創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

42.Don't memorize,don't forget.(5)

 最初、ゼクスだと思った。そう願ってしまった。その望みはすぐに打ち砕かれ、僅かでも期待してしまったことに後悔する。

「どうしましたか?」

 凛とした女性の声。優しく扉を閉める音、近づいてくる気配。倒れたまま動かない私の後方で止まると、顔を覗き込んでくる。

「うちの生徒ではないですね。ソラさんの知り合い?」

 ライトブルーの髪が視界の端でサラリと揺れた。

「話は後で聞きましょうか。ひとまずその怪我を――」

「彼を」

 喉を振り絞る。視界がぼやけて、脳が揺らぐ。激痛が激痛を麻痺させていく。

 焼けたように熱い喉から、必死で言葉を紡ぐ。

「助け……外に……っ」

 家も名も無くした空っぽの私に、残された最後のものは。

 

 ゼクスは見つからなかった。

 ライトブルーの瞳と長髪を持つ女性が再びやってきて、そう告げる。丸二日眠り続けた私が、部屋の隅のベッドで意識を取り戻したときだった。

 私は無言で聞いていた。もはやショックはなかった。ショックを受けることができるほど、心の余裕がなかった。

 ゆっくりと上体を起こし、首の後ろに手をやると、そこは私の髪ですっかり覆われている。あのゴムは、もうどこにも無い。

 彼との接点なんて、所詮この程度のもの。

 こんなにもあっけなく、一瞬で失われてしまった。

 

 窓の外はすっかり暗くなり、風が窓を叩いていた。机の上のランプに薄明かりが灯っている。その傍に彼女が屈んでいて、私は泣き腫らした目を前髪で隠すように俯いていた。涙が止まるまでの間、彼女は黙ってずっとそこにいた。

 私が落ち着くと、毅然とした態度を崩さず冷静に話の続きを始める。

「私はスズライト魔法学校、教員のパルティナです。貴女が何故ここに現れたのか、本来であれば私にはそれを追求する義務があります。しかし……」

「……どうとでもすれば」

「いいえ。少なくともその傷が癒えるまでは、私が貴女を匿いましょう。そちらから話そうとしない限り、私は貴女について何も聞きません。学校側へも内密にすると、約束しましょう」

 横目で見ると、彼女の目は本気でそう言っていた。

 それによく似ていた藍色の瞳を思い出す。ああ、またこんなお人好しに、私は助けられたのね。

「明日の朝、また来ます。しばらくはゆっくり休むことです」

 彼女が部屋を出ていった。

 自分がひどく惨めに思える。ベッドに体を横たえて布団を被ると、意識はすぐに遠のいていった。

 

 息ができない淀みの中、私が囁く。

「お前のせいで彼は死んだ。お前とさえ出会わなければ彼は傷つかなかった。お前が彼を殺した」

 私は大きく首を振る。髪が顔を叩く。

「違う! 違うっ!」

 私を突き飛ばして叫ぶ。

「お前は『私』じゃない!」

 『女』は醜く口の端を吊り上げ去っていく。その髪が波打つ姿はまるで魔女のようだった。『女』が遠ざかり、世界が真っ黒に塗り潰されていく中、その双眸だけが赤く残る。それは瞬き一つせず、私を監視し続けている。

 そんな夢を見た。

 

 今でも変わらず、似たような夢を頻繁に見る。そうして目が覚める度に、闇の向こうから化け物に見張られているように感じて、全身が震えるのだ。

 

 スズライト魔法学校へ編入し、普通の女子生徒の一人として日常を送ること。それ以外に選べる道は無かった。何もない上に何もできない私には、ここに居させてもらう他に生きる手段が残されていなかった。

 全面的にパルティナ先生から保護・援助を受け、私は「ネフィリー」として新たな生活を始めた。もう過去の私とは違う。人が傷つく姿を見るのはもう沢山だ。ただ、静かに過ごすんだ。

 その為に私は変わる必要があった。まずは自分と世界への意識を根本から変えた。他人を敬うことを覚えた。自分がどんなに非力だったかを、何度も思い出させた。口をついて出そうになる本心を、何度も何度も噛み殺して過ごした。ううん、違う、あれは私の本心なんかじゃない。「ネフィリー」は、そんなこと思ってはいない。あの憎い女が囁いただけ。

