創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

39.Don't memorize,don't forget.(2)

 火を起こす音、それと明かり? 体の正面に仄かな暖かさを感じて目を開くと、薪が燃えていた。

 私は足を投げ出して、何かに寄りかかっている? 首を回そうとすると、それより先に革のジャケットが目に入った。上体に見慣れない上着が被せてある。後ろにあったのは、ごつごつした木の幹だ。

 どこかの森の中。周囲は優しい緑の香りで満たされている。なんだか春の陽だまりの中にいるようで、安心する。

「気が付いたかい?」

 少年の声に、虚ろだった意識が引き戻された。

「うん、顔色はだいぶ良くなった。体調はどうかな?」

 炎の向こう側に人影があった。アーガイル柄のニットに厚手のマフラーを巻き、胸の上で腕を組んで座っている。私と同年代くらいの男だ。

 男が近寄ってくる。私は咄嗟に身を引いた。

「あなた、何?」

 動いた拍子に、ジャケットがずり下がり土の上に落ちる。男はそれを一瞥した後、人の好さそうな笑顔を見せて言った。

「ボクはたまたま通りすがって……君が倒れているのを見つけたんだ」

 ジャケットを拾い上げて、軽く土を払うと再び私の上にふわりとかける。

「あんな街はずれにそんな恰好でいるなんて、どうしたの?」

 優しい言葉。曇りない瞳が真っ直ぐこちらを覗き込んでくる。深い藍色の瞳の中に穏やかな紅が揺らめいていた。

「……あなたこそ何してたのよ」

 目を背け、突っ撥ねて言い放つと、黙り込む。

 不意に、頭を撫でてくれた昔のパパの笑顔が脳裏をよぎって、すぐ闇に消えていった。

 ジャケットごと膝を抱える。その時ようやく、おかしなことに気が付いた。先程から、冷えを微塵も感じていないのだ。ジャケットの下は薄いネグリジェのままで、スリッパは転んだ拍子に紛失したのか、素足を地に付けているというのに。

 彼はホッと息をついた。睨みつける。

「その様子だと効いたみたいだね。良かった」

「私に何をしたの」

「蘇生みたいなもの、かな」

 困り顔で肩をすくめる。

「自分でもちゃんとわかってないんだ。数年ぶりに使ったし、何より人に使うのは初めてだったからね。でも、うまくいって安心したよ」

「バカにしてるの? 蘇生は倫理に反する禁術じゃない。罪人だと自白したようなものよ?」

「……ああ、実際唱えてしまったからそうかもしれないね。でもこうして君を助けられたから――」

「ふざけないで。第一、そんな話信じられないわ」

 軽薄な口ぶりに苛々する。気味の悪い男だと思った。生温い体温と白い吐息の不調和がそれに拍車をかける。

「困ったな、嘘は言ってないんだけど。あのままあそこで朝まで倒れていたら、きっと君は死んでしまっていたよ」

「死……?」

 言われて、地べたに倒れ込んだときの感覚を思い出す。

 あの後、私は気を失っていたのか。頬と腕、それと踵に感じたはずの痛みも今は感じないが、それもこの男の仕業だろうか?

「ボクのことは全部話すから、罪人としてお城に突き出すのは勘弁してほしいな」

 初めからそんなつもりなどなかったが、男は冗談めかした態度で勝手に喋り出す。

 彼は、治癒の最高位であると同時に禁術にも指定されている蘇生魔法を生まれつき扱えるのだと説明した。それが禁じられた魔法だと幼い頃に教えられてからは、ずっと隠してきたとも言った。

「こんな力は無い方が良いと思っていたんだ。これのせいで、面倒なことにもなっていてね」

 男の口は嫌によく回り、止まることがない。この場のでっち上げには聞こえないものの、やはり信じ難い話だ。

「どうも、ボクは悪魔に付け狙われてるらしい。何してるのかって質問の答えだけど、端的に言って夜逃げの真っ最中さ」

 突然現れた「悪魔」という単語に身震いがした。

 私は膝に顔をうずめて、目の前で淡々と燃える炎を見つめる。

「悪魔の伝承は知ってる? 彼らは妖精によって大昔に封印されていて、普通こちら側には出てこれないけど、人間の方から喚び出すことはできてしまうんだ。悪魔は人間を利用して、今も封印から逃れようとしている。悪魔召喚の儀式には、悪魔と釣り合う魔力を持った人間の犠牲が必要だ。けど、蘇生の術があれば一つの命で繰り返し儀式を行うことができるから、ボクからそれを奪うことで復活を目論んでいる……って、聞いた話だとそういう理屈だったかな」

