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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

02.着任

 スズライトは古い伝統を重んじる国である。他国ではとうの昔に廃れた魔術の力を現在も行使し、その源となる自然を守り、そこに棲まう妖精の加護を信じている。

 元来、魔術とは人間に制御できるものではなかった。無秩序で、定められた法則がなかった。その理論を確立して体系化させ、誰にでも制御を可能にした人物は始祖の大魔導士と呼ばれている。その魔術の研究が行われていたのが、スズライトと名付けられたこの土地だ。

 魔術の研究とはすなわち、世界の理を書き換えるに等しい行為であった。

 妖精たちは魔導士とその協力者たちに手を貸し、人の世に多大な知恵と新たな文明をもたらした。文明を滅ぼされた事件の後のことである。妖精の力無くして世界の復活は成し得なかったことだろう。

 

 一度滅びた文明を立て直す中で、世界は東西で大きく二分されたと言っていい。西に位置するスズライトでは、始祖の大魔導士らとその子孫たちが魔術体系を完成させた。一方、海を隔てた先にある東大陸はまるで異なった発展をしていった。彼らは魔術を介さずに別の手段で世界の法則を読み解き、科学文明を発達させた。

 東西どちらにも共通して言えることは、長い年月がかかったということ。そしてその時の流れと共に、人間が妖精を知覚できなくなっていった点である。今や一体どれだけの人間が、妖精を信じているだろうか。彼らの存在を感じ取れているのだろうか。

 どんなに敬虔で信心深いスズライト国民であろうとも、ほとんどの人間が妖精と交流する力を失っている。他国の状況と同じように、妖精の姿は認識されなくなり、声は届かなくなり、ついには存在そのものすら忘れられつつある。

 要因は様々だ。人間の王が君臨するようになったこと、海を隔てた先にある大陸で魔術に代わって発展した幾つかの技術がスズライトにも取り入れられたこと、それによって魔術が淘汰されていったこと――総合するならば、人の世と文明の発展に起因していると言える。故に妖精は人間を責められなかった。

 しかし、淋しさが募ることも止められなかった。妖精は人間と同じ心を持っていた。

 二種族が共存していた時代は戻らない。それでも、少しでも、人間の傍に。昔のように。隣人でありたい。妖精たちはそう望むようになった。

 妖精は森の中に住処を持つが、一定の周期で一人の人間に化けて外へ出てくる。そして、そのまま数年の間は人間として暮らす。

 当初は人間を陰から守るために行われていたことだが、それが妖精自身の娯楽へと変化していった。破滅の日の再来に身構えることを忘れた日々はさながら、ままごと遊びのようだった。

 彼ら六人の妖精たちも、満月の晩に年二回の情報共有会を実施してはいるものの、近頃は雑談をするばかりである。それが腑に落ちていないのは、六人の中でセレナーデのみであった。

 彼女は仲間内の誰よりも生真面目だ。潔癖と言ってもいい。妖精たちの目的がすり替わっていく中、セレナーデはただ一人その風潮に馴染めずにいた。それほど気張る必要などないと仲間たちは言うが、セレナーデにだけはそうした楽観視ができないままだった。

 興味のある人間、親しい仲になりたい相手にあらかじめ目星をつけ、それに合わせた立ち振る舞いをすることは妖精たちにとって珍しくない。だがセレナーデのそれは、他の者たちと比べると感情に乏しい事務的なものだった。

 人間に好かれることが目的ではない。自身の役目はあくまで、人間たちの舞台が存続するよう守ること。そのために必要な人格や業務、立ち回りを吟味するのがセレナーデのやり方だ。

 当然この考えは悪ではなく、立派な心がけであると言える。セレナーデと顔を合わせれば決まって口論を繰り広げてばかりのメヌエットも、彼女のそうした姿勢については異を唱えない。ひとえに人間たちを大事に想うが故のことで、その想い自体はセレナーデもメヌエットも皆変わらないものだ。

 しかし、セレナーデは自分自身を不完全だと捉えていた。

 

 昔も今も変わらずに、彼女は妖精として人間を愛している。

 その一方で、恋焦がれるという感情が理解できないのだった。

 

 

 パルティナは、年若い女性の新任教員である。

 教育学部を修め、本年度からスズライト魔法学校に着任したばかり。担当する科目は魔術。ライトブルーの長髪をすっきりと一つにまとめ、二本クロスさせた紫のヘアピンをトレードマークとしている。好きな料理はシーフードパスタ。品行方正で正義感と責任感が強く、髪と同じ色の澄んだ瞳を光らせて鋭い物言いで指導をする。その姿は時に生徒から恐れられるようだが、臆することなく自分を貫く頑ななところもある。父も他校で教職に就いており、母は専業主婦。つい先日には誕生日を迎えたばかりだ。