 そうして「ネフィリー」には少しずつ友人ができて、平穏が訪れた。あの時間が嘘のよう。

 だけどずっと、心の中には引っかかりがあり続けた。

 忘れてない。忘れられるわけがない。

 彼のために、同じ髪型ができるように練習を重ねた。毎朝髪を結い上げるときには、必ず彼を想った。時にはクラスの男の子を彼と見間違えることすらあった。彼のことを想わない日なんて、一度たりともありはしなかった。

 ゼクスに会いたい。

 私が変わっていくほどに、その思いは募っていく。彼には言わなければいけないことが沢山あった。伝えたいことが山ほどあった。叶わない願いかもしれなくても、忘れることはできなかった。

 

 あの日から半年ほど経って、あるホウキレースの会場であなたの姿を見つけたわ。

 あなたが話していたのを思い出して、チラシに目を引かれたの。そうしたら、あなたと同じ名前が選手の欄に書いてあった。もし本当にあなただったら、って、初めて見に行ったんだよ。

 ヘルメットを外してやっと見えたその顔は、あの時と違って眼鏡をかけていたけれど、あなただということは一目でわかった。涙が出るほど嬉しかった。

 でも、あなたは私に声をかけるどころか、気付く素振りすらなかったね。すぐに観客席を駆け下りて傍に行った私のことは見えていたはずなのに、あなたはすぐに反対を向いてしまった。ショックだったよ。別人のはずがないと思ったもの。

 どうして私がわからないの? それとも、顔も見たくないくらいに私を憎んでいるの? そう考えたらとても悲しくなって、周りにも心配をかけてしまう程に気分が落ち込んだわ。

 このままではいけない、きちんと確かめなくちゃいけないと思って、直接会いに行くことを決めたの。あなたの通う学校にまで押しかける形になってしまって、迷惑をかけるかもしれなかったし、怖かったけれど、どうしても確認しないと気が済まなかったから。

 そして、確信した。あなたは紛れもなく私の知るあなただと。本当に私のことがわからないようだったけれど、あなた自身はどこも変わっていないのだと。少し困ったようにはにかむところも、あたたかな声も、ゆったりとした口調も、お喋りで嘘が吐けないところも、優しく目を細めて微笑んだ横顔も。記憶の中のあなたと何も変わらない。

 もしかしたらあなたはあの日のことを、あの事件に至る全てのことを、すっかり忘れてしまったのね。大きすぎた衝撃を忘れることで、自分自身を守っているのかもしれない。

 だとしたら、それでいい。私を忘れることで、あなたが私と同じように平穏な世界を生きていられるのなら、それでいい。

 でも、私はまだ、自分勝手で我儘なの。

 私はこれからもあなたの声が聞きたい。私に笑顔を見せてほしい。私を安心させてほしい。だから。

「ねえゼクス。私、今度の大会も絶対見に行くよ。だから、一人のファンとしてでいいから、私のことを覚えていてもらえる?」

 どうか今のままでいさせて。あなたの傍にいることを許して。

「それじゃあ、名前を聞いていいかな」

「……ネフィリーだよ。忘れないでね」

 お願いよ。

 

 いつか、あの日に借りたものを返せる日が来るのなら。その時はあなたにいっぱい謝って、いっぱいお礼を言うわ。でも、それはあなたがあの日のことを思い出した時。それまでは黙っているつもりよ。

 とても苦しくて辛い思いをしたけど、私にとってあの日の記憶は大切なものでもあるの。だってあなたと出会った記憶だから。でも、あなたにとっては辛い記憶でしかないのなら、思い出さない方がいい。私が大事に仕舞っていれば、それでいいんだわ。

 私は忘れない。あなたのことを。そして、あの化け物のことも。

 いつか、この恐怖に打ち勝つ心と力を手にすることができたなら、その時はあの屋敷へ行くと決めている。

 でもそれまでは、この平穏な日々を続けさせてほしい。

 あの女は、弱い私の監視役だ。あれがいる限り、私は全て忘れずにいられる。この呪縛が解けたとき、私は初めてあなたにちゃんと向き合えると思う。

 だからそれまでは、どうか、このままで。

 

* * *

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