創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

43.今、そこにある魔法

「ルミナ、君のお母さんは魔法使いなんだよ」

「まほーつかい?」

「そう。魔法使い」

 コンソメの香りが満ちる部屋で、私は絨毯の上にぺたんと座り込んで絵本を広げていました。父が、鍋をゆっくりかき混ぜている母の背を見ながらそう耳打ちします。開いていたページの中では魔女のお婆さんが魔法を唱えていて、背景が鮮やかに光っていました。

「お母さんの魔法は、みんなを幸せにするんだ。その絵本の魔法みたいに。ほら、今だって」

おりょうりしてるんじゃないの?」

「美味しくなりますように、っていう魔法をかけているんだよ」

「そっか! まじょのスープだ!」

「だけど、このことはお母さんの秘密なんだよ。だからみんなには内緒にしようね」

「うん、わかった! ひみつだね!」

 透き通ったコンソメスープを掬いながら時折顔を見合わせてはニコニコ笑う私と父を、母は不思議そうに眺めていました。

 

「お母さんって、魔法使いなんでしょ?」

「魔法使い?」

「うん。魔法使い」

 焼きたてのパンが香るキッチンで、私は夕飯作りの手伝いをしていました。隣に並んで立つ母に、シチューを器に盛り付けながらそう問いかけます。村で採れた野菜とミルクで作ったシチュー、友達が家族で経営しているパン屋のバゲット、それは私の好きな献立です。

「さ、さあ~? 何のことかしら?」

「昔お父さんが教えてくれたよ。それからね、学校でスズライトって国について聞いたの。魔法の国だって」

「あら~、お父さん……」

「スズライトに行ったら、私も魔法が使えるようになる?」

「……ルミナは、今も『魔法』に憧れがあるのね」

「あっ、もちろんみんなにはお母さんが魔法使いだって言ってないよ!」

 話しながらお玉を置き、器を両手で包むように持ちます。母はおもむろに腰の紐を解いてエプロンを取ると、困ったように微笑んで言いました。

「今まで話していなかったけど……お母さんはね、生まれはスズライトなの。お父さんに会うまでは魔法の勉強をしていたのよ。ルミナはスズライトに行きたいの?」

「うん!」

「ルミナ一人でも?」

「え……」

「だって、お父さんはこっちでお仕事があるもの」

 問われて、私は少し躊躇して、視線を少し落としました。

 器から両手に伝わる、温かな熱。立ち昇る湯気とシチュー、焼きたてのパンの優しい香りが胸を満たします。

 これらを食べられないのは、淋しいけれど。

「……それでも、行ってみたいって思う!」

 顔を上げると、母は変わらぬ顔で微笑んでいたのでした。

 

「えっ?! あの時の話、嘘だったの?!」

「ち、違うんだルミナ。嘘ではない、んだけど……」

「ええっとね、そういうつもりで言ったんじゃなかったのよね」

 およそ三ヶ月ぶりの故郷、慎ましい村。三人揃って囲む食卓で、私は今まさにかじろうとしていたバゲットを持ったまま固まりました。

 胸の奥で大切に抱きかかえてきた、父と二人の秘密は冗談だったと言うのです。

「どうして魔法のことバラしたのかしら、って、ルミナが出ていった後に聞いてみたのよ」

「ほら、料理のスパイスは愛情だって言うだろう? そういう話のつもりだったんだ、まさか今の今まで信じていたとは思わなかったよ。ルミナは魔法や魔女の出てくる絵本が好きだったから、ああいう風に言ったら喜ぶかと思って……」

「ああ、とても大事な話だったというのに、お父さんったら」

「ごめんって」

 母は大袈裟な身振りで冗談めかして嘆きました。父もニコニコと笑いながら謝罪を口にしました。

 つまり、母が魔法使いだというのは本当ですが、料理に魔法を使っていたわけではないということなのです。ガッカリしたような、拍子抜けしたような。とにかく脱力して、私はバゲットコンソメスープに浸しました。それはあの「魔法のスープ」と同じ味がしていたのでした。

 

「手紙も送ってもらったけど、スズライトの生活はどう?」

 夕食の間は、魔法学校で学んだことや新しい友達のことをずっと話していました。話の種が尽きることはなく、どこまでも話し足りなかったほどです。この三ヶ月間にスズライトで起こった出来事は私にとって何もかもが新鮮で、驚きと楽しみの連続で、発見と感動に満ちていました。

 手紙の文章には書ききれなかった感情が溢れ出します。

「ちょっとだけだけど、空が飛べるようになったよ! 本当に、絵本の魔女みたいに箒で飛べるの! 最初は全然バランスが取れなくってすぐに落ちちゃってたんだけどね、友達がコツを教えてくれて――それから、この前学校のみんなと一日中遊んだの! 向こうにも花火はあるんだね。でね、その時――あとね――」

