創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

01.無知な少女

 これは、私がまだ何も知らない少女だった頃のお話です。
 まず初めに断りを入れておきますと、時を重ねた今となっても私の知る由でない出来事はあまりに多くありますので、全てを語り切ることはできません。親しかろうとも知りえない友人の一面、思い、過去などは勿論のこと、一部の人物にしか与えられない情報というものもこの世の中には存在するものです。
 私が話せるのは自分が見聞きした限りのことだけ。それだけではこの国を、魔導大国とさえも呼ばれるここスズライトを語り尽くすことなど到底できないことなのでした。ですので、私の語りには未だ不十分なところがあることをご理解頂けるよう申し上げます。

 スズライトは母の出身国であり、私はそれまで隣国のラグライドに住んでいました。同じ大陸に位置する国ではありますが唯一の国境は山岳地帯ですので、船で迂回して向かうことになります。さすがにもう桜は散ってしまった春のこと、短くも私にとって初めての一人旅でした。
 船から降りるとすぐに、菫色をした円錐形屋根の塔を持つ王立魔導学校が見えます。私の目的はこの国で魔法を学ぶことでしたが、目指していたのはここではありません。この王立魔導学校は高い学力と魔法の実力を要求される場なので、私のような者では入学すら不可能でしょう。目的地はもう少し南下したところにあり、ここの準備期間とされることもある、スズライト魔法学校という全寮制の学校でした。
 必要な荷物は事前にそちらへと運び込まれてあります。私はほぼ手ぶらに等しい状態で、母に描いてもらった簡易な地図を手に、港を出るべく歩きました。ようやく訪れた魔法の国なので観光をしたい気持ちもあったのですが、きっとそうしたら日が暮れるか迷うかしてしまうなあと思ってどうにか誘惑に耐えていたのです。
 しかしその我慢も空しく、私は迷子になってしまいました。いつの間にか深い森の中にいて、そしてどんなに進んでも同じところを歩いているような感覚に陥ってしまったのです。ついさっきまでの賑やかで目新しい街の気配はすっかり消えて、どこを見てもただ青々とした木が立ち並ぶばかり。スズライトは国土の半分近くが森で覆われているそうなので、きっとここもその一部なのだろうくらいのことしか理解できませんでした。
「ず、ずっと歩いていったら、出口はあるよね」
 急に押し寄せてきた、胸を押し潰しかねない感情を誤魔化そうと私は独り言を呟きました。かえってそのせいで静寂が際立ち、心細さが増します。空は朝から変わらず青いままでした。

 どれだけ歩いたでしょうか。こんなピンクのワンピースじゃなくてもっと動きやすいズボンをはいて来れば良かった、とか森の小屋に住んでいる鼻の長い魔女がいないのかな、とかそんなことをぐるぐると頭の中で考えながら地図を握りしめて足を進めていると、何か黒い物が目に映りました。人です。黒い上着を着ている人影が木々の合間に見えて、私はただ人に会えたというだけで救われた気になって駆け寄りながら声をかけました。ちょうど同年代くらいで、外側へ跳ねた私の金髪に対し真っ直ぐな銀髪の少年です。彼は一瞬驚いたようでしたが、唐突な私の質問にも答えてくれました。
「あのっ、すみません! ここはどこでしょうか!?」
「!? ……妖精の森、だけど」
 妖精。本の中でしか出会えなかった言葉。その響きを耳にしただけでも、先程まであんなにも縮こまっていた体が幾分ほぐれました。我ながら単純なものです。彼は不思議な物を見る目で私を見ていましたが、その時の私はそれに気付きませんでした。
「……迷ったのか?」
「うぅ、はい。スズライトには今日初めて来て」
「……まあ、いいや。それならついてこい、とりあえず森の外まで行くから」
「いいんですか! ありがとうございます!」
「別に。暇だから」
 全体的に細身で柔い印象の彼ですが、顔つきや声はそれに反してどこか硬いところがありました。

