創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

50.雫と波紋(2)

 シズクと呼ばれた女の子は、正面で瞳を揺らし狼狽するミリーの方を真っ直ぐに「見て」います。二つのシュシュで結わえてお下げにした亜麻色の髪と花の形のブローチは年相応に可愛らしく、両目の上から巻かれた包帯の違和感を一層大きくしていました。
「ママがくれたレコードのお歌の声にそっくり! ねえねえっ、ミリーちゃんがいるの!?」
「えっ?」
 母親は女の子を両手で包むように抱いたまま、帽子を深く被っているミリーを見下ろしました。すぐさま顔を背けます。
「待った! 気のせいじゃねーか?」
「おにいちゃんは、誰?」
「そいつの友達。俺ら、ただの学生だぜ?」
「でもミリーちゃんの声だったもん! シズクの耳は正確なんだから!」
 シザーが母親とミリーの間に割って入りごまかそうとしますが、女の子も一向に引きません。頬をぷっくりと膨らませ、握った両手をぶんぶんと上下に振ります。前が見えていないようであるにも関わらず、女の子はシザーのいる方向へ正確に振り向いていました。
「ねっ、ママ、シズクが合ってるよね!?」
「ええと……」
「………」
 シザーは頬の引きつらせて薄い笑みを浮かべ、じっと母親を見据えました。温和そうな彼女はその目に気圧されたのか、あるいは帽子の少女を気にしているのか、ちらちらと目を泳がせて返事できずにいます。
 同時にシザーは周辺にも睨みをきかせ、外野が群がるのを阻止しようとしていました。道行く人の多くは、断片的に聞こえてくる会話や揉め事の様子に興味を持っているようではありますが、シザーと目が合ったり女の子の包帯に目が留まったりすると、足を止めることなく去っていきます。
 女の子は無言の空間に痺れを切らし、母の返事を待たずに口を開きました。
「シズクね、ミリーちゃんにお願いしたいことがあるんだ。お歌を生でシズクに聴かせてほしいって! そしたら手術なんてもう怖くないし!」
 彼女のその言葉を耳にした途端に、二人の顔色がさっと変わります。シザーの表情がますます険しくなりました。ミリーはピクリと肩を震わせ、瞳をより激しく震わせました。

 

 ――歩いてたら人にバレちゃって、周りに人は少なかったけど、歌ってって言われて……歌えなくて。……、逃げちゃった。
 ――歌うのは嫌?
 ――わかんない、けど、歌えないよ……。

 

 それは、夕闇に包まれた路地裏。大きな目に涙を溜め、しゃくりあげながら膝を抱えていたミリー。その光景がシザーの脳裏に蘇ります。
 シザーは一切ためらいを見せずにミリーの腕を掴み、自らの方へと軽く引っ張りながら踵を返しました。
「スイマセン、俺ら急ぐんで、これで」
「!! 待って! ス、ストーップ!」
「!?」
 思わぬ叫びに、彼の足が止まります。ハッと我に返ったミリーの声でした。
 彼女自身も含めた全員が驚きで固まり、時が止まったかのように静止します。
 ミリーは片腕を掴まれたまま、もう一方の腕をピンと伸ばしてスカートの裾を強くつまみました。
「シザー、ありがと。……でも……いいんだ」
「何で……」
 彼の目から伝わる戸惑いと優しさを見つめて微笑むと、それをそっと振り解きます。
「あ、あの……?」
 ミリーは改めて親子に近付いていきました。母親は怪訝な顔で言葉を待っています。
「さっきは、本当にすいませんでした。怪我がなくてよかったけど、ぶつかっちゃったのは変わらないから、お詫びさせてください。ちょっと話したいこともあって……」
「……え?」
 疑問を漏らしたのは母親一人でしたが、皆が同じ気持ちでした。特にシザーにはその心変わりの理由がまるでわからず、彼女の背中を呆然と追うことしかできません。
 思い当たることがあるとすれば、目が見えない女の子への哀れみでした。もしそれで無理をしているのなら止める、とシザーはミリーの一挙一動に気を張ります。シザーも女の子の目に関して何も思うところがないわけではありませんでしたが、まずミリーには自分自身を第一に思ってもらいたいのです。
 しかし、そんなシザーの不安とは裏腹に、ミリーに先程までの震えはもう見られませんでした。
 親子に向き合おうとする彼女が、急に遠くへ行ったように見えます。いざとなれば止めさせなければならないと思う一方で、止めてはいけないような感覚も生じていました。
 乾いた風がシザーの額に打ちつけられ、日差しを浴び続けて火照った肌が冷やされていきます。風でミリーのスカートが大きくはためいて、地を踏みしめて立つ華奢な足のシルエットを浮かび上がらせました。
「話したいことって――」
「シズクのお願い聞いてくれるの?!」
 尋ねようとする母親の言葉は、女の子に遮られます。
「……ん」
 ミリーの返事は今にも消え入りそうな曖昧なものでしたが、女の子は既に満面の笑顔を見せていました。母親も、気になる点は多いようですが、そうした娘の様子には笑みが零れています。
 とうとうシザーが口を出すことはできませんでした。
 理解し難く思っているのは、お互い様なのです。ミリーがシザーのことを多く知らないのと同じように、シザーもまた、ミリーのことをよくわかってはいないのでした。

 

