創作小説公開場所:concerto

バックアップ感覚で小説をアップロードしていきます。

[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

103.gift&blessing(5)

 職員室の前まで戻ってきた。手前で立ち止まる。

 ギアー先生、いるかな。また見つかってしまったら、次は声をかけてくるかも。もしそうなったら何て答えよう……。

 ドキドキと緊張しながら、開けっぱなしになっている扉の向こうを覗き見る。

 先生たちもお昼休みで出かけているらしく、さっきよりも人数が減っていた。自席でお弁当を食べている先生はいるけど、ポツポツとまばらだ。ギアー先生はいなさそう。隣のデスクのパルティナ先生も席を外している。

 様子を伺っていると、小部屋に繋がる扉は閉まっていたのに内側から風に吹かれたように隙間が開いた。

 小部屋の中に窓は無かった。この動き方は不自然だ。

 それに気付き、身を屈めて職員室に潜り込む。お行儀良くないけど、両手を二つの紙パックで塞がれていたワタシはその隙間に腕を突っ込んで体を入れた。小部屋に入ると、扉は音もなく勝手に動いて閉まった。

「………」

 中ではバレッドさんが、来たときと同じ壁際に寄り掛かって待っていた。長い杖を脇に抱えて腕を組み、ぼんやりしている。

 確証はないけど、多分さっきの扉はバレッドさんが動かしていたんじゃないかな。

 本当にそうだったら禁術スレスレの行為。だけど、「もしどこかで見ていたとしてもこれくらい見逃してください、妖精様」って、ワタシは思っちゃった。

 バレッドさんが無言のまま顔だけ振り向いて、クッとかすかにだけ顎を上下させる。

 今の動きは、こっちに来い……って、こと?

 悪い人じゃないんだろうけど、バレッドさんと二人きりになるのはまだ慣れないなぁ……。壁の蝋燭にまた灯っている青紫色の炎の照り返しが、この古ぼけた部屋と彼の顔色を一層不気味に演出しているのも悪いと思う。

 意図を汲み取れた自信はないけど、正面まで歩いていってみる。

 バレッドさんは何も言わない。数秒ほど、一切何もせずにぼうっと突っ立っていた。

 ……ま、間違えたかな?

 不安になっていると、バレッドさんが溜息を吐きながら腕組みを解いた。

「めんどくせー……」

 ぼそっと気だるげに呪文を唱え出して、徐々にワタシの視界は白で包まれていく。

 あれ? でもこれは、さっき転移したときとは違う呪文だ。

 だけど、知ってる。

 魔法で変えた姿を元に戻すときの呪文?

 白い光に包まれたのはワタシ一人だけだった。

 パッと一瞬で、光が消える。

 目線は低くなり、長かった金髪は縮んで桃色になり、握っていた紙コップは少し大きくなった。正しい表現をすれば、ワタシの手の方が小さくなったんだ。

 何故かバレッドさんは、ワタシをこの場で元の姿に戻した。バレッドさんもこの魔法が使えることを初めて知ったけど、もうこれくらいじゃ驚かなくなっちゃったよ。

 でも、行動の意図が読めない。どうして?

 体格も声も全てが変わるから、練習の続きをするなら元の姿に戻る必要があるのは確かだ。でもそれは練習スタジオに着いてからでいいし、ワタシが自分でもできる。

 何においても「面倒くさい」と口癖のように言うバレッドさんだから、わざわざ無意味なことはしないはず。けど、今ここでこうしなきゃいけない理由なんてあったかな?

 バレッドさんを見上げて長い前髪の下の顔を覗き込んでみても、表情はぴくりとも動いていない。何を考えてるんだろう。

 何も説明せずおもむろに、もう一度呪文を紡ぎ始めた。今度は正真正銘、転移の魔法だ。

 視界が再び白く染められていく。


 そのとき。


 ふと、すぐ隣から名前を呼ばれたような気がした。

 バレッドさんの低い声とは違う、もっと穏やかで、優しくて、懐かしい感じ。

 人に見つかったら困るのに、恐れも戸惑いも不思議と感じない。

 振り返る途中で目の前は完全に真っ白になった。

 人影らしきものは何も見えなかった。


 ワタシの変装を解いたのはなぜなのか、他に誰かいなかったか、後からバレッドさんに尋ねてみたけど、何も答えはなかった。

 空耳かもしれない。気のせいかもしれない。

 でも、ワタシを呼ぶ声が聞こえたんだ。

 あの声は何だったんだろう。

 誰だったんだろう?


