創作小説公開場所:concerto

バックアップ感覚で小説をアップロードしていきます。

88.空の器を満たすように

 交代の時間には間に合いました。あまり忙しそうでもなく、和やかな様子です。安心してクラスメイトと当番を入れ替わります。

 ほどなくして、ティーナが来店しました。

「ルミナー! 遊びに来たよ!」

「早いね! いらっしゃいませ!」

 いつものようにリボンを結んだポニーテールのシルエットと、はきはきした声ですぐにわかります。ティーナは小ぶりなショルダーバッグを提げ、丈の短いフード付きワンピースの下にスパッツを合わせた快活な格好です。受付で道具を受け取って真っ直ぐに私の傍までやってきます。

 その途中、近くにいたネフィリーに視線を向けて動きを止めました。

「……緑色の、長い髪」

「え?」

 ティーナはじっと品定めでもするような目で、ネフィリーの顔を見つめます。私も初めて会ったときに似た表情で見つめられたことがありましたので、彼女に悪気はなく単なる癖だったのかもしれません。

 パッ、とすぐに元通りの顔つきに戻りました。

「ああ何だ、あなたか。髪型可愛いね」

「あの……どこかで会ったことある? わからなくて……」

「わたし商店街の喫茶店でバイトしてるんだ。何回か来てくれてる同い年くらいの女の子だから、顔覚えてたの」

「凄い、今のティーナ、店長さんみたいだね!」

「あははー、あそこまでじゃないよ。たまたま」

 私が声を上げると、ひらりと手を振って否定しながら笑いました。

 ネフィリーは少々怪訝な顔をしつつも、人見知りをしないティーナの調子に引っ張られていたようです。

「ちなみになんだけど、年の近い姉妹とか親戚とかっている?」

「ううん、いないよ……?」

「そ。じゃあわたしと一緒だね」

 少しの間、ティーナはネフィリーにも興味を持って話しかけていました。

 

 私たちのクラスで出店しているボール掬いでは、店番といっても、これといって準備すべきことや大変な仕事はありません。教室内で待機する私たちは、制限時間をカウントすることと賞品を渡すことが主な役目です。時間内に、あるいは受付で配るお椀型のモナカが三枚全て破れるまでの間に、より多くのボールを水の中から掬えたほど良い賞の景品を獲得することができます。

 私は教室に入る前に、受付の机に立てかけてあるコルクボードの賞品一覧を確認していました。品切れになった賞には目印の貼り紙をすることになっているのですが、まだ午前中ということもあってどれも残っていたようです。

 僅か数点しか用意していない一等賞は、東の海を渡った先の外国から輸入された置き時計でした。元の値段を単純に見ても、これが最も高価な品物です。私の故郷も含むこちらの大陸では歯車で動く物が一般的ですが、電気仕掛けのそれには透明な文字盤に数字が浮かび上がっていました。

「こんな物まで、色々あるんだねー」

「みんなが自分の欲しい物を挙げてったらこうなったの。バラバラでしょ」

「ううん、いいと思う」

 どの賞を目指すのか尋ねてみますが、ティーナは笑顔で首を捻るばかりです。答えを決めないまま、自然体でビニールプールの横にしゃがみました。

 そして、さらりと一等賞のノルマを突破したのでした。

 未使用のモナカを一つ残しているほどの腕前です。水槽の向かい側で見ていた私は、途中から時間を数えることを忘れて見とれてしまいました。

「似たようなゲーム、サンローズの文化祭でもやったなあ。道具は違ったけどコツは似てるね」

 ティーナ本人は何事もないような顔をしています。彼女よりも観客の方が盛り上がっていたくらいです。

 拍手まで湧く中、私がロッカー上の景品棚に並ぶ時計の箱に手を伸ばすと、ティーナはそれを止めました。口元に手を当てて目線を落とし、考える仕草をしています。

「下の賞選ぶのはアリ?」

「えっ、駄目って決まりはないけど、いいの?」

「うん! それじゃなくてあっちの、お菓子セットください!」

 顔を上げてティーナが指差したのは、今朝ミリーがもらっていった四等賞の景品でした。

 参加賞の勲章を添え、頼まれた通りにお菓子の詰まった袋を渡すとニコニコと話し出します。

「いっぱい種類あるから飽きないだろうし、二人で分けられるし。うん、これがいい。……本当言うと、参加賞だけでもいいくらいだけど。これが一番喜びそうなんだよね。いかにも学園祭、って感じだから」

 ティーナは、色紙と接着剤でできているささやかな勲章を愛おしそうに見つめました。

 彼女の基準は、屋敷の都合で学園祭へ来られないメアリーとネビュラへのお土産にするのなら何が良いか、という一点のみでした。

 二人が実際に何か要求していたのかどうかは、私は知りません。全てティーナの推測だという可能性も考えられます。ですが、私は彼女の言葉と想いを正直に受け入れていました。

「ルミナとキラもこれ作ったんだよね。キラと折り紙……似合うような、似合わないような」

「それも二人にあげるの?」

「うん、そのつもり。……ルミナ?」

 そそくさとティーナの傍から離れて、再びロッカー側へ向かいます。

「もう一つ参加賞あげてもいい?」

 クラスメイトに尋ねると、不思議そうに私の様子を見ていたティーナはその目を丸くして瞬きをしました。

 ゲームには再度料金を払えば繰り返し挑戦できますが、参加賞は何度遊んでも一人一個です。とはいえその理由は、複数もらっても仕方のない物だからというだけのこと。

 あえて私の本心ではない冷めた物言いをするのならば、これは何の益にもならないガラクタであります。

 そうだとしても、この日のこの場でしか手に入らない物として価値を見出してくれるのなら、メアリーにもネビュラにも手に取ってほしいと私が思ったのです。

 幸い、クラスメイトたちは皆「余るよりいいよ」と快諾してくれました。私は入れ物の箱をがさごそ探り、自分が折った覚えのある色を探します。

「えっと、キラが作ったのはわかんないけど、多分これは私の。ちょっと曲がってるから……。これでも、良かったら」

 二人にあげて、と差し出すと、戸惑っていた表情がゆっくりと綻んでいきました。不格好なその勲章を、大事そうに両手で受け取ります。

「これがいいな。絶対に二人とも喜ぶよ」

「あっ、待って! もう一個ないと、今度はティーナの分がなくなっちゃうね!」

「え、わたしは別にいらな……」

 慌ててロッカー側に引き返そうとしましたが、ティーナが声を上げたので立ち止まって振り返りました。

 けれど、ティーナは口を閉ざして首を横に振ります。

「……何でもない、今の無し。ありがと、ルミナ」

 静かに、なぜか寂しげにも見えるような微笑みを浮かべました。

 

87.暗闇の記憶

 何も起こらなかったこと、誰かがピアノを使用した形跡もなかったことを報告して、安堵する人もいれば釈然としていない人もいたようですけれど、ひとまずお化け屋敷の営業は再開されました。

「ほらな! もう何もないってよ! ……そっ、そんなこと言ったって、あれっきりじゃねーか! 俺も何も聞いてねーし! し、信じねーぞ!?」

 嘘じゃないと訴え続けるクラスメイトたちを、レルズは必死に説得しようとしていました。

 実行委員として巡回中だったエレナ、彼女に同行していたルベリーとライールの三人が立ち寄った際も、ピアノが勝手に演奏を始めるようなことは起こらなかったという話です。

 ごく限られた数分程度、ほんの数人だけが耳にしたというその音色は、時間が経つにつれて人々が話題にすることもなくなり、有耶無耶に消えていきました。

 

 何気なく時計を見ると、私とネフィリーの店番の時間が迫っています。 

「もうこんなに経ってたんだ。そろそろ行った方がいいよね」

「わ、本当だ!」

 気付いて声をかけてくれたネフィリーに、私は頷きました。ミリーもそれで気が付いた様子です。

「じゃあその間、ワタシはちょっと――」

「ルミナちゃんなのーっ!」

 話しながら廊下の角を曲がろうとしていると、それを遮って甲高い声が飛んできました。声と共に、角の階段を駆け降りてきた人影がドンッと飛びついてきます。

「元気してた? アタシのこと覚えてる!?」

「わぷ! パ、パリアンさん!」

「パリアンさんだ! ようこそー!」

「なのー!」

 見上げると、バッチリとフルメイクをしたパリアンさんの顔が間近にありました。初めて会った日の彼女と同じ、新緑の香りがします。ライムグリーンの瞳が爛々と輝きました。

 パリアンさんは私よりもずっと背が高くてスタイルも良い大人の女性ですけれど、言動はまるで甘えてじゃれつく子犬のようです。ミリーは以前から彼女のことを知っているため笑って迎えていますが、ほぼ面識がないネフィリーはその横でポカンと呆気に取られています。