「入院してる病院、あそこの教会の近くなんだって。そこまで送ってくるよ。それじゃ……また明日ね」
 南の方角を指差してそう言ったミリーの笑顔はいつもと変わらないはずでしたけれど、帽子のつばが落とす影のせいで暗い印象を受けます。
「おい、マジで歌うつもりか? 大丈夫なのかよ?」
 顔を近付けて小声で問いかけると、目を逸らして少し俯きその影を色濃くしたので、シザーの心配は募りました。
「だって、いつまでも今のままじゃダメだもん……」
「ダメなもんかよ。訳があるんだろ、歌えないって」
「だけど……、ううん、やっぱりダメ」
 ミリーは頑なにそう言い続け、麦わら帽子で表情を隠して唇を結びました。それきり、別れるまでずっと口を閉ざしたままでした。
 そんなに急ぐことないだろう、とは、言えず。言おうとすると、何故か喉がつかえて。
 ミリーは優しい微笑みを浮かべてはいたけれど、いつも学校で見るものとは雰囲気が違うのです。何らかの拍子に容易く壊れてしまいそうな、張り詰めた糸のような、繊細な決意が滲んでいました。

 

「お待たせしましたっすー!」
「何ボーっとしてんだ」
「ん? ああ……お前ら」
 しばらくして、木陰のベンチに再び座っていたところへレルズとスティンヴが合流します。キャンディーショップはどこかへ移動していて、シザーの両手も空になっていました。
 周囲に目をやって、レルズが尋ねます。
「あれ? シザーさん一人っすか?」
「そうだけど、それがどうした?」
「い、いや、何でもねっす。早く行きましょうよ! 俺アイスが食いたいっす!」
 レルズは安堵したような、残念がっているような、いくつかの感情が混じり合った複雑な表情を一瞬だけ見せたけれど、すぐに話題を変えました。
 シザーの視線が、南の空へ揺れます。
 商店街を行き交う人々の流れは止まりません。セミがけたたましく鳴き続けています。石の道から立ち昇る熱を引き寄せるようです。
 シザーは大袈裟なくらい勢いをつけて立ち上がると、心のスイッチを切り替えるように笑顔を作りました。思考は一旦打ち切って、モヤモヤを頭の片隅へと寄せて、汗で肌に張り付いた前髪を無造作にかき上げました。

 

 扉越しに廊下から聞こえてくるざわめきと複数の足音。長期休みが明けた初日らしい、慌ただしさです。
 そのどたどたという音で私は目を覚まし、まだ半分閉じたままの瞼をこすりながらカーテンに手を伸ばしました。柔らかな朝日が注ぐ、良い天気でした。
 身支度を整え部屋を出ると、あちこちで数名ずつのグループが形成されていて沢山の話し声が聞こえてきます。皆、休み中の思い出話に花を咲かせている――そう思いきや、すれ違う際に耳に入ってくる言葉から察するに、どうやらそれだけではなさそうです。
 あちこちから、ミリーの名がよく聞こえてくるのでした。
 何かあったのかな? と思いながら階段を一階まで降りると、その様子はますます顕著になっていました。クラスメイトの姿を見つけて近寄り、声をかけます。
「なんかザワザワしてるね? どうしたの?」
「あ、ルミナ! それが、ミリーちゃんのライブがあるかもしれないって噂なの!」
「ミリーの?」
 友人たちはコクコクと頷きました。
 たった一日のうちに、話は大きく膨れ上がり広まっていたようでした。

 

 大樹のようになっている寮の一室の窓がカタンと静かに開き、艶やかな黒髪を胸元まで伸ばした猫目の少女がそっと顔を出します。
 階下に人の目がないことを確かめると、制服を着た彼女はそこから箒に跨って外へ飛び出しました。停止することなく一目散に校舎まで飛行し、その手前で着陸して再び周囲の様子を伺います。小走りで靴箱を抜けて、ハート型のチャームが付いた鞄を持ったまま近くのトイレへ身を隠します。
 淡い光が零れて、しばし間があり、出てきたのは変身の魔法を解いて元の姿に戻ったミリーでした。
 開け放たれた教室の扉の前に彼女が姿を見せた途端、先に登校してきていたクラスメイトたちの視線が集中します。注目を浴びるのは彼女にとって日常のことでしたが、この日ばかりは普段以上でした。周囲はあっという間に噂好きの女子たちに囲まれ、口々に質問が飛んできます。その中にはエレナの姿もありました。
 彼女たちの目に表れていたのは好奇や驚きというより、喜びと期待でした。
 ぐっと喉が詰まるのをひた隠しにして、ミリーは笑顔を振りまきます。
「もー、どうしてこんな噂になってるのー? ワタシから言えることはありません! ノーコメント! ……だめ?」
 ドアのすぐ傍で、きゃいきゃいとはしゃぎながらはぐらかしていると、シザーが登校してきてその後ろに立ち止まりました。クラスメイトたちの表情が固まり、質問攻めが止みます。
 振り向いて顔を上げたミリーを、彼は何も言わずギロリと睨むように見下ろしました。
 皆が視線を逸らしてびくびくと脇へよけていく中、ミリーはその場を動かず、口元だけで力なく微笑みかけます。また、エレナはその様子に気付いて口をつぐみ、じっと二人を見つめました。
 シザーは表情をピクリとも変えずにミリーの瞳を数秒覗き込み、無言で横を通り抜けていきました。
「シザーも噂が気になるのかしら?」
「や、やだー、あのシザーに限ってそんなわけないでしょ」
「そ、そうだよ」
 エレナの冗談めかした発言によって、身をすくませていた彼女たちが元の調子を取り戻します。輪の中の空気がリセットされ、話題は今日提出する宿題のことへと移っていきました。
 ミリーもいつも通りに笑います。
 席についたシザーが、遠くからもう一度ミリーの方へ鋭い視線を向けていました。

 

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