 スタジオに戻ってきて、背もたれのない長椅子が並ぶ休憩スペースでお昼ご飯にした。

 ワタシたちの他には誰もいない。照明は点いていなくて、窓から光が入らない角の辺りはちょっと薄暗かった。

「あ、あの、これ、バレッドさんの分です。食べてください」

「……いらんつったろうが。めんどくせえな」

「あぅ……」

 唐揚げを差し出すと、そんな風に文句を言われてしまった。ワタシの質問に面倒と答えたのは、食べるのが面倒っていう意味だったのかもしれない……。

 でも、バレッドさんはひったくるように乱暴に紙コップを受け取った。立ったまま顔を上向きにし、大きく口を開け、その上から紙コップを斜めに傾ける。転がってくる唐揚げを丸ごと口に放り込んでガツガツ咀嚼する姿にワタシは呆気に取られて、思わずまじまじと見上げた。

 何かを食べているところは初めて見るし、いつもちょっとしか唇を動かさないでぼそぼそ喋るから、こんな風に大口を開けているのを見るのも初めて。まるで人じゃないみたいに鋭く尖った牙が先端を覗かせていて、少しドキリとする。

 バレッドさんはあっという間に紙コップを空にすると、グシャッと片手で握り潰した。適当な場所に腰を下ろし、足を組む。その隣に肩を並べる度胸はなくて、ワタシは一列後ろに座った。

 ワタシが全て食べ終えて声をかけるまでバレッドさんは黙って待ち続けていて、会話は一言もなかった。気まずさを感じていたのはワタシの方だけだろう。

 長い沈黙を何とか乗り切り、練習を再開した。

 午前に気になっていた箇所は改善できたはず。パリアンさんとバレッドさん、二人が時間を作ってくれたおかげだ。感謝しなくちゃ。

 ワタシが練習している間バレッドさんはスタジオの隅っこに胡坐をかいて座り、いつの間にか手にしていた芸能誌に視線を落としていた。感想もアドバイスも言うわけがなく、関心もなさそう。ワタシはそんなバレッドさんを気にしないようにして、最後に一曲初めから通してリハーサルとした。

 ……これでおしまい。まだ時間はあるけど、余裕を持って切り上げる。練習で頑張りすぎて本番まで体力が持たなかったら、台無しだもん。休むことも大切だって、ワタシは身に沁みて知っている。

「これくらいにして、後は時間まで休んでます。えっと、また学校に戻るときは、送ってもらえるんですよね?」

「………」

「お、お願いしますね」

 一応伝えておくものの、やっぱり返事も反応もない。だけどこれまでのことを考えると、心配はいらない……はず。

 ワタシは彼からちょっと離れた窓辺に腰を下ろし、ネフィリーとルミナのクラスの模擬店でもらったお菓子を食べながら休憩にした。

 バレッドさんをちらりと見る。

 何も用が無いとき、よく雑誌を読んでる気がする。趣味なのかな。他人や世の中のことに興味なさそうな人に見えるけど、興味がないなら雑誌を読むことはないよね?

 バレッドさんとももっとお話しできたらいいのに。案外シザーみたいに、話すようになったら全然怖くなくなるかもしれないから。

 立ち上がって、一度だけバレッドさんにもお菓子を分けに行った。だけどやっぱり、無視されてしまった。顔を上げることすらもない。

 仕方ないから、隣にちょんと置くだけ置いて戻った。

 

 一定のペースで繰り返される、ひそやかに雑誌のページを捲る音。

 窓の向こうはよく晴れて、陽光が差している。

 斜めに傾き始めた日差しは、室内に影を伸ばしていった。

 袋の中のお菓子へ伸ばす手が次第にゆっくりになり、止まる。

 今日までにやれることは頑張ってきたし、二人の思わぬ協力のおかげで準備は整っている。なのに、心配が募って止まらない。静けさが胸のざわつきを加速させる。

 一度意識してしまうと、収まってと思うほどにぐるぐると頭の中を巡る。

 ぎゅっと両膝を抱えて、うつむいた。

 時間は刻一刻と迫ってくる。

 本番を前にして焦りを感じるのは初めてじゃない。むしろ何度も通ってきている。だけど活動休止前までのそれよりも、今は怯えや恐怖の感情に重くのしかかられていた。

 心の中にいくつもの声が浮かんで、ワタシ自身へ語りかけてくる。

 ――できることはもう充分やったよ。無理しちゃいけない。

 だけど、まだ他にも、もっとやるべきことがあるんじゃない?

 今の状態で本当にベストを尽くせる?

 ワタシはみんなに迎え入れてもらえる?