 二人とも、うんうん、と頷きながら聞いてくれていて、その母の表情はいつか見た微笑みと同じものでした。

 ふと思います。私は母方の祖父母のことを知りません。会ったことがないのです。

 ここは父の故郷で、母は他所から嫁いできて、それきり親元へ帰っていないということは知っていました。まさか外国から来ていたのだとは思いもしていなかったのですけれど。母は両親とあまり仲が良くないようで、二人について話題に出すことはほとんどありませんでした。

 もしかしたら、母の両親は今もスズライトのどこかに住んでいるのではないでしょうか。

 だとしたら、会いに行くことができる。会えたなら沢山話がしたい。スズライト魔法学校に通っていた当時の母のことを、聞いてみたい。

「ねえお母さん。お母さんの友達とか、兄弟とか……おじいちゃんにおばあちゃん……は、スズライトにいるんだよね? みんな魔法使いなんでしょ? いつか……一緒に行こうよ」

 デザートのサクランボを口へ運びながら、あくまで平静を装って母の後ろ姿へ尋ねてみます。本当は、祖父母のことを話題に上げていいのかと少しだけ怯えていました。

 ダイニングの天井に吊るされたランプの光は台所まで十分に照らしているとは言い難く、薄暗い中で母はフライパンと鍋を手洗いしています。その手がピクッと一瞬止まった気がして、私は冷や汗をかきました。

 開いた窓から風が吹いてきます。スズライトと変わらないひんやりとした夜風でした。

「私はスズライトにはもう行かないわ」

 水を止めると、背を向けたまま、母は静かに言いました。腰を覆う真っ直ぐな金髪がサラリと風に吹かれて広がります。

 父がガラスの器からサクランボを一粒ひょいとつまみ上げて、それを咀嚼しながらダイニングルームを出ていきました。扉が優しく閉まる音。それを聞き届けると、母はエプロンの裾で濡れた手を拭きながら話し始めます。

「……お父さんと結婚する時にね、お母さんはおじいちゃんとおばあちゃんと大喧嘩したの。それきりずっと会ってない。だから、今もきっと怒っているに違いないわ」

「喧嘩……? どうして?」

「お母さんが、二人を怒らせるようなことを言ったのよ。それを聞いたら、ルミナも怒るかもしれない」

「怒んないよ。だから教えて」

 そう言うと、困ったように微笑んで振り返りました。暗がりの中に寂しげな表情が浮かび上がります。

 弱々しく風が流れ続けていて、唇が遠慮がちに動いて。

 紡がれたのは想像もしていなかった言葉でした。

 

「――私は魔法なんていらない。妖精の力に頼るだけのこんな国、嫌い」

 ためらいながらではあったけれど、ぼかさず淀みなくはっきりと言い切った声は、その意思が今も変わっていないことを私に感じさせます。

 何も言えない私を前にして、母は目を伏せました。

「ねえ……魔法を使うのには何が必要か、って話は一番最初に習ったのかしら? わかる?」

「え? ええっと……人と杖の魔力……だよね?」

「そう、でも魔力って何なのかしら?」

 母が私へ問いかけます。魔法が使えるスズライト人と使えないラグライド人の違いとは、何なのか? スズライトとラグライドは同じ大陸にある国なのに、何が違うというのか? そもそも、人間の魔力とは本当に存在するものなのか?

「杖が大事なんだって、習ったような」

「逆を言えば、杖がなければ人は魔法を使えない。それも妖精の森の木でなければ駄目ね。それって、人に魔力は存在しないと言っているようなものじゃない? 人間には何もできていないのに、妖精の力を自分のものだと勘違いしているだけなのではない?」

 窓枠がカタカタと鳴っています。風が強くなってきたようです。

 母はエプロンの紐を解くと、サクランボを挟んで向かい側の椅子にゆっくり腰掛けました。大地の色をした瞳が閉じていって、静かにかぶりを振ります。

「やっぱりまだ言うんじゃなかったわ。ごめんね、忘れてちょうだい」

「え? どうして?」

「だって……ルミナは魔法のことを勉強し始めたばかりでしょう? こんな話を聞いてしまったら、向こうでの勉強に悪い影響が出るんじゃないかしら」

「うぅん……? えっと、お母さんの話、難しくて……よくわかってないから多分大丈夫、だと思う……」

「あらまあ」

 首を捻りながら正直なところを言うと、母は目を丸くして、それからクスクスと笑みをこぼしました。

「そうね、難しいお話だったわ。それじゃあ、いつか……またいつか、もう一度話しましょうか」

「うん。次はちゃんとわかるように、勉強しとくね」

 顔を見合わせ、私も照れ笑いをしました。

 

「お母さんもね、最初からああいう風に考えてたわけじゃないのよ。それこそルミナくらいの年の頃は、新しい魔法を覚えて色々なことができるようになっていくのが楽しかった。おじいちゃんおばあちゃんにも沢山の魔法を教わったわ」