「毎年来てるんだけど、今年もちょーっとだけ長めの休憩時間にしてお店抜けてきたの! 会えて良かったの~!」

「……確かあなたは、前にパルティナ先生と喧嘩してた……」

「ムムッ。その覚え方はやめてなのっ。フェアスタのパリアンおねーさん、って覚えてほしいの!」

「店長さんだよ。ワタシとも昔から付き合いがあるんだ」

「そ、そうだったんだね」

 若干引き気味ですらあるネフィリーですが、パリアンさんは気に留めることなくニコニコと笑いかけていました。

 ミリーが斜めに体を傾け、パリアンさんの向こう側に目をやります。

「バレッドさんも来てくれたんだ。意外!」

 階段の上から、赤の他人のようにゆっくりとバレッドさんが降りてきているところでした。学園祭への外出でも構わず、よれよれにくたびれたシャツと皺くちゃの長ズボンで黒づくめの格好です。通りすがる人々は彼を避けていきます。

 パリアンさんは軽やかにステップを踏んで私から離れると、階段を降りて足を止めたバレッドさんに肩を寄せました。

「アタシたちは一心同体なの! ラブラブなの!」

「ちげぇ」

「んもう! バレッドってば照れ屋さんなの★」

「………」

 腕を絡めますが、バレッドさんは無言で反対側に顔を背けます。鼻先まで伸びっぱなしの黒髪に隠れ、顔はほとんど見えていません。

 ネフィリーがミリーの後ろに隠れるように身を屈めて、こそこそと小声で尋ねます。

「……もしかして、前にミリーが話してた、記憶を盗むっていう噂の男の人って……」

「あ、うん、そうそう。バレッドさん。ちょっと怖いよね。あの噂が本当かはわかんないけど、でも意外と悪い人じゃないみたいだよ? 多分」

「……この人が……」

 眉をひそめ、睨みつけるような目つきです。膝の上で握った拳が少し震えていました。

 ミリーがぽてぽてと歩いてバレッドさんへ無防備に近付いていきます。

 一瞬ネフィリーが手を伸ばそうとして、彼女を止めかけたように見えました。

「バレッドさん! この前くれたチョコ食べました。美味しかったです、ありがとうございます~」

「………」

「うんうんっ、良かったの!」

「まだいっぱいあるから、今度二人にも持ってくるね」

「え? ……う、うん」

 ミリーが笑って振り向きますが、ネフィリーはその場を動かずに上の空で返します。またすぐにバレッドさんへ視線を戻し、微動だにしない彼から目を離そうとしません。 

 明らかに、彼女はバレッドさんを警戒していました。それは過剰なほどだと思えました。

 けれど、かく言う私も、彼の傍に近付くことが怖いと感じていたのです。

 何故だったのでしょう?

 事実、全身を真っ黒な服に包んだ長身の男性で、ぴくりとも表情を動かさない彼の傍には近寄りがたかったものです。長い前髪から覗く無感情な瞳やたまにしか発しない低い声も、怖い印象の人でした。

 仏頂面で不愛想な大人の男性というだけならば、バレッドさん以外にも珍しくありません。しかし、そういった方々と彼とでは明確に感じ方が異なっていました。具体的にどう違って変なのか、と問われると困ってしまうのですけれど。

 何もせずただ棒立ちしているだけの人を相手に、得体の知れないものと対峙しているかのような恐怖感を抱いてしまうのは異様であり不可解でした。うまく言い表せないこの感覚は、私の視界にだけ黒い渦や霧が映る「能力」の感覚と少し似ていたように思います。

 ネフィリーはどう感じていたのでしょうか。ミリーに群がる人の山にも、本物の心霊現象が起こるかもしれない音楽室にも臆することのなかった彼女は、一体バレッドさんの何を恐れていたのでしょうか。

「……ルミナ、早く行こ。ミリーも」

 ネフィリーが後ろからミリーの腕を引いて、二人の前から立ち去ろうとします。パリアンさんは大袈裟に驚きの声を上げました。

「えぇーっ、もう行っちゃうの!?」

「す、すいません、これから当番の時間で。一緒に来ませんか?」

「えーっと……ワタシはもう最初に行ったから、その間ちょっと他の場所見てようかなー」

「でも、一人になったらまたさっきみたいに……」

 促すネフィリーに、ミリーは立ち止まって目を泳がせます。二人の様子を見たパリアンさんはコロッと表情を変え、青い星型のペイントがある頬に左手を添えました。

「そういうことなら、ミリーのボディーガードはアタシたちに任せてなのっ」

 ミリーとネフィリーから一緒に見上げられると、軽く首を傾げてお姉さんっぽく目を細めます。

「じゃあ、お言葉に甘えていいですか?」

 ミリーがホッとした笑顔で答えますが、ネフィリーは不安げに彼女の腕を掴んだままです。納得していない様子で尋ねます。

「本当に平気……?」

「うん、ちょうどいいよ。バレッドさんを盾にすれば、みんな避けていってくれるんじゃないかな?」

「……けど、何だかこの人……」

 もう一度、こわごわとバレッドさんへ目線を向けました。

 前髪の間で彼の目がギョロッと動き、ネフィリーを捉えます。その眼光に、傍目にもわかるほど身をすくませました。

 目を逸らし、引き結んだ唇を小さく震わせながら手を離します。

「……気を付けて」

「大丈夫だよー。また後でね」

 バレッドさんはまたふいっと視線を外してしまったようでした。彼は私たちに一言も話しかけてきませんでした。

 私とネフィリーがバレッドさんから距離を取っていることに、パリアンさんは気付いていたのだと思います。特に強い怯えを見せていたネフィリーに対して、優しい眼差しでしっとりと諭すように語りかけました。

「心配しないでなの、ネフィリーちゃん。バレッドは優しいの。絶対に悪いことはしないの」

 ネフィリーは返事をせず、階段に背を向けて彼らから逃げるように来た道を戻ります。そちらから行くのでは遠回りです。

「あれ? あっちの方が教室は近いんじゃ……」

「ご、ごめん。向こうから行かせて」

 呼び止めると、焦りの滲んだ声が返ってきました。体を強張らせて、こちらに振り向く余裕もないようです。

 その胸元に黒紫の小さな渦が現れていて、息を飲みました。

 渦は静かに、けれど確かに、心臓が鼓動するように大きくなったり小さくなったりを繰り返しています。水色のTシャツの上に黒い絵の具を垂らしたようです。

「ミリーはああ言うけど……あの人、怖くて。近寄りたくない……普通じゃない、と、思う」

 震えた声はすぐにすぼんでいきました。

「ごめんなさい、普通じゃないのは私だわ。でも……どうしても……」

「ううん、いいよ、行こっか」

 ネフィリーも私と同じで、なぜ彼にそれほどの恐怖を感じているのかわかっていなかったのかもしれません。私は委縮するネフィリーに努めて優しく声をかけ、教室の反対方向へ連れ出していきます。

 バレッドさんからすっかり遠ざかると彼女の張り詰めた横顔は落ち着き、胸元に浮かんでいた渦も霧散するようにたちまち消えていきました。

 階段を上る途中で、ふと思い出したように口を開きます。

「……そういえば私、名乗ってないと思うんだけど。あの女の人は何で知ってたんだろう」

「ミリーが話したんじゃない? 知り合いみたいだったし」

「変な人たちだったな……」

「せ、せめて面白いって言っとこう?」

 ネフィリーはパリアンさんのことも何か怪しんでいたのかもしれませんでした。彼女自身が、というよりも、彼女のバレッドさんへの態度によるものでしょう。それは私も同じで、彼のどこにあれほど惹かれる理由があるのかと不思議に思っていました。

 スズライトでの生活の中で、私が彼らと顔を合わせた回数は決して多くありません。特にバレッドさんは、片手で数えられる程度です。それにも関わらず、強い印象を残した二人でした。

 