 次々と自分を内側から責め立ててくる声に押し潰されてしまいそう。

 怖い。

 そんな折、おもむろにバレッドさんが立ち上がって、こちらへのろのろと歩いてきた。

 ワタシの真正面まで来ると膝をついてしゃがみ、感情の読めない目で、じっとワタシを見つめる。

 だけどそれから、一向に口を開かない。表情も変わらないから、考えが全くわからなくて戸惑う。

 窓ガラスの向こうから室内を照らし出す陽の光を反射して、彼の真っ黒な瞳が一瞬だけ淡く煌めいたように見えた。

 バレッドさんがワタシの顔の前に、右手の手のひらを上向きにして広げる。

 その上に、ゆらゆら波打っている不可思議な球体がぼんやりと出現した。ドロッと淀んでいるようにも見えて、綺麗とは言い難い。

 浮かび上がった球体は揺らめきながら徐々に膨れ上がり、バレッドさんの筋張った大きな手の上をはみ出ていく。顔を隠すくらいの大きさになったところで、膨張は止まった。

 球体の外周上を黒い電流のようなものが走り、内側からは対照的な白の光を放ち始める。

 眩しい光が少しずつ弱まって、その中に何か映し出されているのが見えてきた。

 ぼやけていた映像が徐々にくっきりしていき、合わせて聞こえる物音も鮮明になっていく。

『――――ございました!』

 ガヤガヤとした人の喧騒をバックにして、馴染みある声が飛び出してきた。

『お待たせしました、次の方ー! こちらの席にどうぞ!』

『ミリーちゃん! 次あっち、三番テーブル!』

『はいはーいっ』

 球体に映った光景は、前後にも左右にも目まぐるしく動く。

 満員のテーブル席。大勢の人たち、それからクラスのみんな。三日月型の器に入って湯気が出ているたこ焼き。それを受け取る、手前から伸びてくる両手。手渡された人たちはパッと笑顔になった。

 球体の中で忙しなく、くるくると、見えるものが変化する。見続けていたらちょっと酔いそう。

 この映像ってもしかして――ワタシに変装したパリアンさんの視界と同じ?

 そんな魔法、今まで見たことも聞いたこともないから突飛な考えだけど。

 でも、今日はこれ以外にもおかしなことが起こってばかりだから、どんなに不可思議な現象も受け入れられてしまう。

 この球体の中には間違いなく学園祭真っただ中の校舎が誰かの一人称視点で映し出されていて、中に現れる人々はみんなこちら側を覗いて「ミリーちゃん」と呼びかけた。それは紛れもない事実だった。

 また視界が横に揺れて、一瞬シザーの姿が映った。三角巾で髪を押さえつけ、キッチン側の湯気にくるまれている。

 ちょっとだけ心が跳ねて、けれど同時に疑問も生じた。

 シザーとワタシのシフトは一緒じゃなかったはずだよね? っていうか、これっていつの出来事? 今って何時? もうワタシの当番の時間も終わってる頃じゃ……?

 思いを巡らせているうちに、目線はフロア側へ移動してシザーは見えなくなっていた。

『いらっしゃいませ、いかがですかっ? もうそろそろラストオーダーだけど、今ならまだ間に合うよ!』

『だ、わあっ!?』

 今度は、騒めきの中に一際元気のある少年の叫び声が響く。

 びっくり顔のレルズ君が映っていた。

 こっちもハッとして、ワタシの中にあったあらゆる疑問が一旦全て吹き飛んでいく。

 レルズ君は教室には寄らず、短く挨拶だけ交わして去った。だけどすぐに戻ってきて、また球体の中に現れた。

『あ、あーっと、その! こんなに沢山の人が集まってんのって、やっぱすげーことだと思うっす! 誰にでもできることじゃねーっす! だ、だから……さすがみんなのアイドルっすね! いや、違うな、そうじゃなくて……俺何言ってんすかね!?』

 何か言い忘れてたみたいに色々と口にするものの、どの台詞にも自分で納得していないよう。もどかしそうに、もぞもぞと落ち着きなく体を揺らしている。

 だけど、ワタシにはレルズ君の言いたいことが感じ取れた。

 学園祭の前に二人で話す機会があり、そのときにワタシは思いがけず彼に弱音を漏らしてしまっている。今見ている光景は、その放課後に重なっていた。

 何度も言葉を詰まらせながら一生懸命話そうとしてくれた、あのときと同じ。レルズ君はまたワタシを応援しようと、励まそうとしてくれている。その気持ちが伝わってきて、温かい思いが胸に広がっていく。

 上手に言葉にならなくっても、大丈夫だよ。

 ちゃんと届いているから。

 不意に、レルズ君がこちらを見た状態でピタッと動きを止めた。

 一呼吸を置き、晴れやかな表情になっていく。

 ワタシの方からは特に何もわからなかったけど、ここに映っていないところで何かを見たのかな。

『……やっぱ、何でもねっす。じゃ、じゃあ、今度こそ俺はこれで。邪魔してすんませんっした』

 姿勢を正して真っ直ぐ正面に向き直る。

 澄んだ瞳にはワタシの姿が映っていた。

『ううん。そんなことないよ。ありがとう!』

 そう返事をしたのは、本当はワタシじゃない。

 けど、その場にいたらきっとワタシも同じ風に言っていた。

 君は意外と慎重で、ちょっと心配性だね。

 でも、ありがとう。

 ワタシをいつも想ってくれていて、ありがとう。