔を上げます。

 ミリーは左手を頬に軽く添えて、優しげに微笑みました。幼く小さな女の子を相手にしているからでしょうか、ミリーのその所作や表情はいつもよりも大人びているように感じました。

 シズクが母親に手伝ってもらいながらたこ焼きを頬張り始めます。私とネフィリーの方は食べ終わった頃でした。パンフレットを広げてステージ発表のプログラムを差し示しながら、ネフィリーが言います。

「ルミナは先に講堂行っててもいいよ。男子のライブ見るんでしょ?」

 ネフィリーはどうするのかと聞くと、ミリーの当番が終わるまで待つつもりだそうです。私たちは一旦別れて、講堂で合流することにしました。

 ミリーは終わりまでずっと忙しくなりそうです。教室の中でまた来客の入れ替わりがあり、名前を呼ばれています。

「そろそろ他のお客さんのところにも行かなきゃ。ごめんね、いいかな?」

「うん、いいよー。シズクはオトナなので!」

「ありがと、シズクちゃん」

 去り際に、ミリーは身を屈めてシズクに顔を近付けて何か耳打ちをしました。シズクは口を綻ばせてコクコクと頷きます。声量を落とした会話は聞こえてこないけれど、二人とも楽しそうな様子でした。

「楽しんでいってね!」

 ミリーが別の客の下へと移動し、その短い間ですらも、ミリーには声がかかります。私とネフィリーは改めて彼女の人気を実感したのでした。