創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

109.絡みゆく糸(2)

 取り残された私は、しばらくそのまま立ち尽くしていました。

 何と言えばよかったのだろうと後悔に苛まれながら、校舎一階へ降りる階段の前をのろのろと通り過ぎます。情けないことに、これだけ話を聞いても、彼の心を苦しめるものが目に見えていても、彼のために私は何をすればいいのか一向にわからないのです。

 人気がなく寂しい雰囲気の廊下へ沈み込んでしまいそうになる私の思考を一時中断させたのは、通りすがった教室から一筋流れてきた冷たい風でした。

 外に屋台を出していたクラスのため、掃除をしている生徒はいません。暗い教室の中はすっきり整然としています。机の上に椅子をひっくり返して重ねられた状態のものが、前方にずらりと寄せてありました。

 誰もいないものと思いましたが、向かいの窓が開いています。覗き込んでみると、廊下側の端の机にシザーが腰かけていました。

 シザーは天井を向いた椅子の足に腕を絡め、首を横に回して薄暗い窓の外に視線を向けていました。空になったゼリーの器を机の隅に置いたままです。私の気配を察して、静かな表情で振り返りました。

「ルミナか……」

「どうしたの? こんなところに一人で」

「待て、学校では俺のことは――……や、今日は何かもういいや……」

「……? 何の話?」

「あーっと……何つーか、色々あってな。何でもねーよ」

 ガシガシと頭を掻き、少々疲労の滲んだ笑みを浮かべます。

 当時の私は、彼が学校生活の中では不良のような言動を意識していることを理解していませんでした。

「後ろ、誰もいねえな?」

「え、うん。さっきまではキラと一緒だったけど。……シザーって、去年キラと同じクラスだったんだよね?」

「ん。それがどうした? キラがどうかしたのか?」

「ええと……」

 キラとのやり取りをそのまま伝えることはためらわれ、言葉を濁します。まごついた私を見て、シザーは何かを察したのかもしれません。

「聞き方変えるわ。あいつが何か話したのか?」

「その、キラのお兄さんのことで、ちょっと」

「そうか。……ああ、あんときってまだルミナいねえのか」

「シザーは何か知ってる?」

「まあ座れよ。後夜祭まで少し時間あるだろ? あ、ドア閉めてくれるか」

 言いながら、横の机の上をトントンと叩きます。同い年の男の子でありますが、そうした振る舞いには年上と言われても違和感のない風格がありました。

 思えば、私がシザーと二人きりで話すのはこのときが初めてでした。出店の喫茶店でスティンヴと一対一になったときと違ってあまり緊張を感じなかったのは、シザーの気さくな言動によるところが大きかったのでしょうか。

 私は言われた通り素直に扉を閉めて、シザーの隣の机へ浅く腰を下ろしました。

「キラの兄貴のことだったな? どこまで聞いたんだ?」

「えっと、お兄さんが行方不明だってことと……ホウキレースの大会にいたゼクスさんって人がそっくりなんだって」

「え、ゼクス? ゼクスってあの眼鏡の、スティンヴの宿敵の?」

 シザーが意外そうな声を上げてこちらを向きます。

「だったらスティンヴかレルズがとっくに気付いてるはずだぜ、さすがに」

「シザーたちはキラのお兄さんと知り合いなの?」

「いや、別にそういうわけじゃねえが、全校集会で見かけたりしてっから顔はわかるだろ。俺も一応、何となくは覚えてるぜ。言われてみりゃ確かに、髪とか背はゼクスと似てるような気もすっけど……別人じゃねえの? そんな話、誰からも聞いたことねえぞ?」

「うーん……、キラ以外誰もずっと気付かないのはおかしいかも……だけど……」

 私には何が正解なのかわからず、他の答えが浮かびませんでした。

 引っ越してきたばかりの頃に、私も一度大会を見に行っています。そこでは彼らの他にエレナとネフィリーも一緒でした。エレナもシザーたちと同様に、ゼクスさんについては何も言っていませんでした。