「仲直りしないの? どうして、魔法がいらないなんて言ったの?」

「お父さんに出会ってしまったから……というのは、お父さんを言い訳にしてるみたいで、なんだか嫌ねぇ」

 母は頬杖をついて肩をすくめました。

 喧嘩したのは二人が結婚する時、と言っていたことを私は思い出します。それだけを聞くと、結婚を反対されてのことなのだろうかという想像が掻き立てられます。先に結論を言わせていただくと、それは当たらずとも遠からずといったところで。

「お父さんは、港の造船所で働いているわよね」

「うん」

「お母さんにはね、あれこそが魔法だって思えたわ」

「船を造ることが、魔法?」

 疑問を口にすると、微笑みを浮かべました。先程までのものとはまるで印象の違う、温かい笑顔でした。

 二人が出会ったのはスズライトの港町。そう、私がスズライトで最初に足を踏み入れた港です。父は、初めて自分が製作に携わった船が初めて海に出るという話を聞き、スズライトへ向かうその船に乗ってきていました。そして母は学生で、なんとあの難関と名高い王立魔導学校に通っていたのです。私にはそれが一番の驚きでありました。

「あの人ね、船に乗ることばっかり考えてて、その行き先がどこなのかも確認しないで来たんですって。そしたらスズライトまで来ちゃったものだから、もう面白いくらいキョロキョロしてたの。外国の人だってすぐにわかったわ」

 頬をほころばせる母でしたが、あちこちに目移りしていたかつての私も周囲からそのように思われていたのかもしれない、と考えると、むずがゆい気分になりました。

「どうかしましたか、道案内しましょうか、って話しかけたのがきっかけ。親切な地元の人のフリをしてね」

 彼のために声を掛けたんじゃなかったのよ、と自嘲するように言います。

 母はその学生時代から、人と妖精、魔法の関係について漠然としたモヤモヤを抱えていたそうです。そんな時に魔法を知らない隣国の男性を見かけて、面白く思って、軽い気分転換のつもりでした。

 しかし道案内を申し出られた父は、まだ港へ停泊中だった件の船の傍まで、逆に母を案内したのです。その船の初出航が、よほど嬉しかったのでしょう。父は自分の事情を手短に説明すると、夢中でその感動を語りました。

「初対面なのに?」

「初対面なのに。昔からどこか抜けてて天然だったのよ、あの人は」

 懐かしむように、幸せそうに、目を細めます。

 父の話を聞きながら立派な船体を見上げると、それが人間の作った物だという実感が母の中に生じてきました。頭では理解していても、それがどのようにして形作られていくのか意識して見たことは今までなかったのです。

 真っ白な船とどこまでも広がる空が、母の胸に渦巻いていたモヤモヤを晴らしていきます。

「何年もかけてあんなに大きな物を作り上げて、海に浮かべて、それが大勢の人を乗せて動くのよ。どんな魔法も使わないで――妖精に頼らないで、人間の力だけでもこんなことができるんだって。魔法じゃないはずなのに、魔法みたいだって」

 カタンと窓枠が音を立てて、新緑の香りがふわりと舞いました。

「あの日、お父さんがそれを教えてくれたから。ふふ、恥ずかしいわ、こんな話」

「僕が、どうしたって?」

「きゃあ!?」

 いつの間にやら、父が音もなく戻ってきています。なんとも絶妙なタイミングで私の後ろからひょっこりと顔を出し、きょとんとした様子で問いかけます。母は慌てふためいて頬を火照らせました。その様子はまるで、今しがた聞かせてもらった思い出の中の二人を思い起こさせるものでした。

 二人が最初から夫婦だったわけではないのだと、そんな当たり前のことに私は気が付きます。私にとっては、生まれた時から両親は両親でした。けれど、親でもなければ家庭を築いてもいない、恋人同士だった時期が確かにあったのです。そしてその時の気持ちは、今も消えずに仕舞われているのだと思います。でなければ、このように娘の前で恥ずかしがる母の姿はないことでしょう。

 私は体を捻って父を見上げました。

「お父さんのお仕事は凄いね、って話だよ」

「おっ! なんだなんだ、ルミナもついに船の良さがわかったのか!」

 少年のように大きく開いた目を輝かせ、ガタンっと勢いよく隣の椅子に腰かけます。こうなったお父さんは長いわよ、と母が微笑ましそうに笑っていました。

 魔法を使わずとも、と語った母の思いは、少しだけわかったような気がします。私が十年以上育ってきたこの故郷には、スズライトのような魔法の力はありません。それでも町はこんなにも平和で、ご飯は美味しくて、月は綺麗なのです。

 しかし、妖精と共に生きていくということも、私には魅力的に映ります。見えないけれど神聖な存在が傍にいて、人に手を貸してくれること。見守ってくれていること。それは母が言うほど悪いものなのでしょうか。そう思うのは私が無知だから、夢見がちな少女だからでしょうか。

 今になっても、答えは出ません。

 四角い窓枠から、心地よい夜風が差し込みます。三日月の晩でした。

 

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