創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

40.Don't memorize,don't forget.(3)

 お喋りな男がいなくなって、辺りがシンと静かになる。焚き火が照らす輪の外は、相も変わらず真っ暗だ。冷気が体の表面を滑っていく。木枯らしに辺りの木々がざわめいた。

 暗がりの奥から、紅蓮の瞳が私を突き刺している。

 大きくかぶりを振り、鳥肌立った体をきつく抱きしめた。違う、これは幻だ。あの悪魔のような化け物が、ここにいるはずがない。ああ、でも、私には何も見えない。あの闇は、石の壁に囲われ冷え切った地下室と同じだ。何が潜んでいるかわからない、私にはなす術もない。

 暗がりの奥で、化け物は私が無防備になるのを狙っている。

 後方の木の幹にしがみついて“力”を行使し、その枝を下へ引き伸ばして全身を守るように包み込ませたが、闇そのものは取り払えない。蘇ってしまった恐怖は容易には拭えない。瞼を閉じて必死に眠りにつこうとしても、かえって目は冴えるばかりで一向に眠気はやってこなかった。それに、寝ている間に化け物が現れて襲い掛かってきたら? そう考えるとますます眠気は遠ざかり、息は荒くなる。

 長い間、幹に額を押し当てて非力な小動物のようにただ縮こまっていた。どれくらいそうしていただろう、草を搔き分ける物音が嫌に大きく耳に飛び込んできて、びくりと肩を跳ね上げる。

「ネフィリー、いるかい? ……うわあっ!? その木どうしたの!?」

 男が――ゼクスが戻ってきたのだ。

 灰色の重そうなコートを着込み、大きな手提げ鞄を片手に持って立ったまま、ぽっかり口を開けて頭上を見上げている。私は急いで目元を拭い平気な顔を取り繕った。両側の枝の門を開かせると、ゼクスが間抜けた顔で瞬きを繰り返す。彼は何をそんなに戸惑っているのだろう。

「い、今のは、君が?」

「だったら何?」

「……そうか……」

 このとき彼の視線はすっとこちらへ下りてきて、私の空っぽの両手に向いていたような気がした。

 ミシミシと軋みながら、木は元の形状へと戻っていく。その様子を見届けてから、恐る恐るといった感じでゼクスが近寄ってきた。

「その魔法は、あまり使わない方がいいと思う。せめてボクと一緒にいる間だけでも」

「どうしてそんなことまで指図されなきゃいけないのよ」

「聞いてくれ。……いや、その前にまずは防寒だね。サイズは合わないだろうけど、無いよりはマシだから着ておいて」

 傍まで来てしゃがみ込むと、ゼクスは鞄から次々と衣類等を手渡してきた。ブーツにハンカチ、果ては櫛まで持ってきたらしい。どれも飾り気が無くシンプルで、男性用のデザインだ。渋々それらを一通り身に付けると、いくつか質問したい、と彼は前置きをした。

「さっきのは植物を操る魔法、で間違いない?」

「そうだけど」

 私は答えながら髪を梳かした。細い櫛はうまく入っていかない。自分で自分の髪を梳くのは初めてで、櫛を持ったことすらもなかったのだが、それを気取られたくないので平静を装う。

「誰かに教わったの?」

「教えられてなんかないわ、普通にできたことよ。さっきから何なの?」

 意図がわからず、苛立って聞き返す。ゼクスは顎に拳を当てて眉をひそめ、言いにくそうにしていた。屈んだ膝の上の手を握り直して、顔を上げる。

「……不安にさせるかもしれないけど。ネフィリー、その魔法はもしかしたら、悪魔に目を付けられるかもしれないんだ」

「え?」

 ぴたりと手が止まった。

「君は今、杖を持っていないよね? 術の内容は違うけど、ボクの蘇生術と同じ種類の力ってことだ。それは一般的なものじゃないし、高い魔力を持つことの証でもある。つまり、悪魔召喚の儀式に必要な……」