 ――という設定になっている。

 事実、パルティナは学校に通っていなければ正式な教員免許も取得していないし、教師の父親も持たない。教員免許状は偽装しており、家族は実在すらしない。故に誕生日も捏造である。経歴も全て作り物で、でたらめだ。

 彼女には過去そのものが存在しない。

 セレナーデが演じる、架空の人物。それが彼女の正体である。

 妖精たちの力をもってすれば、人間社会を欺くこと自体は容易かった。彼らが人間に扮して森を出るときに用意するのは、ある一定の情報量を持った人物像のみ。それがさも事実であり疑いようのないことだと、高度な魔術によって人々を錯覚に陥らせる。人間が同じことをすれば法に触れる行為であっても、その「犯行」は人間には到底暴くことができない。

 「パルティナ」の人格は、妖精の「セレナーデ」に近しい面が多かった。また、教師という役柄と学校という舞台は、真面目で実直な彼女と相性が良い。セレナーデが「パルティナ」の行き場所にスズライト魔法学校の教師を選んだ理由は他にあったが、快適な環境であることには違いなかった。

 人間に化けている間、妖精はその人物らしい言動を完璧に演じようとする。しかし全てが演技とは限らない。妖精としての素の性格も、思考と感情も、変わらずに備え持っている。内面まで徹底して別人格へ成り代わるような妖精は、セレナーデの知る限りではいない。

 セレナーデの意思も記憶も携えた人物として、パルティナという女性はこの世に生み出された。彼女が人間社会へ現れたのは、つい最近の春のことである。

 

 春からの新年度に合わせて住処の森を出たセレナーデは「新人教師パルティナ」として真新しいスーツを身に纏い、さも当然といった顔でスズライト魔法学校の門をくぐった。「セレナーデ」には古くから馴染みある建屋を、「パルティナ」は新鮮な気持ちで見上げる。始まりの日に相応しい快晴の下、薄紅色の花びらがひらひらと舞っていた。

 彼女が一年目に受け持つことになった学級は、自分と同じ一年生のクラスである。入学式で全校生徒へ挨拶をした後、教室で改めて顔合わせが行われた。新生活への期待と緊張に揺れる生徒たちの顔には、まだあどけなさが残っている。

 自身の外見の若さ故に第一印象で軽視されないよう、パルティナはキリッと表情を引き締めて自己紹介をした。

 教師と生徒の年齢が近いことは良い方にも悪い方にも作用するものだが、この場では少々悪い方へと傾いてしまったようだった。質問を促すと、浮足立った様子の生徒が一人、挙手をしてパルティナへ軽い口調で質問を投げかける。

「先生は、恋人っていますか?」

 想像の範疇ではあった。生徒から教師へこのような質問が飛ぶのはままあることだ。

「いませんよ」

「じゃあ今好きな人は? 告白されたことは!?」

「何もありません。いいですか、大人にそんな質問は――」

「本当っすかー?」

「嘘だ~! 先生美人ですもん!」

 パルティナは毅然とした態度で答えるが、続々と他の生徒たちも声を上げてくる。これ以上何と答えても無駄だと早々に悟り、自分への質問を強制的に切り上げさせた。この一件でクラスの生徒たちには親しみに欠ける印象を与えたようだが、致し方ないことだと諦めた。

 職員室へ戻り、次は職員へ向けた自己紹介だ。自分ともう一人の若い新人に皆の興味が注がれているのがパルティナにはわかった。

「お二人は学生時代の同級生で、出身地も同じだそうですね」

 ベテランらしい雰囲気の漂う女教師が尋ねる。

 パルティナと肩を並べた眼鏡の男が、和やかな雰囲気で微笑みながら平然と答えた。

「はい。一人ではなくて嬉しいです。彼女は昔から優秀でしたから、僕は密かに憧れていたのですよ」

 女教師が口元に手を当てて「まあ」と零し、彼女を含めた数人の先輩職員が目を丸くして二人を交互に見た。パルティナは居心地が悪かったが、無視して平静を努めた。

 パルティナの同期となる彼の名はギアーという。紹介された通りパルティナとは学生時代からの知人であり、気心の知れた仲だ。

 無論、これもまた「ギアー」の設定にすぎない。

 ギアーは、妖精の仲間のプレリュードが構築した人格だ。プレリュードの外見年齢をそのまま引き上げたような、温厚そうな青年の容姿をしている。飄々として笑顔で煙に巻く言動も、素のプレリュードとほぼ変わらない。教員として受け持つ科目は古典ということになっている。

