創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

49.雫と波紋(1)

 コンコンと扉をノックします。
「キラいるー? ルミナです、助けてー」
 壁の向こうで椅子を引いた音がした後、白いTシャツ姿のキラが出てきました。私の訪問は想定済みだったのか、全く動じていない様子です。
「……宿題写しに来たのか」
「はい……」
 こちらの方から伝えるまでもなく、私が両腕で抱えたノートとプリント――それから、恐らく私の表情――を見て、一瞬で話は通じたようでした。
「だからって男子部屋まで来るかよ」
「それがみんなどこかに出かけちゃってるみたいで、誰も部屋にいなくて……」
「ロビーか食堂にでも行けば知り合い一人くらい会えるんじゃないのか」
「あ! 確かに」
「……まあ、わざわざ来たのを追い返すのもなんだし、別に、いいけど」
 キラは眉を寄せつつも、仕方なさそうに扉を大きく開けてくれました。飛びつくように中へ入ります。
「やった! 本当にありがと! またお礼しなくっちゃね、何がいい?」
「そういう話は終わらせてからにしろ。言っとくが、丸写しはさせないからな」
「えー?!」
「当たり前だ。わかっててオレのとこに来たんだろ?」
 振り向いたキラにジトっと見つめられて冷や汗をかきます。
 夏休みに入って、失念していました。これまでの宿題でも、キラは答えだけ見せるような教え方をすることは決してなかったのだと。
 優しいけれど、厳しい人でもあるのです。でも、それでも結局、私は彼を頼ってしまうのでした。

 

