創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

41.Don't memorize,don't forget.(4)

 晴れてよかった、とゼクスが明るく呟いたが、言うほどの晴天ではない。枝と雲の切れ間に太陽を探して方角を確かめると、私たちは南を目指して、白く靄がかかる森の中を歩き出した。

 眠っている間に、私にかけられていた魔法の効力は切れたようだ。早朝の空気が肌を刺し、通常の感覚を取り戻した指先はあっという間にかじかんでいく。それでも、彼が貸し与えてくれた衣類の数々のおかげで凍えずには済んでいる。

 上着のポケットに手を入れると、カツンと何かが爪に触れた。取り出してみると、それはすっかり錆びた丸い缶バッジだった。

「これ、あなたの物じゃないの?」

 横を歩くゼクスに差し出す。それを見たとき、初めて彼の表情がはっきりと陰った。これまで私が何を言っても、ずっと微笑みを絶やさずにいたのに。

 苦笑しつつ、口を開く。

「……変だろ? そんな古いおもちゃをわざわざ持ち出していくなんてさ」

 私は初めて見た物だったが、それは一時期子供の間で流行っていた安物のバッジだった。数か月もすれば自然と見向きもされなくなるような、ガラクタだ。元は朱色だったと思われる縁取りは既に色褪せ、その内側に書かれた大きな「S」の字は掠れている。

「お守り代わりなんだ。こういうイニシャル物が昔から好きでね」

「イニシャル? あなたならSじゃなくてZじゃないの?」

 何気なく指摘すると、あからさまに焦った様子で目を泳がせる。

「あ……ああ、そうだね。本当だ」

「別に、私には関係ないけど」

「そ、そっか。それより、ネフィリーはトライア山地まで行ったことってある?」

 彼は缶バッジを受け取ることなく、露骨に話題を変えた。まだ視線が忙しない。なんてわかりやすい人だろう。

 深く詮索するつもりもないため、大人しく元のポケット内に戻して口をつぐんだ。関心がないのは本当だし、隠し事があるのは私も同じなのだから。

 これから向かう国「ラグライド」と、森を出た後の道のりについて話題が移る。スズライト東端の港で船に乗り、海上を迂回してラグライド側の港から入国するのが通常のルートだ。しかし彼は、時間とお金がかからない他の道を通る予定だと言う。

「今は一刻も早く身を落ち着けたい。だから、トライア山地を上から突っ切る」

 ゼクスは握っていた箒をこちらに示してみせた。

 トライア山地というのは、この大陸を二分している山脈がある地域のことだ。スズライトとラグライドの国境地帯でもあり、スズライトで「南の山」と言えばこの一帯を指す。屋敷の窓から見えていた山々も、これの一部なんだろう。

 しかし、標高数百メートルは優に超えていそうだが、本当に箒一本で超えられるのか?

「もちろん、高く飛んでいる間は速度より安全を重視するよ。きっと大丈夫、ホウキレースの要領でいけるはずだから、ボクに任せて」

「ホウキレース……名前は少し聞いたことあるけど、よく知らないわ。見たこともないし」

「そうなの? それは勿体ない。けど、ラグライドに行ったら、やるのはもう難しいね……」

 同じ大陸上にある国同士ではあるが、ラグライドでは魔法自体が虚構の物だと認識されていた。誰も魔法を使わないし、箒にも乗らない。従って、スズライトにいるのと同じ感覚で魔法を行使すれば、奇異の目で見られることは間違いないのだそうだ。

「スズライトには魔術が実在する」「スズライト国民は魔法を使う」という知識自体はあっても、実際目の当たりにするのは話が違う。二国の間には依然として微妙な溝があった。

「あの山脈で分断されていたせいで、長い間両国の付き合いが希薄だったらしいよ。学校の先生が言ってた」

「山を潰してしまえばよかったのに。邪魔じゃない」

「はは……。そういうわけにはいかないんだろう。昔あの山の上には人が住んでたらしくてね、その集落の跡が遺跡として保護されてるんだ。もしかしたら、空から見れるかもしれないよ」

 ゼクスの目がキラキラと輝いている。正直、私は全く興味がなかったけど、彼は嬉々として語り続けていた。状況は何も良くなっていないのに、随分と暢気なことだ。同行する彼がこんな調子だと、不本意だがこちらとしても幾分気持ちが晴れた。

 少しだけなら、遺跡見物に付き合ってあげてもいいかと思った。

 しかし、その遺跡を見ることはできなかった。

 山へ辿り着く前に悪魔に見つかってしまったから。

 

 森を抜けたところで箒に乗り、高度を上げていく。操縦するゼクスの背に掴まりながら、私はじっと景色を眺めていた。進むにつれて、やけに寂れた大地が見えてくる。すぐ後方には広大な森林が広がっているので、違和感があった。

 空模様が次第に悪化し、分厚い雲が空を覆い始めている。

 ふと、荒れたその地面に一点ぽつんと、蓬色の何かが置き去りにされて転がっていたのに気付いた。目を凝らす。不自然極まりない、しかしあまりにも見覚えがあるその室内用のスリッパに気が付いた瞬間、息を呑む。

 この道を私は通ったことがある。あの道の先にある「屋敷」を、私は知っている!