86.踊る鍵盤

 どこに向かうでもなく校舎をぶらぶらと渡り歩き、次に目に留まったのはお化け屋敷でした。三階の角の奥まった場所にあり、普段は音楽室です。

 壁に貼り付けた段ボールに描かれているのは石造りの城壁で、足元には血のように真っ赤な花と墓標もあります。至るところに逆十字のモチーフがあり、黒塗りのコウモリが飛んでいて、ヴァンパイアをテーマにしているようです。

 執事のスティンヴがいたカフェと同様に洋館風の飾り付けですが、雰囲気は真逆でした。しかしどちらも細部まで徹底して作られています。最後にどのクラスへ投票するか頭の片隅で考えながら回っていましたが、装飾の面ではこの二ヵ所の屋敷が特に優れていたように私は思いました。

 音楽室の防音扉は閉まっていて、丸い窓も暗幕で覆われています。襟を立てた赤いマントの生徒が受付に座っているだけで、今は入場待ちの人がいません。音楽室と中で繋がっている、奥の準備室の扉が出口のようです。

 そちらから暗幕をくぐって男子生徒たちが出てきました。彼らは看板を担いで近くに立っていた黒ローブの少年の肩を軽く叩き、口々に感想を伝えていきます。少年は骸骨の被り物ですっぽり頭を覆って、ローブに包まれた体格もよくわかりませんが、背丈は最も小柄でした。

「なかなかだったぜ! ユウヤの悲鳴聞こえたろ?」

「オレじゃねえし! お前のがビビってただろがっ」

「最後のピアノのところ! あそこは妙にガチっぽくてヤバかったなー」

「……へ?」

 その恐ろしげな外見とは裏腹に、頭蓋骨の下から洩れ聞こえてきたのは素っ頓狂な声です。

「ピアノ……?」

 骸骨頭の少年は去っていく友人たちを見送り、そのまま立ち尽くします。

「今のグループで一旦最後だよな!?」

「ぎゃー!?」

 出口から突然ガバっと勢いよく血まみれのゾンビの頭が飛び出し、彼は文字通り飛び上がって絶叫を上げました。

「おおおおお俺を脅かしてどうすんだよ!」

「それどころじゃないんだよーっ!」

「ヤベーんだって! 先生か実行委員呼ぼうぜ!?」

「あの、ど、どうしたの?」

 後を追って次々と、中にいたお化け役の生徒たちが出てきました。近付いていき声をかけると、被り物を上にずらしてレルズが顔を見せます。

「ら、らっしゃいっす。俺も何が何だか……」

「……幽霊」

 唇を青紫色に塗った女生徒が、真っ青な顔でぼそりと零します。

「幽霊だよ! 絶対おかしいもん! ピアノには誰も何もしてないんだから!」

 生徒たちは初めのうちは言いにくそうにしていましたが、その叫びを皮切りに説明をしてくれました。

 先の男子生徒たちも話していた、ピアノの仕掛け。

 客の手前、予定通りのことのように振る舞ってはいたけれど、彼らはピアノには一切手を加えていないそうです。

 それにも拘らず、中にいた生徒たちは全員口を揃えて、不意におどろおどろしい曲調のメロディが教室内に流れ始めたと証言しました。しかも、傍で待機していた生徒は鍵盤がひとりでに動くところまで目撃したそうでした。

「か、確定じゃん!」

「いやでも、遠くからちょっと物押すくらい魔法でもできるよな?」

「それにしちゃ上手すぎだ! ペダルまできっちり動いてたし! 杖であそこまで正確な演奏できないだろっ」

「だいたい普通にやってもあんなに弾ける人、このクラスにいないでしょ!?」

「こんな昼間っから幽霊出るかー?」

「あの噂って本当に……!」

 驚かせる側であるはずの彼らはすっかり混乱していて、これでは経営を続行するどころではありません。

 事情を把握し、一緒になって私も震え上がっていると、黙って聞いていたネフィリーがおもむろに歩き出して出口に頭を突っ込みました。皆がギョッとして仰け反ります。

 暗幕の隙間から覗くと、室内の窓も全て暗幕と段ボールで塞がれていて夜のように暗くなっていますが、足元が見えないほどの真っ暗闇ということはありませんでした。魔法の炎を燃やしたランタンを随所に吊るして、紅色の薄明かりを灯しているようです。

「……これくらいの暗さなら。私が見てくるよ。平気だから」

 もぬけの殻となった室内はシンとして、何の物音も聞こえてきません。

 返事も待たずに一人で進んでいこうとするネフィリーの後を、ミリーが追いました。慌てて私も付いていきます。

「ワタシも行くよ!」

「えっ、じゃあ、私も……」

「無理しなくていいよ。私一人でも別に」

「ううん、行く! 置いてかないで! し、心配だし!」

 何やらごたついていることに周囲も気付き始めて、ザワザワと見物客が集まり出してきていました。戸惑いつつも、教室の外にいたため比較的冷静さを留めているレルズと受付係の二人が事態を収めようと皆をなだめています。

 私たちが戻るまでの間だけ来客には待ってもらうように頼んで、出口側から準備室を通り音楽室のグランドピアノを目指しました。

 

 屋敷の庭園を模したような通路を、ネフィリーは迷いのない足取りで先導していきます。平気だというのは事実のようです。私とミリーは彼女の背に隠れるようにして続きます。視界はさほど悪くありませんが、照明によって一面真っ赤なフィルターがかかっているようでした。

 今は驚かせる係の生徒がいないとわかってはいるのですけれど、少しでも物陰があると毎回ビクビクしてしまいます。見かねたネフィリーに、しがみつかせてもらうことになりました。

「本当に一人でも大丈夫だったのに」

「ご、ごめんね、邪魔で……」

「あ……そ、そんなつもりじゃ。ごめんなさい」

「も、もし本当に本物のお化けだったらどうするつもりなの……?」

「……どうしよう? 考えてなかった。とりあえず追い払えばいいかなって」

「ええっ……!?」

「あはは、ネフィリー強ーい」

 平然と言ってのけるネフィリーに私たちは困惑しました。

 ミリーは私ほど強く怯えている様子ではありませんでしたが、少し眉を寄せて険しい表情をしています。夏休みに肝試しをしたときよりも不安げです。それは、あの日の廃坑とは違って学園祭に関連する噂話を知っていたからでしょうか。

 以前、私も耳にしたことがある噂。

 学園祭のお化け屋敷には、本物の幽霊が寄り付かないようにまじないをかけているかもしれないということ。子供の霊が集まりやすいこと。

 もしそれが事実だったとしたら? もしまじないがかかっていなかったとしたら?

 この学校に通い始めて一年未満の私でも知っていた話なのですから、ミリーが聞いたことがないはずはなかったでしょう。

「……ピアノかぁ……」

 ミリーは視線を正面に据え、時折どこか遠くを見ているようでした。

「……さすがにそろそろ、何か聞こえてきそうな場所だけど」

 準備室と音楽室を繋ぐ扉が見えるところまで到達します。

 教室の外の賑やかさも音楽室の中には届かず、相変わらず物音はなく、不気味ではありました。

 扉は開かれています。

 ピアノの音色は聞こえません。

 紅のライトを反射して妖しい色合いに染まったグランドピアノが、いつもと変わらない位置に一台ぽつんと置かれていました。

 椅子に誰かが座ったような形跡はなく、それどころか、人が使った形跡などないくらい綺麗に片付けられた状態です。

 ネフィリーは私をその場に待たせて、スタスタとためらいなく一人でピアノに近付いていきます。鍵盤蓋を開けると、臙脂色の布がきちんとかけてありました。

 ミリーも彼女の横からひょこんと頭を出して覗き込みます。

「別に普通だね?」

「うん……何もなさそうだよ」

 蓋を閉じ、辺りを回ったり下を覗き込んだりしても、異変は見当たらないようです。

 二人に遅れて私も恐る恐る近寄ってみますが、奇妙に感じる点や不可思議なものは特に見つかりません。もちろん、動き出す様子も一切ありません。

 ミリーが胸元に手を当て、ふーっと長く息を吐き出しました。張り詰めた肩を下ろし、へにゃっと口元を綻ばせます。

「ドキドキしちゃった」

「よ、良かったー……!」

 私は心底安堵して、へたれこみそうになりました。

 皆を待たせているからと、早々にネフィリーが踵を返します。もう私も彼女にしがみつくことはせず、早足で追い越していくほどです。

 戻る直前、ミリーは首を垂れてひんやりとしたピアノをそっと撫でていました。

「……まさか、ね」

 かすかな呟きだけを残し、くるりとミリーも音楽室から立ち去ります。

 外で風が吹きました。

 夜空のように黒く分厚い布の向こうで、窓ガラスがカタンと小さく音を立てた気がしました。

 

