番外10.キラの誕生日
別に期待なんかしてなかった。祝われたいなんて子供じみた気持ち、オレにはない。
爺さんが校長をしている学校に入学し、生まれ育った家を出て、学生寮に入った。
ホールケーキを囲み、明かりの消えた部屋でロウソクの火を消して、プレゼントをもらって家族で過ごす、そんな絵に描いたような誕生日からは卒業したんだ。
夏休みが終わるまで約一週間。開けた窓の外は雲一つない快晴で、時々柔らかい風が吹き込んでくる。その度に、引き上げたブラインドが揺らされてカサカサと音を立てた。とっくに宿題を全て終えていたオレはこれといってやることもなく、床にクッションを敷いて膝の上でホウキレースの雑誌を広げていた。
だからその陽気な声は、静かな部屋にキーンと鳴り響いた。
「キラ! ボクだよ! いるかい?」
壁と閉めた扉を突き抜けて、外にまで漏れ聞こえていそうな声量。座ったまま顔だけ向けて返事を投げる。
「何だよ、うるさいな」
「開けてよ、両手塞がっててさ!」
「わかったからちょっと静かにしろ!」
恥ずかしくないのかこいつは。
雑誌を雑に放って立ち上がり、ドアノブに手を伸ばす。
赤茶色の髪に、オレと同じ藍色の眼。声の主は、満足気な表情で両手に荷物を抱えたソラ兄だ。右手に持っているのは小ぶりな紙袋で、左手にもう一つ提げているのはケーキの包み箱だった。
「誕生日おめでとう! キラ!」
こっちがムスッとした顔をしていても、気にする様子は全くない。マイペースに笑ったまま右手の紙袋を突き出し、オレに持たせた。
「家に帰らないって言うから、プレゼント持ってきたよ。こっちはケーキだからね。甘いの好きだろ? 今日のおやつはまだ食べてないよね? あああと、父さんと母さんからも手紙が届いてたよ。その袋の中に一緒に入れておいたから」
オレが口を挟む間もなく、まるで自分の部屋に帰ってきたかのように、ソラ兄は部屋へ上がっていった。ついさっきまでオレが座っていたクッションの向かい側に腰を下ろし、ガラスのローテーブルの上に残りの手荷物を置く。実家では二人で一つの部屋を使っていたから、同じ感覚で入ってきているのだろう。オレはというと、せっかく手に入れた個室に侵食してくる兄が少し鬱陶しかった。
「何勝手に人のポスト開けてんだよ」
「いいじゃないか、家族なんだからさ。それとも、兄ちゃんには見られたくないものでもあるのかな?」
「あるわけない。……こっちの封筒は」
「ああ、爺ちゃんから預かってきたんだ」
「それは見たらわかる」
渡された紙袋の中に、ラッピングにくるまれた箱が一つと封筒が二つ入っている。オレが取り出した縦長の封筒には、黒のインクで「キラへ 祖父より」とだけ簡素に書かれていた。
両親の手紙以上に殆ど厚みがなく、封を切ってみると高額紙幣が一枚出てきた。
「現金かよ」
「好きなもの買いな、ってさ。今日は夜まで仕事みたいだけど、ちゃんとお礼言いに行くんだよ」
オレはその声に返事をせず、引き出した紙幣を封筒に戻す。
爺さんは、不愛想だ。だからといって嫌いではないし、オレ自身も人のことは言えないのだが。むしろオレはそういう性質を爺さんから受け継いでしまったのかもしれない。ソラ兄のような性格にも別に憧れてはいないが。
二つの封筒を机の引き出しの中へ仕舞って、箱を取り出す。ラッピングを解いて開けると、更に小さな箱がぎっしりと詰め込まれていた。
「……この箱も、爺さん?」
「いいや、それはボクから!」
「何だこの数……」
ソラ兄は何故か誇らしげだ。
家の形をしたチョコの中に、動物の小さなフィギュアがランダムで一つ入っている商品だった。パッケージの側面にサンプルの絵が描いてある。バリエーションは九種類。加えてシークレットが一つあるが、それは黒い円で塗り潰されてシルエットもわからない。詰め込まれているのは全部でちょうど十個だ。
