創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

番外11.とある日のリゼ

 裏口の扉から外に出ると、夕方なのに建物の隙間からカッと日差しが照り付けてきた。思わずキャップ帽の上から手をかざす。

「リゼちゃん、お疲れ様」

 後ろから出てきた同僚の子が、明るく話しかけてきた。

 夏季連休の間だけ、アタシと同じように短期バイトでこの喫茶「マジカル」へ勤めることになっているスタッフ。笑うと小さく覗く八重歯が特徴的な、素直な子だ。仕事以外の話はまだ殆どしていないけど、見たところ同い年くらいだろう。

 アタシが勤務態度を改めて接するようにして以降、彼女の方からも話しかけてくるようになった。そのおかげでアタシを疎ましそうに扱っていた先輩スタッフたちの態度も少し軟化されたようだった。この子がいてくれて良かったと思う。

 初日だからということで、アタシたちは早上がりだ。商店街を出るまで少しの間一緒に帰った。

「リゼちゃんの家ってどの辺?」

「あーっと、そうね、あっちの方よ」

 適当に妖精の森が見える西側を指差す。嘘じゃないわ。

「反対側かあ、私は寮だから向こうなんだ。じゃあ、またね。明日も頑張ろ」

 どうやらスズライト魔法学校の生徒らしい。ルミナとキラも、あの学校の生徒なのよね。二人のこと聞いてみればよかったわ。明日話そうかしら。

 東南の空の下の、遠目にもよく見える大樹のシルエットが学生寮だ。彼女は箒に跨って飛び去っていった。

 箒には白い綿のように魔力がまとわりついていて、遠ざかる様はまるで発光する雲のよう。

 そんな風に見えているのは、少なくともこの辺りだと双子の姉メアリーとアタシの二人しかいないみたい。箒の後ろからボロボロと零れ落ちている魔力の塵だけは他の人の目にもかすかに見えるそうだけど。

 それは太陽光にチカチカと反射して、塵のようだ。

 

 アタシたちが半霊族として生まれたこと、そして一般には目に映らないはずの魔力が見えていることが判明したのは早かった。真っ先に違和感に気付いたのはアタシだったか、メアリーだったか、それともお父様か家庭教師かメイドか庭師か……。ともかく、アタシたち双子と他の人との間では世界の見え方が違うと踏まえた上で、屋敷の中だけで専用の教育が始められた。

 先生が唱えた術とアタシたちに見えた光景を一つずつ擦り合わせ、どの現象が何の魔法を表しているのか学んでいくのは地道な作業だった。だけどそのおかげで、今となっては蠢く魔力を見ればその内容や力の強さまで見極められるようになっていた。

 人が魔法を唱えると、込められた術式に従って放出された魔力の塊が術を具現化させる。

 しかしその魔力の構造は大抵の場合あまり美しくない、というのがアタシの感想だ。だから正確にはアタシたちに見えているのは魔力じゃなくて、構築された術式の形とそのクオリティなんじゃない? と考えているのだけど確かめる術はない。何しろ答えを教えられる人間がいないんだから。多分、家庭教師の先生だってアタシたちのことを半分も理解していないわ。

 例えば、箒を飛ばすときの雲のような魔力は常に崩れ続けているほどに結束が脆く不安定で、比率も均一じゃない。術式の構造自体には問題ないが、術者の力が伴っていないせいだ。皆は箒が漏らす魔力の光を綺麗だと言うけど、アタシには穴の開いたクッションから綿が飛び出しているようなものとしか感じられなかった。

 他の魔法も同様に、いびつに歪んでいたり、灰色に濁った不純物が混じっていたり、不器用なパッチワークみたいに格好悪い継ぎ接ぎがあったり。どんなに高名な王宮魔導士が唱える術だろうが全部そう。絶対どこかに綻びがあり、魔力が零れて無駄になっている。それを知りもせず鼻高々になっているあいつらは滑稽で、面白くない。

 人間の書いた術式は所詮その程度。それが人間の限界。

 そう悟ってから、アタシは本気で勉強するのが馬鹿らしくなってしまった。魔法以外も、全てが。

 