85.実った蕾は膨らんで

「四等賞はこちらをどうぞー。それとこっちが参加賞でーす」

「意外と難しいね! もっと沢山取れると思ったんだけどなぁ」

 教室後ろのロッカー上に並べた景品の中から、お菓子の詰め合わせ袋と色紙で作った勲章を受け取ってミリーははにかみます。他にお客さんが少ないので、手の空いているクラスメイトたちも皆ミリーの楽しむ様をソワソワと眺めていました。

 勲章を胸元に付けたミリーが、パンフレットを広げながら私とネフィリーの方に振り返ります。

「楽しかったー! じゃあねっ、ワタシ次は三階の――」

 彼女の言葉が突然止まりました。同時に、ワッと歓声が上がります。

「ん? ……わ! 何これ、いつの間に!?」

 視線の先を追うと、教室の前の廊下に大勢の人がひしめき合っていました。

 クラスTシャツを着た学生も私服姿の一般客も、年齢や性別を問わず顔を揃えてミリーを待ち構えています。彼らは教室の中には入らず受付の手前で群がり、遠巻きに手を振って口々に声を上げました。

「わああっ、こっち見た! ミリーちゃん!」

「ミリーちゃーん! うちのクラスもよろしくー!」

「うちにも来てね!」

「活動再開の噂って本当ですか!?」

「あ、あはは……うん、ありがとー」

 注目されることには慣れているであろうミリーも、さすがに口角を引きつらせています。振り返した手がへにゃりと折れました。

「ふーっ、どーなってんだこりゃ」

「ずっといないと思ったら。どこ行ってたの?」

「どこってそりゃ、宣伝。うちのお客さん第一号はミリーちゃんだぜーって」

「あんたの仕業かー!」

「な、何だよ! 嘘は言ってねーじゃん!」

 ギャラリーの間を縫って戻ってきた男子生徒が、他のクラスメイトたちからそのように詰め寄られていました。

「去年よりは大人しいけどね……」

「そ、そうなの? これで!?」

 私とネフィリーは途中からの編入学のため、昨年の学園祭の様子を知りません。ミリーのぼやきに驚愕します。

 避けて通ろうにも、前後両方の扉をほとんど塞がれてしまっている状態でした。教室から出るにはあの中を抜けるしかないようです。

 仕方なくミリーが近付いていくと、騒ぎはますます大きくなり人々もより一層ギュウギュウ詰めになってしまいました。

「うん、うん、ありがと、ごめんね、ちょっと通してもらえないかな……」

 ミリーの言葉はほとんど聞き入れてもらえていませんが、あまり強くも言えないのでしょう。収拾がつかなくなっていく一方です。私は数歩後ろで成すすべなくおろおろするばかりでした。

 そんなときです。

 突如、どこからか冷え冷えとした空気が一筋流れてきた気がして、かすかな寒気を覚えます。

「邪魔ね」

「……ん?」

 隣で私と同じように圧倒されていたはずのネフィリーが、つかつかと前へ出ていきました。

 ミリーの手を掴んで横に並び、人の山をギッと睨みつけます。

 思わず私の背もビシッと伸びました。教室ではこれまで一度も見せたことがなかった顔でした。

「どいてちょうだい。私たちが先に約束してたのよ。ミリーを困らせないで」

 有無を言わせない威圧感のある口調。誰も彼もが唖然として、場が固まります。ミリーすらもネフィリーの横顔を見上げてびっくりしているようです。ざわめきは、一気にシンと静まりました。

 皆が言葉を失う中、ミリーが一足早く我に返ります。掴まれた手を繋ぎ直して、皆にはパッと笑顔を振りまきました。

「そういうわけで、今日のワタシは予約済みで友達優先なんです! だから、ごめんね! また後で! お昼はワタシのクラスのたこ焼き屋さんをよろしくお願いします~!」

 まだ少し呆けている人々を半ば押しやるようにしながら、早足でネフィリーがミリーをぐいぐい引っ張っていきます。

「ほら、ルミナも」

 振り向いたミリーに手招きされて、私も慌てて足を動かしました。ネフィリーの作った隙間をそそくさと通り抜け、駆け出していった二人を追います。

「はいはい、入らないなら散った散ったー。せっかく来たんですし~、ミリーちゃんもお墨付きの当店はいかがですか~」

 受付席に座るクラスメイトも肝が据わっていて、気の抜けそうなゆるい調子で言いつつ毅然と手を叩いて人々を解散させていましたが、それを目で確認する余裕はありませんでした。

 

 廊下の角を曲がって階段を上り切ったところで、ようやく一息つける状況になりました。

 たちまちネフィリーの足取りが重くなっていきます。

 こわごわと振り返った彼女は、ついさっきまでの剣幕が嘘のように青ざめていました。ミリーの顔を見ることもできずに、唇をわななかせています。

「……ご、ごめんなさい。ミリーのファンの人たちなのに、あ、あんなこと……勝手に……。我慢できなくて……」

「ううん、いいよいいよっ、助かっちゃった! それに、ネフィリーかっこよかった!」

「うん! あんな風にはっきり言えるのって凄いよ!」

「でも……」

 私とミリーが称えますが、まだ怯えた表情です。

 ミリーは繋いでいた手を離すと、代わりにぴょこんとネフィリーの腕へ飛びつきました。

「ネフィリーがいるから、今年は安心して色々見に行けそう! ね、もしネフィリーに何か言ってくる人がいたらワタシが守るよ。だからネフィリーも、ワタシのこと守ってほしいな?」

 あどけない笑顔で見上げるミリーに、ようやくネフィリーの頬が綻びます。

「……あれだけ大勢の前で言っちゃったら、二回も三回も変わらないよね……。わかった。やってみる」

「わ、私も今度はもうちょっと頑張るよ!」

「えへへ、二人とも頼もしいねっ」

 私たちは気を取り直して、先程ミリーが言いかけていた教室を目指しました。

 

 昨年ミリーたちと同じクラスだった友人がいるというそのクラスは、小奇麗な喫茶店を経営していました。女子生徒はメイド、男子生徒は執事風の衣装で揃えていて、上品な空間です。その格好に、私はスズライト家の屋敷と執事長のリアスさんを思い出していました。さすがに彼らと比べてしまえばチープさが拭えないのですけれど、学園祭の出し物として考えるとなかなかのクオリティです。

 扉の前にレースのカーテンがかかっていて、白いリィムローズの造花が様々なところに品よく飾られています。黒板に書かれたメニューは本物のカフェのように整った滑らかな字体で、イラストも上手です。

 机と椅子には他のクラス同様に教室の備品を使っているはずなのですけれど、真っ白なテーブルクロスを掛けたりクッションを敷いたりしているため別物に見えました。ドリンクにはコルクのコースターがセットです。器は普通の紙コップですが、コースターの上に置いてあるだけでも雰囲気が変わります。

「わぁ、ミリーちゃん来た! じゃ、なくって、お帰りなさいませお嬢様!」

「お嬢……えっと、屋敷みたいな造りにしてるお店……ってことだね?」

「すごーいっ、本格的!」

 ミリーの来店に皆の視線が集まり、にわかにざわめき立ちました。しかしこの空間が作り出す空気のおかげか、それとも緊張したネフィリーの険しい表情によるものなのか、今度は大きな混乱は生まれずに済んだようです。

 誰がミリーの接客へ行くのかと、小さな執事たちが壁際でそわそわしていました。そうしているうちにちゃっかり者のメイドが先を越して執事たちは一斉に声を上げ、一部始終を見ていた人々の間に笑いが広がります。オーダー後、食事を提供されるときには代わる代わるに別の生徒がやってきましたが、誰もがミリーとの距離や慣れない言葉遣いに戸惑っていたのが見て取れました。