 妖精の森と呼ばれるこの森は、いくら入念に注意しつつ奥へ行こうとしても気付けば元来た場所に戻っているので、妖精が何か人の入って来られないような仕掛けをしているのだと語り継がれている場所だそうです。そんな森で迷子になった私は妙だったのだと知ったのは、大分後になってからのことでした。
 さくさくと二人分の足音だけが聞こえています。私は基本的に沈黙が苦手だったので、少しでも場を繋ぐべく口を開きました。
「多分だいたい同い年、ですよね。私、明日からここのスズライト魔法学校に転入することになってるんですけど、知ってますか?」
「ああ、お前か。オレはそこの生徒だよ。ついでに、多分同じクラス。転校生が来るって先生が話してた。キラだ」
「本当ですか! あ、えっと、私はルミナっていいます」
「敬語じゃなくていい」
 キラは私の前にいて、振り返ることはしませんでした。あまりフレンドリーな人ではなさそうですが、悪い人でもないでしょう。
「森の道が全部わかってるの?」
「いや。適当に歩いてる」
「えっ」
「ほら、出たぞ」
 言った通り、視界が開けて若草の草原に出ることができました。くしゃくしゃになっていた地図を広げて、ここはどの辺りかキラに示してもらいます。少し足が疲れてきましたが、もう学校と寮はすぐそこです。ここまで来ればもう大丈夫、と彼にお礼を言って別れようとしたところ、向かい側からこちらへ誰かが歩いて来ました。
「あら? ねえちょっとキラ、その子は誰かしら? 周囲にはひた隠しにしてきた彼女だったりするのかしら?」
「な、違う! 今会ったばっかだ!」
「そう、じゃあ人気のない森でナンパしてきたのね」
「だから違う! 聞け!」
「わかってるわよ冗談よ〜、キラにそんなことできないものね。で、本当のところあなたはどちらさま?」
 からからと笑う人です。大きな目がこちらを向きますが私は呆気にとられてすぐに言葉が出てこなかったので、代わりにキラが話してくれました。
「転校生! 道理で見ない顔なわけね。わたしはエレナ! キラとは去年同じクラスだったの。今は隣よ、よろしくねルミナ」
「うん! よろしく!」
 私よりも背が高くて、肩まで伸びたストレートの髪が大人っぽく見えるので年上だと言われても信じたことでしょう。私が感じたエレナの第一印象は、頼りになるお姉さんといったものでした。キラの表情がどことなく豊かになって――といっても、困ったような怒ったようなものばかりでしたが――二人の仲の良さがうかがえます。
 エレナが私と話したいと言うので、キラとは別れて女子二人で寮へ向かうことになりました。彼女は私に興味津々といった様子で、どこから来たのか、趣味は何か、好きな人はいるのか、と様々なことを尋ねてきます。それに対する答え一つ一つに明るく返してくれて、私も楽しかったです。
「ん? ラグライドとこっちって、確か学校に通わなきゃいけなくなる年齢が違わなかったかしら?」
「あ、うん。えへへ……本当はちゃんと一年から通うつもりだったんだけど、お母さんがそのことすっかり忘れてて」
「この中途半端な時期の転入はそれが原因ね……」
 スズライトの方が一年と一ヶ月ほど早いので、つまり私はその分遅れて通い始めることになってしまっていました。それに気付いたエレナは物知りです。そしてこの時に、恐らく補習扱いの授業を受けることになるだろうということを教えてもらいました。魔法学校であっても試験や補習から逃れることはできないのか、と大袈裟にも現実を垣間見た気分でした。