「久しぶりに見つけて嬉しくなっちゃって。キラ、よくこういうの集めてたもんね?」
自信満々なソラ兄に、オレは口を尖らせる。
「いつの話してんだよ」
「あれ、そうだった?」
「引っ越し前で記憶止まってるんじゃないか? いい加減に子供扱いはやめろ」
「ごめんごめん。じゃあ、ケーキももう食べない?」
「……もらう」
決まり悪くてぼそりと言うと、ソラ兄は何がそんなに楽しいのかニコニコ笑いながらケーキの箱を開き始めた。それもまた今までの誕生日に毎年家で食べたチョコケーキによく似ていたのだが、オレは指摘せず口をつぐんでいた。
ソラ兄はオレが選ばなかった方のケーキを食べて、その後もしばらく部屋に居座った。前期末のテスト結果や夏休み明けの学園祭の予定など、オレの近況についてひとしきり聞くと夕方やっと帰っていった。誕生日にかこつけてオレに構いに来たんだろう。いつまでも弟離れしない、過保護な兄だった。
当然ながら、今年はそんな風にソラ兄が訪問してくることはない。
別に初めから期待なんかしてないが。
ブラインドの外に鬱屈とした曇り空が広がっていて、湿り気を含んだ空気がじっとりと肌にまとわりついてくる。爽やかな夏日だった去年とは大違いだ。
去年はあの後、休み明けに数日遅れの誕生祝いを教室でももらっていた。エレナが、クラス全員の誕生日を把握して余さずに祝っていたからだ。今のクラスにはそのように先導したがるタイプの奴がいないため、そうした風潮は無い。だか、だからどうということもなかった。
散歩にでも出ようかとぼんやり考えていると、ドアがノックされた。ドキリとしたのはちょうど外に行こうとしていたからで、その他に理由はない。
「よー、キラいるかー?」
扉を開けて、廊下の明かりが部屋に淡く差し込む。
正面に立っていたのはレルズだった。
「何だ、どうした?」
「どうしたって、今日キラの誕生日だろ? ……だよな?」
「そうだけど……お前に教えたことあったか?」
「女子が去年盛り上がってたじゃん」
「……よく覚えてたな」
「あーよかった、間違ってたら超ハズいとこだった。危ねー」
レルズは事も無げに言っていたが、オレは驚いた。当日のことですらないのに、あの一度きりで覚えている奴がいたとは思わなかった。わざわざ夏休み中の部屋にまで訪ねてくる奴がいたことも、驚いた。
「だからほら、これやるよ」
声も顔立ちも似ていないにも関わらず、駄菓子の包みを一つ差し出してはにかむ顔が少しだけソラ兄を彷彿とさせたのはこの場所のせいだろうか。
「でさ、今日割と涼しいし、またこの前みたく練習付き合ってくんね? あ、気分じゃないとか用事あるとかならいいんだけど……」
「ああ、そっちが本題か」
「そ、そんなわけじゃねーって!」
思ってもいない冗談を言い、内心の僅かな動揺を誤魔化す。レルズは素直に、真に受けて否定した。
「いいけど、お前宿題は?」
「まだ平気だって! じゃあ門のとこで待ち合わせな!」
ころっと調子のいい笑顔を見せると、ボールを取りに駆け出していく。その後ろ姿を見送った。
――散歩は、別に今日じゃなくてもいいか。
駄菓子をズボンのポケットに入れ、タオルと水筒を取りに部屋へ戻る。
去年ソラ兄に押し付けられた大量の食玩をふと思い出し、一人苦笑を洩らした。結局コンプリートすることのなかったあのフィギュアは、一時期は机に並べて飾っていたが今は引き出しの中に仕舞われている。
何となく、久しぶりに中を覗いてみた。つぶらな瞳の小さな動物たちが、汚れ一つ無いまま変わらずに眠っていた。