 三人で頼んだパンケーキはちょうどいい焼き加減でふわふわだったけれど、ずっと見られている感じがして落ち着かなかったものです。

「ネフィリー、あーんってして?」

「え、う、うん、いいよ。……はい」

「ん~♪ 美味しい!」

 当のミリー自身は気にせずに食事を堪能しています。ですがネフィリーは恐らく私と同じ思いだったことでしょう。いえ、私以上かもしれません。一口大のパンケーキをミリーに食べさせているとき、この鈍感な私でさえも強く注目を浴びているのを感じましたから。ただネフィリーは、幸せそうに目を細めるミリーを前にして彼女には敵わないといった様子でした。

 そんな折、私はふとミリーに一切関心を見せない男子生徒が一人だけいることに気が付きます。

 それ以前の話として、やる気そのものが無かったのでしょうか。彼は教室の隅で腕組みをして壁にもたれかかり、不機嫌な顔で気だるげにしています。思えば配膳時にも、彼だけはクラスメイトに混ざるどころかその場を動いてすらいませんでした。鋭い光を湛えた青い瞳と近寄りがたい空気はどこかで見覚えがある気がしたけれど、思い出せません。

 帰り際、その少年のすぐ傍を通りました。

 無言でサッと顔を背けていった彼に、ネフィリーが何か感づいて足を止めます。

「……?」

「………」

 訝しみながら顔を横に近付けると、彼は反発する磁石のようにぐぐぐっと反対へ首を捻っていきました。

 明後日の方向へ目線を送り、苦々しく口を歪めます。

「……い、行ってらっしゃ――」

「やっぱり。スティンヴでしょう」

「クソッ」

「えっ!? あ、本当だ!」

 目元を緩めたネフィリーの指摘と、肩を震わせ苛立ちを露わにした彼の姿を受けて、私はようやく合点がいきました。ミリーも目を丸くして、よく気付いたねと感嘆しています。

 スティンヴは毎日欠かさず身に着けているサングラスをかけていませんでした。髪もオールバックにしていて、私たちが知る姿とは大きく異なっています。ほのかに頬が赤いのは怒りか、恥ずかしさか、どちらでしょうか。

 三人でスティンヴの正面を塞ぐような形になりましたが、私たちのことを少しも見ようとしません。

「……あんた、髪違うから、わからなかった」

「私よりスティンヴの方がだいぶ違うと思うけど?」

「うるさい。食べ終わったんならさっさと出てけ」

「いけないんだー、今のスティンヴは執事でワタシたちはお嬢様なんでしょ? ダメだよ、そんな態度」

「何がオジョウサマだ。馬鹿馬鹿しい」

 彼は遠慮なく毒づいて舌打ちをしました。

「どうしてぼくがこんなことしなきゃならないんだ。マジで最悪、早く終われ」

「そう? かっこいいよ」

「………」

 ネフィリーが小首を傾げ、屈託なく笑ってさらりと告げます。

 ぶつぶつと不平不満を並べ立て続けていたスティンヴは、そっぽを向いたままぴたりと口を閉ざしました。 

「執事服とかスーツ、そういう襟のピシッとした服ってかっこいいと思う」

「わかる! うちの男子制服は学ランだけど、ブレザータイプいいよねっ。サンローズの制服みたいな!」

「う、うん……」

 硬直しているスティンヴに構わず、ネフィリーとミリーは男の人の服装の話で盛り上がっています。

 出入口の前の廊下を、地学の先生が複数の生徒を引き連れてワイワイと通り過ぎていきました。ミリーの関心はそちらに移り、彼らを追って教室を飛び出していきます。ネフィリーもすぐにミリーを追いかけます。それでもまだ、スティンヴは固まっていました。

 少しばかり心配になりつつも、私はこれまでに彼と一対一で会話をしたことがほとんどなかったので、ごちそうさまでしたと一言だけ告げてカフェを後にしました。

 

 あの後、このクラスは待機列が形成されるほどの賑わいを見せていたそうです。何でも、優雅で微笑みの素敵な優しい執事がいるとのことで。

 しかし私たちが噂の現場を見ることはなく、それを知ったのは学園祭が幕を下ろした後だったのでした。

 

84.彼女の隣の陽だまりへ

 廊下には各教室の宣伝ポスターがぺたぺたと貼りつけられていて、その壁際で立ち止まり買い食いをしている生徒の姿が多く見られます。たこ焼きの入った容器を手にしている人もちらほらと目に留まり、自分たちのクラスに行ったのだろうかとエレナは想像しました。

 先程レルズたちが立ち寄ったと思われる唐揚げのお店には、まだ列がありました。その様子にエレナは少しの焦りを感じます。昼食の時間にはまだだいぶ早いのに賑わっている飲食店を見ると、ルベリーのことが気がかりになるのでした。

 終わりがけの時間帯が最も静かで、ルベリーにとって最も安全だろうということはわかっていました。しかし、エレナはその時間ステージの司会進行役を務めるため講堂から離れられません。もちろんクラスメイトのことも頼りにしているけれど、自分自身も傍にいられるときがいいと考えていたのです。

 急く気持ちもありますが、エレナは自分のクラスのたこ焼き屋を見る前に、その隣でゴムボール掬いの催しを開いている私たちの教室も確認していきました。

 生徒の他に小さな子供を連れた客が多く、これまでに見た飲食店と比べると落ち着いているようです。紙で作ったカラフルな花飾りを貼りつけている扉の真下に受付席があり、そこで店番をしている最中の友人に声をかけます。

「お疲れ様、いーちゃん。調子どう?」

「うん、大丈夫。さっきまでミリーちゃんが来ててね、ちょっとトラブル起きかけたけど何とかなったから」

「え。そ、そう? 本当に大丈夫かしら。ミリーがどうかしたの?」

「んー……まあ、原因はお店じゃないし、ミリーちゃんたちの方ももう心配いらないと思うよ。気にしないで~」

 少々気がかりではあったけれど、教室内にミリーの姿はなく何も異常は見られません。笑って言う彼女を信じて、隣の教室へ移動します。廊下で客引きをしていた二名のクラスメイトが、エレナに気付いて手を振りました。

 教室の中の、机を並べた飲食スペースには誰も座っていません。来る途中で見かけたように、出店を見て回りながら他の場所で食べているのでしょう。問題は起きておらず、ホッとして店内へ入りました。

 席と席の間のスペースで輪になって立ち話をしている、四人の人たちがいます。彼らの姿に、エレナは見覚えがありました。

 少し前に受付席で彼女がパンフレットを渡した男の子と両親の三人組です。そして、男の子が見上げる先に立っていたのはルベリーでした。

 ルベリーは橙のクラスTシャツの上からエプロンを付けて、頭に三角巾も巻いています。普段は下ろしている長い黒髪をすっきりと一つに結い上げ、調理をする準備のできている格好です。微笑んで、三人と和やかに話していました。

「もしかして、ルベリーのご家族?」

「エレナさん」

「えっ、あっ、受付の」

 弾んだ足取りで近付きながら声をかけると、彼らもエレナの顔を覚えていたようです。振り向いた男の子は少し驚いた顔をし、すぐにきりっと頬を引き締めました。両親は安堵した表情を浮かべます。

「弟さんかしら?」

「ライールです。えっと、あ、姉がお世話になっています!」

「まあ、可愛い!」

 エレナはライールと同じ視線の高さまで身を屈め、その琥珀色の瞳を覗き込んでにこりと笑いました。

「さっきは気が付かなかったけど、目の色がそっくりなのね。わたしは一人っ子だから、こういうのって羨ましい。綺麗な目ね」

「……あ、ありがとう、ございます」

「………」

 クラス内の女生徒たちもライールの周囲に集まってきて、口々に歓声を上げます。気恥ずかしそうにほんのりと頬を赤らめて戸惑う弟に、ルベリーは黙って柔らかい眼差しを向けました。

 

 三人が学園祭を訪れたのは、もちろんルベリーに会うことや行事を楽しむことが目的ではあるけれど、単にそれだけではありません。

 エレナがその心をほぐすまで、ルベリーは他人の心の声が聞こえるようになったことを誰にも相談していませんでした。つまり、先日の出来事を経て担任のギアー先生が連絡をするまで、家族もルベリーの現状を何も知らなかったのです。

 学園祭が始まる前に一度だけ、ルベリーは寮から実家へ帰り家族に話をしていました。そうするべきだとギアー先生にも促されたからです。ルベリーの家は、学校からさほど遠くない距離にありました。