 魔力が見えるということ。それはつまり、魔法にかけられて魔力をまとっている物の見分けがつくということでもある。箒も、身体強化を施した人間も、遥か遠い空の彼方に薄く張られた結界さえも。

 それを羨む人はいた。確かに、便利だろう。アタシたち姉妹の目に映るスズライトの空や森は世間に伝わる姿より美しいのだろう。

 けど、魔法と呼ばれる現象は綺麗なだけじゃない。この「能力」を羨ましがる奴らには、都合のいい表面的な部分しか見えていない。他人を貶める呪いもれっきとした魔法の一種なのよ。

 アタシとメアリーは魔力が見えて得をしたこともあれば、嫌なものを目にする機会だって何度もあった。魔力の光と共に重ねられた、陰険な策謀や醜い感情がアタシたちには全て見えてしまうから。

 魔法使いが――いや、人間がどれほど汚いものか、アタシたちは今よりずっと幼い頃に嫌というほど突き付けられている。十数年も続けばもう慣れたものだけどさ。

 半霊族の力はどうあっても捨てられない、一生の付き合いになるもの。だからうまく利用して生きるのが賢い選択。昔そう教えてくれたのはお父様と、執事長のリアスだ。

 アタシは二人の言葉通りに強かに生きると決めている。魔力が見える「体質」に開き直って、アタシを窮屈に縛る家柄もその権力も全て使い倒して、好きに生きてやるのよ。

 家や城の中だけの狭い世界になんて囚われない。魔力にも他人の心にも縛られない。アタシが生きるのは、この広い空の下の世界なんだから。

 

 妖精の森を経由して屋敷と行き来ができる、先日発見したばかりのあの抜け道はなかなか優秀みたいだ。二日目のバイト日も同じ時間に同じ道で外へ出られた。塞がれてないってことは、このルートはまだバレていない訳だもの。

 昨日は小細工無しでシンプルにお稽古をサボったが、今日は身代わりとして認識阻害の魔法人形を置いてみた。ただの人形を「ネビュラ」だと錯覚させる魔術だ。いつまで効くのかしらね? メアリーには言葉通り一目で見抜かれてるだろうし、あの子の態度で先生にもバレそうだからあまり信用はしてないけど、まあ別にアタシの居場所さえ見つからなければ何だっていいわ。ちょっとお説教されるくらいどうってこともないし。むしろ、難度の高い術を成功させていると褒めてもらいたいわね。

 バックヤードの扉を開き、明るい挨拶を発しながら出勤して、アタシはスズライト家の「ネビュラ」から一市民の「リゼ」へと心のスイッチを切り替える。

 キッチンの角から柔らかな声がアタシを呼んだ。

「おはよう。早いのね、リゼさん」

 どこかの貴族令嬢みたいにぐるぐる巻いた二つ結びの髪。黒いシャツの袖口や襟元にあしらわれたフリル。それらの幼げなパーツを引き締めるのは、艶やかなリップを塗った唇と上品に澄んだ桃色の瞳。

 底の見えない、遠く別世界を映しているような目をしたその女性は、店長のパフィーナ。

「おはようございます!」

 パッととびきりの笑顔を振りまいて返事をしつつ、ああやっぱり今日も変わらないわね、と心の中で呟いた。

 初めて会った日から、アタシの目にはずっと見えている。

 この人が全身に魔力を纏っていることが。

 

 何で? と、まず思い浮かんだのは疑問符だった。

 最初に彼女と会ったのはバイトの申し込みに行った日、面接の場。

 頭のてっぺんから爪先まで余さず、薄い膜のように魔力の光を帯びている……つまり外見に魔法で細工している店長を見て、反射的に体がこわばってしまった。これまでの経験上、そうやって外見を偽った人間に関わると大抵ろくなことにならなかったもの。世間の共通認識においても、人の見た目を魔法で変えさせることはあまり良く思われていなかったはずだ。……ま、メアリーとティーナが言うにはあのミリーちゃんも変装に使ってたらしいし、一概に悪とも決めつけられないものなんだけど。

 けど、たかだか一商店街の喫茶店の店長がどうして、魔法を使ってまで容姿を整える必要があるワケ? アイドルやモデルでもあるまいし。というかそれは、魔力に頼らずその身一つで勝負しているミリーちゃんみたいな実際のアイドルたちに失礼じゃない。