 一方のネフィリーは私と同じ編入生で、彼女がやってきたのは昨年の失踪事件よりも後です。そのため、学校でキラのお兄さんを見る機会はないと考えられます。キラに兄弟がいることすら知らない可能性もあり得るでしょう。それに、あの日ネフィリーが彼の顔を見て口にした名前は紛れなく「ゼクス」で、「ソラ」とは呼んでいませんでした。彼にお兄さんの姿を重ねて見ているのはキラ一人のようです。

「けど、実の弟のキラがそう言うんなら確かめる価値はあるかもな」

 それらの事実を踏まえても、シザーはすっぱりと言いました。

「わかんないんなら本人に聞けばいいじゃんか。来月のどっかで大会があるはずだが何日だったか覚えてねーから、スティンヴに聞くついでにゼクスが出るか確認取っとく。で、キラに声かけてみるぜ」

「それなら、その日私も一緒に行っていい?」

「おう。じゃ、日程わかったら教えるわ」

 シザーはさらさらと提案し、私の申し出も快く承諾しました。自然で頼もしい笑顔に私の心は軽くなります。キラが去り際に見せた暗い顔とはまるで対照的でした。

 キラは、何故シザーにも誰にも教えていないのでしょう。あの会場でゼクスさんを初めて見た日から既に何ヶ月も経っており、お兄さんが行方不明になってからは半年以上経過しています。

 私では頼りにならないかもしれませんけれど、もし早くからシザーたちにも事情を伝えて協力を仰いでいたならば。そうしていれば違う今日を迎えていた可能性もあったのではないか、と思わずにはいられなかったのです。

「キラはゼクスさんのこと、どうしてすぐに相談しなかったのかな……」

「兄貴のことは、キラは何も言ってこねえよ」

 私が零した問いに、シザーは神妙な顔で答えました。片足の靴を脱いで机の上に乗せます。

「去年、あの頃のキラは学校には来てたが、見るからに元気なくて凹んでた。まあ元々騒ぐタイプじゃねえが。けど、レルズたちも声かけづらそうにしてたよ。そんな気遣った空気ってさ、気遣われてる側にはわかっちまうもんだろ? そういうの気にしそうな奴だし、また去年みたいにギクシャクすんのが嫌なんじゃねえかな、あいつは」

「でも、一人で抱えてる方が心配で私は気になるけどなあ」

「そこはアレだ、男のプライドってやつだな」

 今度は冗談のような口ぶりで、ニヤリと笑みを浮かべます。そういうものなのだろうかと、私には内心あまりピンときません。

 もしスズライト家の屋敷でメアリーに明かされることがなかったなら、キラは私にも何も伝えなかったのかもしれない……そんな想像が、ふと頭をよぎりました。そう思ったとき、私は冷たい木枯らしが胸を吹き抜けていくような寂しい感じがしました。

「よくわかんないけど……それじゃあ私、シザーに色々話しちゃったけど内緒にしてた方がよかったってこと?」

「普通にしてりゃ大丈夫じゃね? でもそうだな、今の話キラにはしばらく黙っとくか」

「……オレが、何だって?」

「わ!」

「お」

 唐突にガラリと音を立てて扉が開き、キラが現れて会話に加わりました。出入口の横で足を止めて呆れたような顔をしています。

「いつまでも戻ってこないから捜しに来てみれば……」

「ごめんね、心配かけちゃったみたいで。シザーと話してたんだ」

「別に心配なんかじゃない。それより……珍しい組み合わせだな」

 キラの訝しげな視線は私の横のシザーへと移りました。

「どういう心境の変化だ?」

「色々あって疲れちまった。誰もいねーし、今だけな」

「何だそれは……」

 苦笑したシザーの答えは、キラの疑問を一層深まらせたようです。

 彼らの間で去年どんなことがあったのか、事の経緯は私にはわかりませんが、シザーの裏表をキラは把握していました。学校行事の後で周囲に他の人がいないとはいえ、校舎内で私と普通にお喋りをしていたシザーに違和感を覚えたのでしょう。