 今すぐ引き返してとゼクスに訴えようとしたが、遅かった。豪風のような強い衝撃が、横から私たちを襲う。

 重心のぶれた箒は大きく揺れてバランスを失い、私たちは硬い土に向かって墜落した。

 土煙の先で、五つの人影が行く手を塞ぐ。黒紫色の痩せ細った四肢と尖った翼、みっともなく膨れ上がった下腹部。曲がった背中。薄ら笑いを浮かべる口元。

 悪魔が私を追いかけてきたのだと、すぐに察した。

 早く逃げ出したいのに、墜落の衝撃と痛みで動けない。何より、その姿を見ただけで私の体は金縛りに遭ったように固まってしまった。

「何だ、もう一人いたのか」

 一体が低いガラガラ声を発する。訛ったような聞き取りにくいところこそあったが、それは私たちが使っているのと変わらない言語だった。

「しかもこれは……言われていた特徴の通りだ」

「出てくるまで夜通し待った甲斐があったというものだな」

「手間が省けた。両方捕らえてしまえ」

 中央の悪魔が片手を上げる。それを合図に、後の四体が爪を突き立てて飛び掛かってきた。私はまだ立ち上がれない。顔面に黒い腕が迫る。

 きつく閉ざした瞼の向こうで、白い閃光が走り鈍い音がした。弾かれたように目を開くと、先の悪魔が吹き飛ばされて尻餅をついている。

「早く!」

 ゼクスの箒が光を放っていた。箒を杖代わりにかざして、何か魔法を唱えたらしい。その隙にもう一方の手で私の腕を掴んで引き上げようとしてくれる。しかし、体が言うことを聞いてくれない。自分の体すら支えられない。もうどこが苦しいのかもわからない。

 怖い。怖い。何をもたもたしているの。奴らに捕まったら殺されるのは私だ。彼だってただでは済まないはずだ。逃げなきゃ。早く立て。急げ――。

「!」

 ドン、と私は横へ突き飛ばされた。ゼクスの手で。したたかに肩と背中を打ち付けるのと、彼の呻き声がほぼ同時だった。結んだ髪が解けて、ぶわりと広がる。

 頭のぐらつきを必死に堪えて顔を上げると、この一瞬のうちに、ヘドロのように淀んで波打つ液状の球体の中にゼクスが一人捕らわれていた。

 悪魔が私を取り囲んでいることなどすっかり視界から消えて、へたり込んだまま呆然とする。悪魔が何か言っていたが、全く耳に入ってこない。

 彼の体が球体ごと低空に浮かび上がって、悪魔のいる方へと浮遊していった。その円周上に電流が走る度、背を反り返らせて苦しみに顔を歪める。

 それでも尚握り締めたまま離さない箒を、手首だけで僅かに動かして私の方へ傾けた。かすかに唇が動いているように見えたが、球体の中からは何も聞こえない。箒がぼんやりと発光を始める。

 そして、彼は笑った。

 自分の身こそ危険に晒されているのに、自分だって昨日から疲弊しているはずなのに、それでも彼は笑ったのだ。

 箒の光が徐々に眩さを増していき、遂には辺りを塗り潰して何も見えなくなる。倒れ込む最後まで、彼は笑みを崩さなかった。

 

 白く染まっていた視界が晴れると、そこは見知らぬ小さな部屋の中だった。体の周囲に薄い煙が漂っていたが、すぐに空気へ溶けて消える。

 私はやわらかい絨毯の上に倒れていた。状況を飲み込めないまま、ひとまず立ち上がろうとする。しかし手に力を込めた瞬間に全身を鋭い痛みが襲い、上体を起こすのがやっとだった。あちこちがズキズキと痛み続けている。

 木製の壁と床で囲まれている普通の部屋だが、少なくとも今見えている範囲には必要最低限の家具しか置いていなくて、物がやけに少ない印象を受けた。誰かがいる気配もしない。

 不意に窓の外から、子供のものとおぼしき笑い声が聞こえてきた。バタバタと足音と共に遠ざかっていく。ブラインドが閉まっていて、景色はほとんどわからない。再び静まり返る部屋。

 彼の上着の香りがふわりと鼻をついた。

 どうしようもない脱力感と虚無感に襲われて、胸が詰まる。喉が塞がり、口がわななく。

 あの時ゼクスが、箒――杖を私に向けたのは何のためだったのか理解した。あの状況で、私を安全な場所へと転移させることで逃がしてくれたのだ。

 なんて愚かな賭けをしたのだろう。

 バカだ。彼も、私も。

 

 ブラインドカーテンから影が伸びる。

 ガチャリと、誰かがドアノブを捻った。

 

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