 楽しかった夏休みもついに最終日。私が山積みの宿題をキラに教わりながらアセアセと消化していた頃、階下のロビーはにわかにざわめき立っていました。
 寮生共有のその空間は、登校日前日ということもあり、帰省先や旅行から戻った生徒たちによって少し賑わっています。談話スペースの椅子やソファは七割くらい埋まっていて、壁際で立ったまま話している人たちも見られました。
 その大勢の視線が、時折ちらちらと一定方向へと注がれます。鮮やかなピンク色の髪が目を引く少女、ミリーがそこには来ていました。ミリーの姿を確認した皆はそわそわと落ち着かない様子で道を譲ろうとするので、廊下からロビーの奥へと歩いていく彼女の周囲だけが開けてスカスカしています。
 しかしミリー自身はそんな人々の様子を気にしているのかいないのか、構うことなくクラスメイトや知り合いを見つけては自ら歩み寄って声を掛けていました。声と動きに合わせて、髪を二つに結わえている大きめのリボンが一緒にひらひらと揺れます。
いーちゃん、久しぶり~」
「わ、わっ、ミリーちゃん?! う、うんっ、久しぶり」
「あっ、ユウヤ髪切ったでしょ? 涼しそうでいいじゃん」
「お……おう」
「リーン! また日焼けしたね~!」
「えっ? きゃあ、ミリーちゃんー! そうなの、クラブの合宿でもう真っ黒。ミリーちゃんは焼けてなくって凄いわ。羨ましい~、やっぱりアイドルとあたし達じゃケアの仕方も違うのね」
 ミリーは誰にでも分け隔てなくニコニコと笑顔を絶やしませんが、彼女に話しかけられた人たちは、初めには決まって驚いた顔をするのでした。
 ロビー奥の角にあるドリンクの売店近くまで来ると、その手前で足が止まりました。先客が二人立っていて、ミリーはその傍へ行くのを躊躇している様子です。二人は言い合いに気を取られ、ミリーのことや彼女を中心に起きているざわつきのことには気が付いていないようでした。
「コーラで」
「俺は牛乳を頼むっす」
「レルズっていっつも牛乳だよな。それ無駄な足搔きだから」
「勝手に決めんなし?! まだまだ成長期だっつの! つーかスティンヴだってコーラばっかじゃねーか、そういうの体に良くないんだぜ!」
「余計なお世話。てか何様」
 いつも通りのやり取りを繰り広げるレルズとスティンヴを、朗らかそうな売店のおばちゃんは微笑ましい目で見ています。
 以前、皆で遊びに出かけた海での一件を覚えているでしょうか。あの日にミリーとスティンヴは初めて顔を合わせたのですが、「興味ない」の一言で切り捨てられた第一印象が彼女の中では尾を引いていました。ミリーに限らず、多くの女子生徒にとってスティンヴは近寄りがたくて少し怖い少年だったのです。
 しかし、そう簡単に引き下がるミリーではありません。小柄で可愛らしい容姿に反して、彼女は図太いのです。大きく息を吸い込んで一呼吸整えると、努めて平静を装い二人の名前を呼びました。
「すー……はー。レルズ君! スティンヴ!」
「ぅえっ!?」
「? ああ、あんたか」
「花火以来だね!」
 二人が振り向きます。レルズが声を裏返らせる一方、スティンヴはカウンターに代金を置きながら素っ気なく返事をしました。
 横に置かれたガラスケースを開けて冷たいコーラの瓶を取り出し、プシュッと小気味いい音を立てて開栓します。きつい炭酸をぐいと流し込むと、その場に留まって動かないミリーに向けてスティンヴは疑問符を浮かべました。
「何か飲みに来たんじゃないのか」
「え。あ、そ、そうだった。えへ。あの、リンゴジュース下さい」
 つっけんどんな物言いには、まだ少々緊張します。
 ストローを差して一口ゴクンとジュースを飲み、スティンヴから半ば逃げるようにしてレルズの方へと近寄りました。彼は中途半端に離れた場所でキョロキョロと落ち着かなく体を揺らしていましたが、彼女に笑いかけられた途端にビタリと固まって顔中を真っ赤にしながら上半身を仰け反らせます。
「レルズ君、宿題はもうバッチリ?」
「いいいいやっ、まだ途中でっ、ダセーっすけど、今はその、休憩っす!」
「ふふっ、やっぱり? そんな気がしたんだ」
「ど! どういう意味っすか?!」
「そのまんまだろ」
「あははっ。スティンヴは、どう?」
「片付いてるに決まってる。そういうあんたこそ大丈夫なわけ?」
「えっ、終わってるよ。ワタシもそんなキャラに見えてるの?」
「『も』ってなんすか!」
 スティンヴは舞い上がったりうろたえたりと大忙しのレルズをことごとく無視し、
「アイドルだっけ? 知らないけど忙しいんだろ? 色々、時間無いんじゃないのか」
「なんだ、そういう意味? 今はお休みをもらってるから、心配無用なのです!」
「ふーん」
「うげ、お前マジか、そっからかよ……」
「何が」
 今度はレルズの方がスティンヴへ呆れ顔を向けました。
 ミリーはスティンヴと普通に会話ができたことに内心ホッとしながら、残りのジュースを飲み干しました。
 部屋へ戻ろうとしますが、何やらレルズがもごもごと話したそうにしている様子です。ミリーはそれに気付くと、彼の方へとことこと近付きました。
 レルズは一瞬驚いてためらう素振りを見せたものの、周囲の目も気にしつつ、スティンヴに見えないように口元を手で隠して小声で早口に喋ります。もっとも、スティンヴは初めから興味がないようで違う方向を向いていたのですけれど。
「この後、シザーさんと商店街で待ち合わせしてるんす。俺の宿題が終わるまで、先に一人でぶらついてるって言ってましたんで、会ってきたらどうすか」
「え……な、なんで?」
「へ? あっ、いやその、えーと」
 ミリーの頬が仄かに色づくと同時に、隙のなかった笑顔が僅かに崩れて訝しげな感情が混じりました。
 レルズは言葉を詰まらせた末に、目を逸らして一言ぽつりと。
「……な、何となく?」
「! 別にワタシ、シザーは、そういうのじゃないよっ」
 ミリーも小声で語気だけを強めて、両手を握り否定を口にします。けれど緩やかに握りこぶしが解けていき、明後日の方向へ目を泳がせながら照れくさそうな口ぶりで続けました。
「で、でも……そうだな、せっかくだから行こっかな。ほんとにそういうのじゃ、ないけど、しばらく会ってないし、学校じゃ話せないし。ね。レルズ君もちゃんと宿題終わらせたら来てね?」
「……はいっす」
 去り際に自分へ向けられた笑顔をレルズは直視することができず、自嘲するように力なく微笑んで頷きました。