 幸いにも三人が彼女を拒絶することはなく、これまで通りに接しようとしてくれました。しかし、一度説明を受けただけでルベリーの「体質」の変化を受け止めきれたわけではありません。

 優しく労わろうとする笑顔の裏にある確かな困惑は伝わってしまい、皮肉にも、それを聞いた彼女の様子こそが三人を信じさせる決定打となりました。

 彼らの大きな目的の一つが、その謝罪でした。

「この前はごめんね。でも、母さんたちはまたルベリーを傷つけてしまうかもしれないけど、家族として理解しなきゃいけない。ううん、わかりたいって思ってる。だから今度からは、何かあったら遠慮しないで母さんたちを頼ってほしいの。一緒に悩ませてちょうだい」

「姉さんが姉さんなのは変わらないじゃない。僕たちは気にしないからね」

「……うん、わかってるよ」

 そのような会話を終えた辺りで、エレナは到着したのでした。

 事前に手紙で学園祭に来ると知らされていたけれど、わざわざ謝られるとは思っていなかったとルベリーは言います。家での出来事には、ルベリー以上に三人の方が強く後悔し胸を痛めていました。

 家族間のわだかまりはすっかり解消され――いいえ、元よりそのようなものはなかったのでしょう。そこにあったのは、温かい家庭の姿に他なりませんでした。

 彼らのもう一つの懸念は学校でのルベリーの友人関係でしたが、こちらもすぐに払拭されます。教室内の級友たちの姿に加え、受付で出会ったエレナがクラスメイトだと名乗ったことが、両親を安心させました。

 二人はしばらく子供たちの談笑を見守っていましたが、その合間で母親がルベリーに向かって姿勢を正します。

 彼女の口が開かれる前にその心を察し、ルベリーの眉はぴくりと上がりました。

「当番はいつまで?」

「……え。……時間は、まだ三十分くらいある……けど……」

「じゃあ、その頃にまた来るわね」

 ルベリーは返事をせず、唇を閉じて目を伏せます。

「一階の角に人通りの少ない通路があったから。クラスの手伝いが終わったら、その辺りで休んでいましょう」

「………」

 エレナは二人の横顔を交互に見ます。母親は優しく語りかけますが、ルベリーは目を合わせずに俯いたままでした。

「ルベリーに似た”病状”の事例を探して、調べたのよ。あまり多くは見つからなかったけど、人混みは避けるべきとどの本でも言っていたわ。人の多いところは苦しいのよね?」

「あのね、ちょっと前に隣の教室で凄い人だかりができてたんだ。外もいっぱい人来てたよ。行くのは危ないよ」

 ライールも母親に続きました。父親は言葉を発しませんがその表情は雄弁で、眉を八の字にして眉間に皺が寄っています。

 彼らが皆ルベリーの身を案じてそう言っていることはエレナにも伝わってきました。けれど、ずっと暗い顔をしているルベリーのことも見過ごすことはできませんでした。

 一歩前に踏み出し、明るく切り出します。

「うふふ。今なら、わたしにもルベリーの心が読めるかもしれないわ」

 ルベリーは顔を上げて、エレナに弱々しい目を向けました。エレナは微笑みかけながら頷きます。

 ルベリーの瞳に陽の光が差して、淡い煌めきが浮かびました。

 その煌めきを包むように目をギュッと閉じて、拳を握ります。

 ゆっくり瞼を上げて三人の視線を受け止めると、ルベリーはぽつぽつと思いを綴り始めました。

「……心配してくれてありがとう。でも、私……病気じゃ、ないよ」

 母親が少し目を見張り、動揺が表れます。

「私は平気……朝の開会式も大丈夫だった……から、少し、見て回りたい……」

「わたしも付いていきます! 心配しないでください!」

 ルベリーと隣り合わせに並んだエレナの朗らかな声色に、彼らは押されている様子でした。静まる空気に怖気づくことなく、エレナは堂々と声を張ります。

「ちょうど、一人で寂しいって思ってたところだったのよ。ルベリーがいればトラブルに早く気付けて、見回りも捗るわね! それから、みんなの楽しそうな気持ちもいっぱいわたしに聞かせてほしいわ! これってルベリーだからできることよ!」

 それが建前上の理由であることは、ルベリーには伝わっていました。ただルベリーを思いやっている一心なのだということがわかっていました。

 時にはお節介にも感じるくらいだけれど、エレナはいつでも友人を大事に思っているのです。それは私もよく知っていることなので、ルベリーの気持ちがわかります。

 変わらず不安と迷いを抱いている三人に向かって、エレナは更に付け足しました。

「そうね、ライール君も一緒に来ない?」

「ぼ、僕も?」

「本当に大丈夫だって、見ててくれるかしら? 一緒にいれば安心でしょう? 何だったら、お母様もお父様も大歓迎ですよ!」

 ライールは困り顔で背後の両親を見上げます。両親は、切実に訴えるルベリーと真っ直ぐなエレナの気持ちを推し量るように二人のことを見つめていました。

「お、お願い」

 ルベリーは胸元に両手を押し当てます。

「私は学園祭を回りたい。……エレナと、行きたいよ」

 

 ――この喋り方も、呼び方も……これから頑張って直していくから。

 ――人に言われたから……そう思われてるからじゃなくて。……私が、変わりたくて。

 

 そのとき、エレナの胸中にも確かな光が宿りました。

 本当の意味で友達になれたような気がしました。

 父親が、ポンとおもむろに両手をライールの肩に置きます。

 驚いて目を丸くするライールに対し、両親はすっかり柔らかな顔つきになっていました。

「付いていかせてもらいなさい。母さんたちはいいわ」

「え、でも……」

 数分前のような安堵した表情を浮かべ、かぶりを振ります。ライールだけが眉を下げて尚も心配そうです。

 これまでずっと一言も喋らずに黙っていた父親が、一度しっかりエレナと目を合わせて、頭を下げ、初めて口を開きます。

「……これからも、娘をよろしくお願いします」

 静かで落ち着いた穏やかな声は、ルベリーの雰囲気に少し似ていました。

「はい! 任せてください!」

 エレナは満面の笑みで答えます。

 そのまま、流れるようにバッと振り向いて。

「良かったわね!」

 差し出されたエレナの手のひらに誘われるまま、ルベリーは握っていた手をほどいてパチンと手を合わせました。

 

 パンフレットの校内地図を広げながら、廊下に出ていくエレナたち。左右を見て、エレナは僅かにでも人通りの少ない右手の方を指し示しました。ルベリーとライールはその後に続いていきます。ルベリーは、髪は結んだままでエプロンを外していました。

「あ、あの……ええと……エ、エレナ」

「ふふふっ」

「……!」

 後ろからおずおずと名前を口にするルベリーに、振り返ったエレナは思わず笑みを零します。頬を紅潮させて恥じらう、少しだけムキになったような顔を見るのも初めてでした。

「ごめんなさい、わたしも少し気恥ずかしいのよ。何かしら?」

 ルベリーは一呼吸置いて気持ちを落ち着かせてから、彼女に問いかけます。

「……見回りって、委員会以外の生徒とは駄目……ってルール……」

「そうね、原則禁止だわ。だからライール君にも来てもらったの。ちゃーんと、外部のお客様を案内してるように見えるはずよ?」

「………」

「え、え?」

 唐突に自分の名前を出されて、ライールは困惑しています。エレナは申し訳なさそうな微笑みを浮かべました。

「わたしの都合でいきなり付き合わせちゃってごめんなさいね、ライール君。本当に案内するから、許してくれる? 気になるところはあるかしら? ちょっとくらいならわたしが買ってあげるわよ」

「い、いえっ、大丈夫です」

 遠慮するライールの横で、一緒になってルベリーもそっくりな表情をしています。エレナはまた少し羨ましさを感じました。

 人とすれ違ったり傍を通ったりする度にライールは顔をこわばらせて、何度もちらちらとルベリーの顔色を確認しています。

「本当に大丈夫なの、姉さん。無理は駄目だからね?」

「……大丈夫。きっと。前の夏祭りのときと、今は違う……」

 ルベリーは弟を安心させるような優しい声色で、そっと囁きました。

 心から祭りを楽しめていない様子のライールを見かね、エレナはその手を引いて別の模擬店の中へと足を踏み入れていきます。彼はここでも女生徒に人気で、数名に囲み込まれました。