 事務室には二人しかいなかった。「見えている」ことを悟られないよう、平静を装う。

「リゼさん、ね」

 彼女は何食わぬ顔でアタシの向かい側の椅子に座って、でたらめに書いた詐称だらけの経歴書に目を通していった。

 この人は容姿を偽っている。

 だけどアタシも、容姿以外を偽っている。

 互いに無言で嘘をついて向き合うアタシたちの間で、時計の針がカチコチと音を立てていた。

 面接といっても、一週間の短期バイトだから内容はあっさりしていたと思う。問われたのは志望動機と意気込みくらい。店長はアタシの上っ面な回答に満足げな笑みを浮かべて頷いていた。そうして難なく採用が決まり、面接は終わった。さすがのアタシも、仕事に無関係かつ店長個人に関するような質問をこの場でぶつけるほど無神経にはなれなかったのだった。

 その後、バイト初日で顔を合わせたときも、今日も、店長の容姿は同じだ。ティーナも誰も何も言ってないし、彼女は普段からいつでもこの姿で人前に出ているのだろう。

 でもアタシには見えているわ。その体も髪も瞳も全部、この人が生まれ持った本当のものじゃないんだって。

 見えないのは、その心の中だけだ。

 

 しかも、働き始めてからも不可解なことが新たにもう一つ見つかった。

 それは、昨日もよくオーダーされていた人気メニューのドリンクのこと。噂は聞いていたけど、現物を初めて間近で見て何らかのまじないが込められていることがわかった。

 グラスの底に、溶けない角砂糖のように白い魔力の結晶が幾つも沈殿している。また、半透明のドリンクの中を魔力の帯が旋回して光の軌跡を描いている。体内に摂取する食品にまじないをかけることは珍しくないしそれ自体は別にいいんだけど、問題はその内容だ。

 魔力の結晶も帯も異様なほど繊細で、繋ぎ目も綻びも一切見られない。その上、この魔力の正体が全く理解できない。

 どんな意味を持つのかがまるでわからなかった。どれも一度も見たことがない型で、こんなのは初めてだった。

 かろうじて、精巧に組み上げられた術式だということだけはわかる。美しすぎて、恐怖に似た畏れすら覚えるほど。アタシは何度も見間違いを疑った。

「リゼさん? どうかした? 二番テーブルは向こうの、女性三人の席よ」

「は、はい!」

 店長に言われてハッとし、指示された場所へすぐに持っていく。その間も内心では懐疑心と動揺がずっと渦巻いていた。

 そのドリンクが飲まれるところを盗み見ていたものの、何もおかしなことは起こらない。店長も特にその座席へ意識を向けている様子はない。飲み干されて空になったグラスには、魔力の跡も残っていなかった。

 

 疑問を抱いているのはアタシだけ。

 あのドリンクを作れるのは店長ただ一人で、他の店員には決して作れない。季節に応じて味を変えるそうだけど、店長のみが製法を知っている点は決して揺るがない。その理由は、密かに施されたあの魔力以外に何があるというのだろう。

 訝しさが膨れ上がる。

 外見を偽って、得体の知れない魔法を商品に込めて、一体何のつもり?

 昨日はまだ初日だったし、他に対処すべき問題もあったから殆ど暇はなかったわけだけど。店長本人でもティーナでも誰でもいいから、とにかくあの魔法が何なのか聞いておきたいわね。

 呪いや悪意でないことを願いたい。疑いたくない。けど、もしアタシやティーナたちに害を与えるものだと発覚したなら、問い詰めるしかないだろう。その結果こっちの嘘がバレることになったとしても、そのときはそのときだわ。

「着替えて手を洗ったら、日替わりの内容と予約席を確認してね。じきに皆も来るから、詳しい話はそれから聞くといいわ」

「わかりました」

「昨日は大変だったのではなくて? まだ慣れないでしょうし、わからないことは何でも聞いてちょうだいね」

 店長は今日も薄い微笑みを湛えている。吸い込まれそうなその瞳の向こう側は、まだ見通せなかった。