 男の説明はまだ続いていたが、あまり頭に入ってこなかった。炎の中に地下室の光景が見えて、男の言葉がその一つ一つに重なっていく。

 パパの声が聞こえる。

 ママの姿が見える。

 翼と角を携えた化け物が私を見ている。

 床に描かれた奇妙な魔法陣と、息絶え這いつくばる人間の姿が見える。

「馬鹿げた話だろう? 無理に信じなくてもいいよ」

 男はそこで一呼吸を置いた。枯れ枝が揺れる。

「けど、もしかしたら、君にもそんな滅茶苦茶な事情があるの?」

 返事はできず、唇をきつく噛み締める。眉間に皺が寄っているのは自分でもわかっていた。

「家の場所は?」

「そんなのもう無い!」

 無性に気分が悪くなって、癇癪を起こし叫ぶと、男はようやく喋るのをやめた。じっと静かに、言葉の先を待つような目を向けていたが、私は口を閉ざし続ける。何も言いたくなかった。口に出して言葉にしてしまったら、それが確かな真実だと思い知らされそうで、怖かった。

 頑なに黙りこくっていると、男は諦めたのか別の話題を切り出してきた。

「じゃあ……これからどこへ行くのかは、考えてあるのかい?」

「………」

「せめて日が昇るまでは、ここで温まってた方がいいよ。ボクもそうするつもりだから」

 笑顔で私を見る。

「少しの間だけ待ってて。一旦戻って、布や食べ物をもっと持ってくるからさ」

 この男は気に食わない。

 信用もしていない。

 だが今は、彼に従う他ないかもしれない。どこにも行く当てがなく、自分がどこにいるのかもわからず、食料もお金も帰る場所も何もかもない。これからどうするかなんて考えたくもない。

 男は立ち上がろうとして、その途中で思い出したように中腰のまま振り返った。薄手の手袋に包まれた両手を私に向けてかざす。

「ちょっと失礼。いつ効果が切れるかわからないから、念のためもう一度重ね掛けしておくね」

「!」

 ほんの数秒の出来事だった。彼の藍色の目が光ったと思った次の瞬間には、ポカポカした温かさが体の芯から広がってくる。心地いいけれど、その一方不自然で異様で、落ち着かないというのが素直な感想だった。

「よし。これで大丈夫……ヘックション!」

 男が派手にくしゃみをするのを見て、ハッとする。

「まさかあなた、自分には今の魔法かけてないんじゃ」

「いや、それは、アハハ……二人いっぺんにはちょっと大変で」

「バカじゃないの!? 寒いなら着てなさいよ!」

 怒鳴りながら、ジャケットを掴み取って突き出す。男は苦笑いして両腕をさすりつつも、首を振って断った。

「君がかけておいてよ。ボクは平気さ」

 平気なはずがない。

 話している間ずっと、痩せ我慢し続けていたというのか。私に気付かれないように。

 男はマフラーを整えると改めて立ち上がり、ウエストポーチの中から小さく縮めた箒を取り出して飛び立つ準備をする。

「そうだ、名前は教えてくれないかな?」

 それは当然の問いだ。だが私は口ごもった。

 汚れた裾にぼさぼさの髪。今のみっともない「私」を、今までの「私」と同じものと思いたくない。尋ねられた時、そんな無意味な見栄と恥が込み上げて、私に名乗ることをためらわせる。

 だから、嘘をついた。咄嗟に頭に浮かんだのは、あの部屋で昔何度も繰り返し読んでいた絵本。その主人公、私と同じエメラルドグリーンの長髪を持つ彼女から名を取って。

「……ネフィリーよ」

「ボクはゼクス。よろしく。それじゃ、すぐ戻るから」

 彼は頷いてにこやかに微笑み去っていく。完全に見えなくなるまで、私はその後ろ姿を追っていた。

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