 二人でその輪を外から見守っているとき、ルベリーがぽつんと呟きます。

「午後、講堂に行くとき……私も一緒に、行く」

 一瞬ハッとした表情を見せて、エレナは首を横に振りました。

「気付いてるのよね。わたしたちの計画に」

 ルベリーは黙ってこくりと頷きます。正面を向いたまま会話を続ける二人は神妙な顔です。

「ルベリーにだけは、サプライズもできないわね。けど、今日までずっと秘密にしててくれてありがと」

「……うまくいく……かな」

「やってみせるわ。わたしは心配してない。あとはミリー次第よ」

「………」

 横目で伺うと、エレナの引き結んだ唇と毅然とした口調には彼女への信頼が表れています。

 女子生徒たちからライールが解放されると、パっと元の笑顔に戻って次の教室に歩いていきました。

 

83.学園祭の始まり(2)

 校外からの来客を案内する学園祭実行委員の生徒は、各クラスTシャツではなく制服を目印として着ています。エレナは朝一番の案内係を担当するので、正門の横に設営された小さなテント付きの受付席で待機していました。

 群青色の屋根が日光を遮り、ちょうどいい気温と爽やかな風でテントの下は快適です。椅子の背もたれによりかかり、斜め上方に覗く晴天の空へ向かって軽く伸びをします。サラサラの髪が揺れ、手首に巻いたシュシュの柄と同じレモンの形をした髪飾りがキラリと日差しを反射して光りました。

 実行委員の仲間が、校内から配布用のパンフレットを持ってきます。机の上にそのまま置いていましたが、危うく風に飛ばされそうになったため上からペンケースを乗せて押さえることにしました。

 

「全校生徒の皆さん、ご来場の皆さん! お待たせしました! これより、スズライト魔法学校の学園祭が開催となります! 最後まで楽しんでいってくださいねー!」

 

 アナウンスを終え、口元に近付けていた杖を離してふうっと息をつきます。待機していた来場者たちがぞろぞろと動き出しました。

 持ち場へ解散していく委員会の皆に手を振って別れ、お客さんの案内を始めます。しばらくすると学校の中からも一般生徒が屋台を見に出てきて、外はガヤガヤと賑わってきました。

 エレナは持ち前の明るさと要領の良さでテキパキと来場者への応対を続けますが、その切れ間にふと、ルベリーのことが頭をよぎります。エレナは朝から委員会の仕事に就いていたため、この日はまだほとんど彼女と顔を合わせていません。開会セレモニーの際に一旦教室へ戻ったときのみで、きちんと話をする間もありませんでした。

 ルベリーにはこの少し後の時間に、キッチンの担当を任せています。不特定多数の人との接触が多いフロア担当は避け、最も混雑する昼食の時間帯からもずらしてはいるけれど、それでも本当に問題がないのか不安が残っていました。

「あのっ、パンフレットもらえますか」

「! ごめんなさい、今渡すわ」

 意識がそちらに向いていたせいで、来場者の方から先に声をかけられてしまいます。すぐに重しのペンケースをよけて、気を引き締めました。

 エレナを呼んだのは、ベージュがかった淡い金髪の小さな男の子です。背伸びして机の下から顔を出しています。その背後には父親と母親らしき大人が二名並んでいて、男性の方は少々表情が硬く、眼鏡をかけた女性の方は対照的に柔らかい雰囲気です。三人とも、よく似た琥珀色の瞳をしていました。

「ご両親と一緒なのね? 二部あった方がいいかしら?」

「一つで大丈夫です」

「はい、どうぞ。中に入るときはあそこから、靴箱でスリッパを受け取って履き替えてね」

「ありがとうございます」

 男の子は自分一人ではっきりと受け答えをして、去り際にはぺこりと可愛らしくお辞儀をしていきました。後ろに立っていた両親はその一部始終を黙って見届けてから、エレナに会釈していきます。男の子が着ている襟付きの青シャツは子供服ながら質が高そうで、育ちの良い印象を受けました。

 三人は受付から少し離れたところで向かい合い、男の子が捲るパンフレットを一緒に覗き込みます。

「えっと、えっとね……あっ、あったよ、外じゃなかった」

 パッと顔を上げた男の子は、両親にそのページを広げて見せました。それからは脇目も振らずに、先程エレナが指した靴箱へと真っ直ぐに進んでいきます。

 生徒の父兄なのだろうと思い、微笑ましいその様子に胸が温まる気持ちで、エレナは一家の後ろ姿を送りました。

 

「エレナちゃん、交代の時間だよ」

「あら、おかえり! もうそんな時間だったのね」

 校庭側から制服姿の女子生徒がやってきて、テントの中に入ってきました。椅子に座ったまま振り返ったエレナは驚いた顔をします。頬を綻ばせた女子生徒の口元から、ちらりと八重歯が覗きました。

 席を替わりながら、エレナは立ち上がりざまに彼女の耳元へ向けてこそっと話しかけます。

「例の彼のことは誘えたのかしら?」

「えっ。ま、まあその、フォークダンスの約束は……したよ」

「きゃー♪ やるじゃないっ、ジェシカ!」

 エレナが黄色い歓声を上げると同時に、ジェシカは肩を縮め込ませ困ったような笑みを浮かべて俯きました。

 ぐっと体を捻り、両手を前に突き出してエレナを外へ追いやるような仕草をします。

「ほら、はいっ、行ってらっしゃい!」

「頑張ってね、色々!」

「もう! 時間過ぎてるから!」

「うふふ!」

 気恥ずかしそうな慌て声に含み笑いを返し、エレナはぱたぱたと小走りで逃げ去りました。

 

 学園祭当日の、実行委員の仕事は以下の通りです。

 今しがたエレナが終えてきた来客受付。講堂で一日通して行われているステージ発表の司会進行、照明係など。これらは、パンフレット制作のリーダーのような大きな仕事を準備期間中に担当していない生徒が主に任されています。それに関わらず全員行うのが、会場内で問題が起きていないか巡回する業務でした。

 受付とステージの司会進行役の二つを任されているエレナにとっては、実質的にこの見回りが休憩時間も兼ねているようなものです。あくまでも委員会の業務だという名目上、無関係な友人を連れ立って回ることはできませんけれど。

 エレナはまず、ぐるりと校庭を一回りしてきました。飲食系の屋台が立ち並び、様々な食べ物の匂いを乗せた仄かに煙たい風が空腹感を刺激してきます。グラウンド中央には、後夜祭のキャンプファイア用の木が事前に組んでありました。まだ火は灯されていませんが、待ち合わせの目印や一休みの場所として使っている人々がいます。皆の楽しげな顔つきに、エレナも笑みを浮かべて嬉しそうです。

 屋台周辺を一周して、次は中へ入ろうとしたとき、外履きのスニーカーに履き替えているキラに会いました。

「一人なの?」

「少し並ぶから先行ってろって」

 そう話すキラの後ろに、唐揚げ入りの紙コップを両手に持ったレルズが見えます。彼のクラスのお化け屋敷の衣装を着ていて、首から下を包んでいる長いマントは黒一色です。

 エレナに気付くと、はっきりと顔をしかめました。

「待たせたな、キラ! もうすぐ後の二人も……って、うげ」

「何よそのリアクション。傷ついちゃうわ」

「嘘くせーなー」

 エレナは左右をキョロキョロと見て、他の生徒の姿を探します。誰の姿も無いようです。

「シザーは……いなさそうね」

 二人は小声で呟いた彼女の思惑を察して、同じように声量を落とします。

「また今年もやってるのか。懲りないな」

「ええ、諦めないわよ。今は単に委員会の見回りだけど。どの辺にいるか心当たりないかしら?」

「オレは何も」

「俺も知らねー。……シザーさんにはシザーさんの考えがあんだよ。だからあんま邪魔すんなって……」

 そう抗議していても、彼の目は寂しげです。だんだんと声もすぼんでいきます。エレナでなくとも、それが本心でないとはわかったことでしょう。

「強がっちゃって。バレバレよ」

 レルズが言葉を詰まらせます。キラは黙っていました。

 少しして、もう二名の男子生徒が彼らと合流します。皆、昨年同じクラスだった友達同士です。短く他愛ない挨拶を交わしてからキラたちは校庭へ、エレナは反対に校舎内へと向かいます。