 ゼクスはまだ何か喋っていたけれど、全然頭に入ってこない。あらゆる物音が遠ざかって、周りの景色が消えていく。

 そこに、黒ローブが浮かび上がる。何人も、何人も、虚ろな目をして、首をもたげて。

『こんな紛い物ではなく、本物でなければ』

 繰り返し脳裏に響く呪詛。

『お前を使わなければ真の力は得られない』

 それじゃあ、パパは。

『お前を使わなければ』

『使わなければ』

 あの言葉の意味は――――。

「だけど、大丈夫だから!」

 はっと我に返った。櫛が地面に落下していく。ゼクスが正面から私の両肩を掴んでいた。余程酷い顔をしていたのかもしれない。

「少なくとも、この森の中にいる間は絶対安全だから心配しないで。妖精の森にだけは、絶対に悪魔は近寄れない」

「妖精の森……?」

「今のうちに寝ておいたらどうかな。火はボクが見ておくから。あ、お腹が減ってるならパンもあるよ」

 微笑むと体を離し、もう一度鞄の底に腕を突っ込む。丸いパンが数個入ったビニールを最後に、手提げ鞄は空になってぺしゃりと潰れた。

「そうか、枕も必要だったね。……それに、そのまま横になったら髪が汚れてしまう……」

 ゼクスはぼやいた後、おもむろに私の背後へと回って手を伸ばそうとした。ぎょっとして、それを制し怒鳴る。

「……! ちょっと、何のつもり!?」

「あっ、ごめん! 上にくくったら少しはマシかと思って」

「人の髪に勝手に触ろうとするなんて、最低!」

「そ、そこまで!? 本当にごめん、悪かったよ」

「………」

 ゼクスを振り払った手で、そのまま髪を一房取った。

 このままでは土や草が絡んでしまう、というのは彼の言う通りだ。私の髪は背中から腰ほどの長さであるため、座っているだけでも地面には触れてしまう。

「……仕方ないから、結ばせてあげる」

 木から体を離して、背を向ける。

「ちゃんと結ってくれたら今のことは許してあげるわ」

「……それじゃあ」

 ゼクスは手袋を外すと、遠慮がちに屈んだ。焚き火を受けた二人分の影が同じ方向に重なる。

 家の使用人には女性しかいなかった。彼女たちのものとは違う、少年の指先が時折首筋や耳たぶをさっと撫でていく。その度に鼓動が速まり、頬が熱を帯びた。こんな訳のわからない怪しい男、さっさとどこかへ行ってほしいと思っているのに。

 少しして、後方から感じていた彼の香りが離れた。頭の上の結び目に手を伸ばす。ひとまとめにされた髪の毛の束に当たった。鏡が無いので、ぽすぽすと軽く叩くように触って確かめる。

「お団子……」

「ちょっと不格好かもしれないけど」

「首が寒いわ」

 口を尖らせた。頭上で一つにまとめるような髪型は嫌いだ。中でも団子結びは特に毛嫌いしていた。それは仕事や労働の邪魔にならないための結び方で、使用人のする髪型だと思っていたから。だから私はいつも髪を結わずに過ごしていたのだ。

「でも、似合ってるよ」

「……別に嬉しくない」

 疑いの気持ちのまま小声で呟き、振り返ると、彼の満足気な顔に視線が合った。

「そう? ボクはいいと思うけどな」

「あなたの個人的な好みなんて聞いてないんだけど?」

「そっ、そんなつもりじゃ」

 思わず悪態が口をついて出てくる。ゼクスは大袈裟に手を振って否定したが、顔が少し赤かった。焚き火の照り返しかもしれないけど。私も向こうからは同じように見えていたのなら、嫌だ。

 そういえばこのヘアゴムはどこから出てきたのだろうと、彼の持ってきた物をもう一度見渡す。するとパンの袋を留めていたゴムを使ったのだと気付いて、私はまた不満を口にした。

 

 焚き火の熱が肌を照らす。土の上にそのまま横になり、背を向けて目を閉じた。ゼクスは止めたが、構わない。瞼が自然に落ちてきて、今なら眠れそうな気がするのだ。

 頭上では大樹が枝を広げている。向かい側には樹と同じ髪色をしたゼクスがいる。炎の暖かさが心地いい。温もりの中で、闇の向こうの世界をいつしか忘れて私は眠りに落ちていった。

 

 目指していたのは陸続きの隣国ラグライドなのだと、彼は言う。

「深い森は基本的に妖精の住まいだから、悪魔は入ってこれないんだ。妖精が暮らしている森に人間が住むなんて許されないけど、ラグライドではそうでもないらしい。ボクの目的は、森の中にある村を見つけてそこで身を隠すこと。当てはあるんだ」

 彼に借りて羽織ったカーディガンとジャケットの袖口をぎゅっと掴む。

 一言一言、言葉を探すように時々つっかえながら、彼は続きを語った。

「余計なお世話かもしれないけど、ボクは、ここで君を放っておけないよ。ネフィリーさえいいなら……一緒に来ない?」

 袖口から手を解き、顔を上げる。ため息をついた。

「そうするしかないわ」

 心の内を全てさらけ出せるほど私は彼に気を許していないし、そんな素直さも持ち合わせていない。

 だから、安堵する彼に向けて笑い返すことはしなかった。

 

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