 

 商店街中央の広場、青々とした葉を広げる並木の日陰で、シザーはソーダ味の棒アイスをシャクシャクと齧っていました。石のベンチに腰かけ、止まないセミの声の中で一人ぼんやりと人の往来を眺めています。
 広場の向かい側に、屋台に車輪を付けた幌馬車のようなアイスキャンディーショップが来ていました。ビニールの屋根は色とりどりの淡いパステルカラーで、ポップかつ涼しげな印象を与えます。客足はほとんど途絶えず、特にカップルと親子連れが多い様子です。
 その横を歩いてくるミリーに気付くと、シザーは気さくに笑顔で手を上げました。
「よう!」
「ひゃ、バレちゃった。やっぱり変装が甘いかなぁ?」
 ミリーは小走りで木の影まで駆け寄りながら、麦わら帽子の広いつばを両手でグイと引っ張って顔を隠します。「変装のつもりだったのか」とシザーが笑うのでますます縮こまって、すっかり目元が見えなくなるくらい深く被ってしまいました。
「男の格好してみるのはどうだ?」
「んー……、そうだね、たまにだったらいいかも?」
 口元に指を当てて考える仕草をします。そしてそれだけ答えると、クスリと微笑みました。
 帽子の下から僅かにちらりと覗く瞳をシザーは真っ直ぐ捉えて、ニカッと笑ってみせます。
「ま、今は俺がいるし、バレても心配すんな」
「う、うぅ~……またそういうこと言う……」
「どうかしたか?」
「なんでもありません~!」
 目深に被った帽子を押さえつけてそっぽを向いてしまったミリーを見て、シザーはきょとんとしながら少なくなったアイスにかぶりつきました。
 頭上の葉がさわさわと音を立てて揺れています。木陰で感じるカラリとした風も爽やかな空気も、彼女の鼓動を落ち着かせるには逆効果です。
 ミリーには、学校が始まる前にシザーと話したいことが沢山ありました。それは休みの間どこかへ遊びにいったのか、何をしていたのか、といったような、何の変哲もない話題ばかりだけれど、彼とは今しかできない話でした。
 ひとたび校舎へと足を踏み入れた彼は、教師――大人に煙たがられる「不良」を演じるため心をきつく閉ざしてしまいます。彼がそうする理由を、ミリーは未だ理解できていないのが正直なところです。けれど尊重したいとは思っていて、話しかけたい気持ちを今まで何度も抑えていました。もっと多くのことを話して、もっと彼のことを知りたいと思い続けていました。
「今はチャンス……! しっかりしろ、ワタシっ」
 両手で頬を挟んでぺちぺちと叩き、一呼吸を置くと、広場へと飛び出します。
「あ、暑いね!? ワタシもあそこでアイス買ってくる!」
「おい待て、横!」
「え――――」
「わあ?!」
 即座に呼び止めたものの、間に合いません。右手側から歩いてきていた女の子が、振り向きかけたミリーの腰辺りに正面からぶつかりました。
 隣にいた母親と思しき女性は、反動で倒れそうになった女の子を自身の体に抱き留めて支えます。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
「シズク! 痛いところはない?」
 ミリーは慌てて頭を下げました。シザーもベンチから立ち上がり、傍へやってきます。
 二人はその女の子の顔を一目見た瞬間、思わず目を見張ってしまいました。
 十歳にも満たないようなその幼い女の子の顔には、両目を覆うように真っ白な包帯が巻き付けてあったのです。
「ん、びっくりしたけどだいじょーぶ。ぶつかったの、人?」
 気付けば、セミの声がぴたりと止んでいて。
「ミリーちゃんの声がした」
 残り一口のアイスの棒から雫が垂れて、ぽたりと地面に染みを作りました。

 

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