 途中でレルズが立ち止まって振り向き、エレナを呼び止めました。

「エレナ。あのさ、実行委員の……」

「ん?」

「……や、やっぱ何でもねーや」

 何かを言いかけましたが、口をつぐんで行ってしまいます。

 彼の姿はすぐに人の影へ埋もれて、見えなくなっていきました。

 

82.学園祭の始まり(1)

 正門の前に大きな風船のアーチと柱が立っています。

 校庭の外周に沿うように複数の屋台が並び、屋根がカラフルです。

 三階の窓からは各クラス手作りの垂れ幕がかかり、ガーランドも吊るされていて、壁沿いには立て看板がずらりと並んでいます。

 校内にも風船飾りが浮いていて、他にも色とりどりの画用紙やテープで至る所を装飾されていました。

 空に向かって鳴り響く、二発のピストルの音。

 いよいよ、スズライト魔法学校の学園祭が始まります。

 

 机と椅子の大半を別室へ移動させて広々とした状態となっている教室の中央に、子供一人入れるくらいの大きさのビニールプールを膨らませました。私はその中に、バケツで汲んできた水道水を流し込んでいきます。

 中に入れておいたゴムボールが、水を弾きながら表面に浮いてきました。色も柄も大きさも様々のボールたちは水に煌めいて、飴玉のようです。

 他にも教室内の三か所に机を置き、その上にちょうど収まるくらいの小さな桶を同様に用意しました。水が撥ねたり零れたりしてもいいように床には撥水シートを敷いているため、誰かがその上を通るたびにカサカサと音が立ちます。

「あれ? パルティナ先生は?」

 そんな声が聞こえてきたので私も辺りを見渡すと、講堂で開会セレモニーを終えて戻るときまでは一緒だったはずの先生の姿が既にありません。生徒たちとお揃いのクラスTシャツ姿が恥ずかしくて、隠れてしまったのでしょうか。

 先生はそれが配布された当初から着ることを渋っていましたが、当日にはしっかりと身に着けてくれていました。皆のコメントを受けて「早く整列してちょうだい」と唇を尖らせていたのは、きっと照れ隠しです。

 先生を探して声を上げていた女子生徒は、黒板の前でチョークを手にしていました。黒板の中央には大きく店名を書いたのですが、今やその周囲のスペースに大量の落書きがされていて何とも雑多な印象になっています。手の空いた生徒たちが各々自由に描いているようで、全く統一感がありませんし出店との関連性もありません。ですが、それがかえって賑やかさを演出しているようにも見えます。

「せっかく先生描いたのに。似てるでしょ?」

「可愛い!」

「でしょー」

 彼女が指したパルティナ先生の顔は、くりくりの丸い目とニッコリ弧を描く口が特に可愛らしく描かれていました。

 その横で、キラが友人から何か描くよう促されていますが彼は遠慮している様子です。私は近寄っていって会話に混ざります。

「オレはいい。これ以上何描けって言うんだ」

「じゃあ私に描かせて! えーと、うーんと……」

「……何も考えないで来たのかよ」

 張り切ってチョークを受け取ったはいいものの描くものが思いつかず手を止める私に対し、キラはいつも通りのクールな態度でした。

 そうこうしている内に一通りの支度と設営の仕上げが終了し、開場まで少し時間が余ります。女子生徒は椅子の周りに集まって、順番に互いの髪で遊び始めました。私のような短めの髪でも友人の手にかかれば、前髪に編み込みを入れてリボンを結び可愛らしいヘアアレンジの完成です。

 ロングヘアの人たちは、普段よりも手の込んだ髪型にしてもらっています。中でも、特に大きく印象を変えていたのがネフィリーでした。

 気に入っているからと、彼女はいつでも頭のてっぺんでお団子一つ結びに括っているのですけれど、この日ばかりは友人にされるがままです。緩いウェーブがかかってボリュームもある彼女の長髪は、数人がかりで遊ばれていました。

 両耳の上辺りでお団子を二つ作り、その結び目から髪の束をリボンのように垂らした髪型が出来上がって、ネフィリーは気恥ずかしそうにはにかみます。

「花みたいね。ありがとう」

 机の上に立てた鏡を見ながら、ピンク色の小ぶりな花が付いているヘアピンでそっと前髪を留めました。

 どこを見に行こう、とパンフレットを広げてネフィリーと笑い合いながら、時間を潰します。

「ネフィリーさん。ちょっと頼みが」

 ふと呼び声がして廊下の方を見ると、いつの間にか戻ってきたパルティナ先生が顔を出していました。

「大事なことを伝え忘れていたわ。急な話になってしまって悪いのだけど」

「……? はい」

 私はネフィリーからパンフレットを預かります。

 話し終えて戻ってくるのを待っていると、教室の天井の中央にくっついている透明な半球がぴかぴかと点滅を始めました。

 この学校が学校として使われ始めるよりも前の遥か古代からあるという設備の一つで、遠くの音声を伝える魔法がかかっている装置です。この点滅は、その発動の合図でした。

 開場の時間です。

 馴染みある鐘の音が鳴り、それに合わせて球体からも聞き慣れた女生徒の声が聞こえてきます。エレナの声でした。

 

「全校生徒の皆さん、ご来場の皆さん! お待たせしました! これより、スズライト魔法学校の学園祭が開催となります! 最後まで楽しんでいってくださいねー!」

 

 明るく高らかな声が、校舎一帯に響き渡ります。

 原稿の用意はあるはずですが、素の彼女も少し滲んでいたように聞こえました。私も含めて、声の主を知る友人たちは笑みを洩らします。

「お待たせ。始まっちゃったね」

 ネフィリーが先生と別れて戻ってきました。

「先生のお願いって何だったの?」

「閉会式で模擬店とステージの投票結果発表した後、優勝者に花束渡す係をやってほしいって話だったよ」

 私がスズライトへやってきたばかりの頃、クラスの皆で一つずつ種を植えたコミナライトの花のことを覚えているでしょうか。ネフィリーが係となって世話を続けていた花です。学園祭の時期に見頃を迎えるあの花は、そのために準備されたものだったのでした。

 思わぬ用途に驚くと、ネフィリーも頷きます。

「他にも、後夜祭の飾りにも使ってるみたい。暗い所で光るから、明かりも兼ねて」

「光るの!?」

「知らない? ルミナ、さっきから驚きすぎじゃない?」

「だってそんな花、きっとスズライトにしか咲いてないよ。見たことない!」

「……そうなんだ。私はスズライトを出たことがないから、コミナライトは光るのが普通だと思ってたよ。あ、でも、摘み取っても光が消えないようにする方法があるのは知らなかった。花束を作るのは他のクラスの仕事だったらしいよ。そっちがしたかったな」

 花束を渡すだけとはいえ壇上に立つのは緊張する、とネフィリーは困り顔です。しかし、私が代わろうかと聞いてみると、大丈夫だよと首を振りました。

「そういう係って、委員会の人がやるんじゃないんだね」

「……言われてみれば、確かに?」

「私が育てました! みたいな感じ?」

「そ、そうなのかな? ……何、それ?」

 私たちは話をしながら、パンフレットだけを持って廊下に向かいます。

「あっ、いた! ネフィリー、ルミナ! 二人も髪型変えてるー!」

 扉を出てすぐに、隣の教室からミリーが駆け寄ってきました。

 隣のクラスのTシャツは、橙のストライプ柄に背番号が付いたスポーツのユニフォームのようなデザインです。髪はツーサイドアップにしています。私がそれに気付いたのはもう少し後になってからでしたが、青緑の花飾りのヘアピンはネフィリーとペアの物でした。

「どこから行く?」

「ワタシはこのまんま、まずは二人のクラスで遊んでいきたいなっ。いい? 無くなっちゃう前に、いい景品欲しいもんね!」

「おー! お目が高いってやつだぜ、ミリーちゃん! それじゃあお客さん第一号はミリーちゃんで決まりだ!」

 教室の入り口の真横で話していたので、当番のクラスメイトが中から顔を出し会話に混ざってきます。ミリーはニッコリと振り返りました。

「お邪魔しまーす♪」

「よっしゃっ、これはネタになるな……!」

「……ま、程々に頑張れ」

 彼は見事最初の客引きに成功して、グッと拳を握ります。午後からの店番まで自由時間のキラは適当な応援の言葉を残し、ミリーと入れ違いに教室を出ていきました。