 セレナーデとプレリュードは同時にこの学校へ「着任」した。それは互いに示し合わせた上でのことだった。

 ギアーが丸眼鏡の奥に光るマリーゴールド色の瞳をスッと細める。

「今後ともよろしくお願いしますね、パルティナ先生」

 先輩職員たちから向けられる好奇の目を意にも介さずにこやかに告げるギアーに、パルティナは内心頭を抱えたい思いだった。

 

 一年を担当するパルティナに対し、ギアーは二年の授業をすることになっている。これは妖精たちによってあらかじめ決められた通りのことだった。そうなるように、彼らの魔術によって人知れず仕向けられていた。

 どのような人間を演じ、どのように生きるのか。それらは各々の自由だ。だが時折「神」の啓示が下りることがあり、その際のみは例外である。

 とある日暮れに、何の予兆もなく「神」は現れた。実に数百年ぶりのことであった。

 

 一年後、スズライト魔法学校で「面白いこと」が起こる。

 

 たったそれだけを告げると、「神」は地上を嘲笑いながら高みの見物へと戻っていった。

 妖精と同様に遥か古代から世界を俯瞰している、運命の神々が気まぐれに命じる言葉。それは神託と呼ぶにはひどく曖昧であり、同時に意地が悪い。しかし、その預言は常に真であり決して抗えないことだと、この数千年で妖精たちは思い知らされていた。六人は緊急会議を開いた。

 定例会に参加する六人は一つのチームのようなものだ。彼らの中には、常に必ず一人は人間に扮することなく妖精のまま待機するというルールが定められている。それはこうした突然の事態にも対処できるようにするためだ。発案者はセレナーデだった。

 この時点で既にメヌエットとレクイエム、ラプソティーの三名は「人生」を始めており、商店街にそれぞれ店を構えていた。残っていたのはセレナーデ、プレリュード、ボレロ。そして、次に待機するのはボレロの番だと決まっていた。

「二人共スズライト校に行くのがよろしいですわね」

「それがええやろなあ。ほな、セレナーデは二連続で学校かいな。飽きひん?」

 ラプソティーが話を振り、ボレロが少々げんなりした様子を見せる。セレナーデは静かに答えた。

「飽きるということは別にないけれど……」

「”前”は城下町んとこで学生やっとったな。せやったら”次”は先生でどや?」

「そうね。勝手もわかっているし。元々あそこにはソラがいたから、どちらかが行かなければならないとは思っていたわ」

 セレナーデがこれまでに教師の人間を演じた経験は何度もあった。また、国内の様々な学び舎に新入生として紛れ込んだ経験も数え切れないほどあった。それはスズライト魔法学校に限らない。国内で最も難関とされる王立魔導学校。北部の山奥に佇むティンスター教会学校。商業科や医学科で専門的な学習ができるウェルシィ一校及び二校。異国文化を進んで取り入れているサンローズ学園。国内あらゆる地域の、学校と名の付く全ての場をセレナーデは制覇していた。

「では、僕も先生にしましょうか」

 情報共有をしやすいようにと、プレリュードも教師として共にスズライト魔法学校へ潜り込むことが決まる。

 話題は「神」の預言が意味するものの推測へと移った。

「珍しく口を出してきたかと思えば、いい加減もいいところだわ」

「何が『面白いこと』なの! ぜーったい何も面白くないの! 良くないことに決まってるのー!」

 セレナーデが溜息混じりに愚痴を零し、メヌエットも後に続いて声を荒げる。妖精たちは皆総じてかの神々が好きではなかった。

「あの人らの感性はホンマにウチらと別物やからなあ。どうせ碌なことにならないんやろうけど……やっぱソラが危ないんやろか」

「そのことならレクイエムがいるのっ。ビシーッと守ってくれるから心配いらないの! ね!」

「………」

 メヌエットが飛びつくようにしてレクイエムの手を取る。彼の左腕にぶら下がっている手枷が揺れて乾いた音を立てた。

 ラプソティーは桃色の光を柔らかく明滅させ、セレナーデとプレリュードの二人に微笑みを向ける。

「今回の件について、お二人にだけ任せることはいたしませんわ。この一年間は、わたくしたちもあの学校に属する人間には特に注意いたしましょう」

「ウチはいつでも準備万端やからな! 何かちょっとでも気になったらすぐ言うてや! 任しとき!」

 ボレロの赤色が激しく瞬き、燃える炎のように揺らめいた。

 

 こうして、パルティナとギアーの教員生活が始まった。