「エレナと揉めたのか?」

「いや?」

「違ったか。ならいいんだが」

 短い言葉で淡々と交わされる話の中身が見えず、私は二人の顔を交互に見ながらただ聞いていることしかできませんでした。キラが先程のことを気にしていなさそうだったことには安堵していました。

「そういえばシザー、今日の午前中ってどこで何してたの? ティーナには会ったんだよね?」

「何?」

「は?」

 聞いた途端、二人は同時に振り返って声を重ねました。キラもシザーも目を丸くし、続けて互いの顔を見合わせます。

「シザーがティーナと……?」

「あいつのこと知ってんのかよ。しかも、キラもか」

 世間狭いな、とシザーは苦笑いでぼやきました。

 私が当番中にティーナと会っていたことを簡単に説明すると、納得した様子で頷きます。

ティーナはシザーと家が近くて、幼馴染なんだって。そうだよね。私はティーナのバイトしてるカフェで仲良くなったんだよ」

「ああ、そういうことか。俺らは生まれる前から親同士が知り合いでさ。親に付き合わされた挙句、大人の話の間は外で遊んで待ってろってよく一緒に放り出されてた。その程度の仲だ」

「……前にオレの部屋で、あの封筒がスズライト家のものだってわかった理由は、ティーナか」

「ん? あー、夏休み前か。んなこともあったな」

 キラは閉口し、何かを考えているようです。シザーも一度口をつぐみ、机に両手をついて背を反らし天井を見上げました。

「聞いてて気分いい話じゃねーけどな。スズライト家に、俺らと同い年の双子いるだろ? 名前は……メアリーとネビュラだっけ? 昔、ティーナの親父がそこに目を付けて、まだガキのあいつを――」

 話の途中、シザーの声を遮るように、ワッと窓の下から歓声が聞こえてきました。

 その理由に思い当たる節があり、私は机から飛び降りて窓辺に駆け寄ります。見下ろした先の校庭には人が集まっていて、キャンプファイアの炎が轟々と燃え盛っていました。

「ああっ、燃えてる!? 火付けるところ見たかったのにー!」

「……悪い。時間過ぎてたな。気付かなかった」

 背後から聞こえるキラの声色は本当に申し訳なさそうです。大声を発してしまって悪かったと思いながら、気を取り直してキラに向き直ります。

「う、ううん、キラは悪くないよ! 気にしないで! 時計見てなかった私のせいだし、また来年もあるもんね! 後夜祭始まっちゃうから、早く行こう! シザーも!」

「や、俺はいい」

「えっ、あれ? 待ってたんじゃないの? キラは行くよね?」

「オレも別に行くつもりは……」

「ええっ!? 他に何も用事ないなら行こうよ!」

 二人の反応は芳しくなく、特にシザーは困った顔をしていました。私ともキラとも目を合わせず、眉間に皺を寄せます。理由も言わずに口を閉ざしていました。

 キラはそんなシザーの様子を一瞥し、改めて私に視線を戻して小さな溜息を一つつきます。

「……わかった、そこまで言うんなら行ってやる。少しだけだからな」

 廊下へ出る直前で、キラは教室内を振り返りました。机に座ったままのシザーに呼びかけ、シザーは目だけを向けます。

「……なあ、シザー」

「………」

「オレはシザーの好きにすればいいと思ってるが、今日、レルズはお前のこと気にしてた。本当はお前と行きたかったんだと思う。多分、去年も。それだけ伝えとく」

「……そか」

 シザーは一言だけ言葉を返し、キラもこの他には何も語りませんでした。

「言わなくても、お前もわかってるとは思うが。……エレナのお節介が移ったな」

 そう言い残して、キラは静かに扉を閉めました。

 不意に、悪寒に似た寒気を感じて肌がピリッと震えます。

 私はシザーが一人残った壁の向こうのことが気にかかり、一度だけ振り返りました。視線の先は、何もない薄暗い闇が続くばかりでした。