番外06.ネフィリーの後夜祭
キャンプファイアを中心に照らされて、グラウンドは楽しげに輝いている。学園祭最後の催しであるフォークダンスがもうすぐ始まるところで、炎の周囲には生徒たちの輪が作られていた。
私はその輪の手前でためらいを覚えて、クラスの皆と別れた。横に曲がり、一人で中庭の方に足を進める。燻る火種の匂いの混じった風が頬を撫でて、クラスメイトが二つに結わえてくれた髪を揺らした。
暗がりの中に轟々と燃えている大きな炎。自分はその影に飲み込まれてしまいそうな気がした。
私は今でも、明かりの中にいることに負い目を感じる。馴染めている自信を持てずにいる。こうした行動が余計に拍車をかけるのだと頭ではわかっているけど、どうしても慣れることができない。
離れるにつれて炎の明かりは届かなくなっていった。薄暗いこちら側の方が私の心は落ち着いた。
視線の先、夕闇の中に、地面に近い位置で橙色の灯火がぽつぽつと浮いているのが見えてくる。コミナライトの花壇だ。表彰の花束や後夜祭の装飾に使われても全て摘み取られたわけではなく、何本かは植えられたままだった。
皆グラウンドに行っていて誰もいないと思いきや、花壇の横にしゃがみ込んでいる人影があった。
私服姿だけど、私たちと年齢の近そうな少女だ。ふわふわとしたカーディガンと瞳、外巻きの髪の毛は空色。半分ほど橙の照り返しに染まっている。
少し離れた場所に立ち止まっている私のことには気が付いていないようで、大きな声で独り言を言っている。
「ミリーがもらってた花束のお花! 凄いなあ、本当に光ってる。家の近くに咲いてるのは見たことないけど図鑑には載ってたかも……何て名前だったかな……?」
声をかけるべきか迷っていると少女がこちらに振り向いて、視界に入ってしまった。
その花はコミナライトだよ、と教えて、近付く。
少女はハッと目を丸くして左右を確認すると、おずおずと私を見上げた。気恥ずかしそうに体を縮こまらせ、声をすぼめる。
「え、えっと……、わたしの声、聞こえてました……?」
「うん、……ごめんなさい?」
「い、いいえ! 誰にも聞こえてないと思ってたから驚いただけで、その、教えてくれてありがとうございます~」
髪のハネを手櫛でいそいそ直し、動揺を落ち着けるとにっこり微笑んだ。柔らかな印象の子だった。
「ミリーに花束渡してた人ですよね」
「う、うん」
朗らかに話しかけてくる。壇上に立つとき、皆ミリーを見ていて私のことなど誰も気に留めていないだろうと言い聞かせて緊張しないようにしていたのに、彼女にはしっかり顔を覚えられていたらしい。恥ずかしさをごまかしてミリーのファンなのかと尋ねると、少女は元気よく頷いた。
「あなたもそうじゃないんですか?」
「私は、今日初めてミリーが歌ってるところを見たよ」
「え!?」
「コンサートに行ったことは無かったし、ミリーの歌のこともよく知らなかった。私が知ってたのは、活動を止めてからのミリーだけなんだ」
「……そうだったんですね」
少女の声のトーンが少し落ちた。ミリーが活動休止を発表した日のことを連想して、そのときの気持ちを思い出したのかもしれない。気が利いていなかった。言わなければよかった、と後悔する。
私はその当時のことを知らないし、アイドルというのも正直今もちゃんとわかってないけど、ファンの人たちの熱量と歌って踊るミリーの姿を実際に目の当たりにして考え方を少し変えさせられたと思う。
「ミリー、凄かった。みんなが噂する訳がわかったよ」
「そうでしょ! あなたもファンになっちゃったんじゃないですか?」
「ふふ、そうかもね」
すぐに少女は元の調子に戻り、私は安堵した。
私にとって、ミリーはミリーだ。そこには何の肩書きも無い。ただ純粋に一人の友達として、彼女を凄いと思う。尊敬する。みんなを楽しませようとする気持ちに溢れていて、誰もが惹きつけられてしまうと思った。
この感嘆がファンの人たちと同じものだというのなら、きっと少女の言う通りだろう。
と、思ったのだけど、次に彼女が発した言葉は私には意外だった。
「でも、あれはまだミリーの全力が出てなかったな。しばらく休んでいたから仕方ないとはいえ、本当のミリーはもっと凄いですよ」
「そ、そうなの? 私には全然そうは見えなかったけど。ファンなのに厳しいんだね……」
「ファンだから、厳しいのです」
おどけた口ぶりで言った少女は楽しげだ。
少女は私を見上げて笑いかけると、明るい声色で話を続けた。
「羨ましいなー、ミリーと同じ学校。わたしもこの学校に通いたかった」
「他の学校? ……サンローズの人?」
「ううん、ティンスターにある教会学校です。わかります?」
「ティンスターって……ミリーの家がある町だったような」
「そうなんですよ~」
私の疑問に答えて、誇らしげな顔をする。自分の故郷からミリーのような有名人が輩出されたことが自慢みたいだ。
しかし不意に、少女は目線を落とした。表情が陰る。
「本当に……こっちに来たかった。そうしたら、きっと……あなたとも友達になれたんだろうな」
最後の方は囁き声のようだったけど、周りは静かだからはっきり聞き取れた。
ミリーじゃなくて、私……?
少女は立ち上がり、横顔を向けたまま独り言のように呟く。
「もう、行かなきゃ」
このとき、よく見たら彼女が履いているのはスリッパだったことに気が付いた。来客用の備品は学校名が印字されていたはずだけど、彼女のそれは無地だった。
少女がゆっくりとこっちを向く。海のようにさざめく瞳で私をじっと見つめて、微笑みかけた。
「お話できて楽しかったです。ありがとう」
空色に橙色が混ざり合った少女の姿はまるで夕暮れみたいだ。沈んでいく太陽と共に夜の闇へ溶けて消えてしまいそうに儚い。
何故か、漠然とした不安に駆られた。
「ま、待って。あの、せっかくだから、名前……」
「――まさか、いるとはな」
「え?」
呼び止めようとしたところに、私ではない別の声が被さる。男子の声色。
振り返るとスティンヴがいた。昼間や表彰のときと同じ執事の格好で、校舎の角から気だるげに見ている。
「どうしたの、こんなところに何か用事? 後夜祭は?」
「別に……。あんたこそ何してんだ。行かないのか」
「私は今、この子と話を……」
近付いてくるスティンヴに言いながら、向き直る。
「……誰もいないけど」
そこに少女の姿はなかった。
私の正面に立っていたはずの彼女は、見渡してもどこにもいない。
「学校の奴? ……一般公開の時間はとっくに過ぎてるだろ」
スティンヴに白けた視線を向けられた。信じていない顔だ。
確かにそこにいたのだけど。
まるで幻を見せられていたような、不思議な感覚が残っている。
もしまた会えたら、名前を聞けるだろうか?
次の機会があるなら、そのときはミリーも呼んで三人で話をしてみたいと思う。
少女が屈んでいた場所に開いた隙間は、ゆらゆらと揺れる橙色の灯火に丸く照らされていた。