 一際目立つ高い建物が見えてきます。ほとんどの建築物は白レンガで組まれていますが、それは木の幹が幾重にも絡み合って一本の木を形成しているような構造です。窓と真正面に付いた丸い扉を除けばまるで建物らしさがありません。このちょっと奇妙な建造物こそがスズライト学生寮なのでした。
 エレナ曰く、昔の偉い魔法使いが沢山の人を住まわせるため木の中に空間を作ったのがここだそうです。かつては違う使われ方をしていたらしく、それは学校自体も同じでした。それ以上は教えてくれませんでしたが、「この続きは歴史の授業で。楽しみにしてなさいな」とのこと。
 古い建物らしく、扉を開けるときに軋んだ音が立ちました。中は違和感がないくらい本当に木の中のようで、軽く鼻につく香りがします。自分の部屋に帰ったエレナとは反対方向に進んで寮長さんに挨拶を済ませ、部屋の鍵を受け取りました。銀の鍵で、一部ですが錆びついています。
 これからは部屋の荷物整理。その予定だったのですが、縦に積まれた箱の山を見て私はやる気をそがれてしまいました。必要な物だけ必要なときに出して、他は後でいいかなとそんな甘いことを考えて、再び外へ出ます。
「部屋の片づけより、道を覚えることの方が大切だよね!」
 言い訳でしかない独り言ですが、恥ずかしながら今の私でも同じことを言うと思います。
 地図の左下、方角にすると南西にはこの寮。森に迷い込まないよう北へ行けば港と都市部。東に学校。更に東へ行くと、北程の規模はありませんが商店街があります。もうじき日が沈みはじめる頃合いでしたので、ひとまず様子見をしつつ学校まで歩いてみることにします。途中、竹箒にまたがり飛んで移動している人を何人も見かけました。本当に魔法の国なんだ、これから私はそこに住むんだと、明日からの生活が待ち遠しくなりました。
 こうして見るとこの辺りに住宅はあまりなく、道も舗装されている場所は少ないです。寮のこともありますから、自然を大切にしている町なのかもしれません。次第に見えてきた、赤いとんがり屋根に、横ばいに広がった白レンガ作りの校舎。どこか古めかしく、エレナに話をされたばかりなので何となく歴史のようなものを感じてしまいます。
 周囲をぐるりと回ってしばらく眺めていると、伸びてきた学校の影が私に重なりつつありました。そろそろ帰って、制服や教科書の用意をしなければなりません。食事も必要です。でもちょっとだけ、町の方も見ておきたくて地図も確認しつつ東を向きました。するとちょうどそちらから、見知った顔が歩いてきます。キラでした。彼もこちらに気が付いたようです。
 その時何となく私は、キラの発している雰囲気が別れる前とどこか違うように思いました。目に見える明確な違いがあるわけではないけれど、オーラが暗いような、そんなはっきりしないもの。
「キラ。どうしたの?」
「どうしたって、何が」
「え? えっと、何だろう。よくわかんないけど、何かあったのかなって」
「別に、何も。商店街の方うろついてただけだけど」
「そっか。それならいいの」
 彼自身はそう言いますし、実際に変化が形となって見えているわけではありません。それでも私はどうも釈然としないままでした。
 思えばこの頃から既に、私にはおかしなところがあったのです。何故かはわかりません。ですが、森を出てから今までの間で彼に何かがあったことだけには変な確信を抱いていました。そして、それを前の状態に戻さなくてはならないような気がしていました。
「その、何か困ったことあったら言ってね。私にできることならするから」
「……いや、それ普通オレの台詞じゃねーかな」
「あれ? えっと、そうじゃなくて……悩んでることがあったら一緒に悩むからねって」
「そうか」
 私は少しだけ不安になってきました。彼の声のトーンもほぼ一定で、淡々としていて、それが余計に裏側に潜ませた何かを感じさせて。通り過ぎて行こうとするキラの手を、反射的に掴んでいました。
 今日一番の驚きといった様子で掴まれた手を見ています。逆光で彼の姿が暗く映り、その反面顔の右側は仄かに赤く照らされていました。キラの手は思いの外温かで、大きいです。私は思っていたことを、笑顔を心掛けつつ素直に投げかけました。
「あの、キラが何もなかったって言うならそれでいいんだけど、でもどうしても私には何か引っかかるんだ。さっきまでより苦しそうに見える。言いたくないことなら言わなくていいし……っていうか、こんな今日会ったばかりの人にそんな込み入った話できないかもしれないけど、でも悩み事溜め込むのってよくないから。だから、今じゃなくても、凄く苦しくなった時には教えてね?」
 当時、私にできた最良の選択はこれしかなかったのです。彼からしてみれば、何を言っているんだろうと思われても仕方ありません。でもこれを告げずに知らん顔をしてその後を過ごしていたら、きっと以降もすっきりしないままだったと思うのです。
 キラの表情はよく見えませんでしたが、目を見開いたまま硬直して戸惑っているようでした。前触れなく突然に、無言で腕を振り払われてしまいます。怒っているとかそういう風ではなかったはずです。払った手をズボンのポケットに突っ込むと数回折り畳まれたチラシのような物を取り出し、私に押し付けるように渡して背を向けました。
「……っ、本当に何もない! それはいらないからやる、後それと、お前いつか騙されてもオレは知らないから。じゃあな」
「えっ、あ、うん! また明日、学校でね!」
 早口で言い、足早に去っていくキラからはもう暗い気配は薄れているように感じられました。手渡された紙を開いてみるとそれはホウキレースの大会があるということを宣伝するものでしたが、見慣れない言葉に私は首をかしげます。
 何につけても、わからないことだらけ。でも、これから知っていけばいい。私はお気楽にもそう結論付けました。西方向、森の向こう側へ、日が隠れていきます。眩く白い光に見えたのは単なる太陽光かもしれませんが、私はそれが例の妖精のものではないかと思ったりしたのです。不思議な存在ではあるけれど純粋無垢で、透明感があり、ぴかぴかしている。魔法というもの、それで溢れるこのスズライトという国を、そんな風に想像していました。
 しかしそれは幻想に過ぎなかったのです。実際ここに生きる人々は、もっと複雑で、重苦しいものを抱えていました。ちょうど、ついさっき垣間見た暗い影のようなものを。

 〈1話〉