創作小説公開場所:concerto

バックアップ感覚で小説をアップロードしていきます。

[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

13.影と足音(2)

 路地裏は日中もあまり光が射さないので湿っぽく、建物の壁に触れるとひんやりしています。シザーは壁を伝いながら狭い道を進んでいきました。ほぼ一本道ですがミリーの姿はなかなか見つからず、薄暗い中に目をこらします。
 少し歩くと、角に差し掛かりました。そのまま直進する道と、右に曲がる道とがあります。シザーが壁伝いのまま曲がると、人の気配がありました。ミリーが、壁に寄りかかって座っています。膝を抱えて背中を丸め、顔を埋めていました。彼に気付いた様子はありません。そっと回り込むと、傍らに伊達眼鏡が外して置いてあります。
「ミリー」
 正面に立ってシザーが声をかけると、肩を跳ね上げて勢いよく顔を上げました。驚きで見開いた目にうっすらと涙が溜まっていることに気付いて、少し目を見張ります。彼の顔を見たミリーは逃げ出そうとしたのか眼鏡に手を伸ばしますが、なんとそこにシザーが腰を下ろしました。
 慌てて手を引っ込めて、訳がわからないといった顔で固まります。彼は無言で、彼女の方を見ることもせず、ただ隣に座っていました。ミリーも居直って、黙り込みました。袖口で頬の涙を拭います。どうもできず困っていたミリーに、真正面を向いたままでようやくシザーが口を開きました。
「落ち着いたか? ……どうかしたのか」
 彼女は、目だけで盗み見るように彼の姿を確認します。いつも見る険しい横顔に変わりはありませんでしたけれど、ミリーのことですからきっと雰囲気に何か違うところがあることを感じ取ったのだと思います。小さく鼻をすすって、恐る恐るといった風で事情を話し出しました。
「……歩いてたら人にバレちゃって、周りに人は少なかったけど、歌ってって言われて……歌えなくて。……、逃げちゃった」
 シザーも、私が知っていたくらいの噂話なら耳にしていました。恐らく、彼女についての情報量に関しては私と何ら大差なかったと思います。
「歌うのは嫌?」
「……わかんない、けど、歌えないよ……」
 ミリーはしゃくりあげ、より強く膝を抱え込みました。それきり彼はまた黙って、何もアクションは起こさずに座り続けます。とうとう疑問を口にせずにはいられなくなり、ミリーの方から言葉を投げかけました。
「……訳は聞かないの?」
「聞いてほしいのか?」
 逆に問われて顔を向けると、彼もこちらを見ていて視線が合ってしまい、捕らわれたかのように体が固まります。シザーの瞳は深い黒色で、綺麗でした。こんな目をしていたのかと、彼女はこの時に初めて気付いたそうです。それは今までずっと、見ようとしなかったものでした。
「お前が言いたいなら言えばいいし、言いたくないなら別に聞きゃあしないよ。俺でいいなら聞く。話してスッキリすることってあるだろ。けどよ、言うのも辛いなら無理して吐き出す必要はねえから。俺はただ気になって来ただけの、野次馬みたいなモンだからさ」
 ミリーは不思議に思います。彼との接点など、それこそ現在のクラスが同じだということくらいしかありません。ましてや、彼女は自覚しているほどに彼を避けていたのですから、本人にも伝わっている可能性は十分にあると思っています。それにも関わらず、どうして彼がここにいてこんなことを言うのか、彼女の理解の範疇をとうに超えていました。
「……ごめん」
「何で謝るんだよ」
「だって、ワタシ……! ……ごめん、ごめんね、でもやっぱり、言えないよ」
「そか。ま、そうだよな」
 シザーが頭を掻き、決まり悪そうに斜め頭上へ視線を向けます。尚も空には灰色の雲が広覆い被さっていて、ただでさえ薄明かりしか届かないこの路地裏はすっかり暗くなってしまいました。砂を払って立ち上がり、シザーは先に帰ろうとします。彼なりに気を遣ったのでしょう。しかしそれを、ミリーは袖口を掴んで引き留めました。
「待って! ……あの、本当にごめんね……今まで」
「今まで? わり、俺何かされたっけ。覚えてねえや」
「貴方のこと、よく知りもしないくせに勝手に怖い人だって思い込んでた……そのせいでひどい態度もとったよ」
 彼は、顎に手をあて首を捻っています。最も、ミリーは思いを伝えることに必死でその姿を見る余裕などなかったのですけれど。
「ワタシ――」
「あーいーよいーよ、気にすんな謝んな。それよくあることだから、多分。それよりお前、一人で大丈夫か? 男と一緒だと色々マズいだろうし、一緒には帰れねーけど……」
「それは平気……ありがと」
「ん。……ミリー、やっぱお前笑ってる方がいいよ」
「ふぇ!? え!?」
 かすかに微笑みを浮かべていたミリーの全身がビクッと震えて縮こまり、掴んでいた手も離れました。思うように言葉が出てこないのか、開いた口からは音が出てきません。褒められ慣れているはずの彼女ですが、本当に驚いたようでした。
「元々アイドルっていつも笑顔なもんだけど、そういうの抜きにしてもそっちのがお前らしいと思うぜ。明日の学校にはちゃんといつも通りで来いよな!」
 そう言って屈託なく笑い、背を向けて歩きながら一度手を振りました。ミリーは唖然としたまま、その後ろ姿を見送ります。改めて座り直すと、カチャンと伊達眼鏡が触れました。再びかけて、その両手で赤くなった目元と頬を包み隠したのでした。