60.跳ね回るライムグリーン(1)
西日に透けたカーテンが、風でそよそよ揺れています。皆の机の上から教科書やノートがいそいそと片付けられ、昨日に続き学園祭準備の時間がやってきました。
あと数分で鐘が鳴るというときに、廊下からギアー先生が顔を出して実行委員の生徒を呼びました。襟と袖口にさりげない刺繍の入った白いシャツと濃紺のスラックスは男子生徒の夏服姿に少し似ていて、生徒との距離が一層近く見えます。
呼び出された女子生徒は軽い口調で尋ねました。
「センセー、何ですかー?」
「クラスTシャツが届いているそうだよ。今ちょうど昇降口にあるから、自分たちの分を教室まで運んできてほしくてね」
「クラT!」
学園祭の当日に皆で着るユニフォームは、夏休み前の話し合いで決めて注文していたのですけれど、それが到着したという連絡でした。近くで会話を聞いていたクラスメイト達も歓声を上げます。
学園祭のような学校行事でお揃いのTシャツを身に着ける文化は、海を隔てた外国からもたらされたものです。故郷にそのような習慣はなかったため、初めての体験に私も胸が躍ります。
「一緒に行っていい? 手伝うよ!」
私は早く現物が見たくて、ちょうど彼女の傍にいたこともあり、声を掛けました。ギアー先生は近付いてきた私を一瞥して微笑むと、他のクラスにも同じ連絡をしに向かったようでした。
二人並んで、教員と来客用の昇降口へ向かいます。廊下を歩いている途中で「物をワープさせる魔法ってあったよね。使わないの?」と疑問に思って尋ねたところ、「まずはちゃんと実物の場所を確認しないと」と返ってきました。
「けどフツーに手で運ぶよ。人がいる教室とか廊下にいきなり出すと危ないからさ」
「宙に浮かせて持ってくのは?」
「物を動かして操るのは国の法律で禁術扱いになっちゃうからダメだったはず」
「えっ、あ、そっか。掃除のルールと一緒なんだね……」
「そうそう」
彼女は涼しい顔で答えます。
例えば箒で掃き掃除をしたり、雑巾を濡らして水気を絞ったりすることを、自分たちの体を使わず魔法を用いて行うのは国で禁止されていました。物体を操るという行為が問題とされているからです。
私もその規制はもう覚えていましたし、だいぶ慣れてもいましたが、未だふとした折に使いそうになってしまいます。禁じられている魔法自体は決して難しくはなく、私たち学生にも扱える程に容易なものも多かったのでした。
来客用昇降口は生徒用の昇降口と違い、がらんと開けた広いスペースとなっています。開放されたその入口のところに段ボール箱が大量に積み上げられ、傍には長身の女性が一人立っていました。配達の方かと思いましたが、それにしては派手な格好をした若いお姉さんでした。
キーンと高い声が飛んできます。
「生徒さんだ! こっちこっちー! なのー!」
長い脚と細くくびれた腰回りを惜しげもなく出した彼女は、頭上で無邪気に手を振りました。大人っぽさと子供っぽさの両方を兼ね備えたような、不思議な方です。
高い位置で二つ結びにしている、くるんとカールした黄金色のロングヘアが幼げなシルエットを作っています。左の頬に小さくペイントしてある青色の星マークと上向きの長い睫毛、ライムグリーン色の鮮やかな瞳が印象的でした。
「学祭のクラT受け取りに来たので間違いない? アナタ達が一番乗りなの! 何年何組ー?」
近付いていってクラスを伝えると、その場に屈んで箱を開き始めます。白い太ももと、チューブトップの下の大きな胸がグッと強調されました。
「合ってるか確認してね、なの。これで大丈夫?」
「はい!」
ぴしっと畳んでビニール袋に包まれたTシャツを一つ取り出し、私たちに見せます。
担任のパルティナ先生の髪のような淡い水色の生地をベースにしたデザインで、背中側にはクラス一同の名前が紫色の刺繡糸で一文字一文字縫われていました。カタログでイメージ画像は見ていたけれど、現物を目にすると、その刺繍の細やかさに感嘆の息が漏れます。これが一つずつ全て手縫いだなんて、にわかには信じられませんでした。
私たちは段ボールを持ち上げるため、両脇を挟むように近寄ります。すると、女性のアーモンド型の目がじーっと私の動きを追っているのに気が付きました。どこかおかしかったかな? と自分の体を見回していると、彼女の方から声を掛けてきます。
「あ、ゴメンねなの。昔のお友達に似てて、つい見ちゃったの。金髪も、その丸い目も笑った顔も、そっくりなの~。ハッ、もしかしてアナタがルミナちゃん?」
「え!」
「わ~っ、やっぱりなの!」
名前をぴったり言い当てられて驚く私たちを見て、女性はパチンと手を合わせ喜びました。どうしてわかったのか聞くと、ニコニコと笑顔を浮かべます。
「ん~っとねぇ。何でだと思う?」
「ルミナ、お母さんがこっち出身って言ってなかった? 知り合いなんじゃ?」
「そっか、お母さんの! そうなんですか!?」
「おかーさんの名前なんてーの? あ、アタシはパリアンなのっ。よろしくなの!」
「お母さんは、マリって言います」
「マリちゃん! そっかそっか~! こんなにそっくりなんてびっくりなの~!」
パリアンさんは瞳を輝かせ、もう一度じっくりと私を凝視しました。少々恥ずかしく、緊張してしまいます。確かに私の容姿は、金髪も茶色の目も母譲りで、どちらかといえば父よりも母に印象が近いはずです。
パリアンさんは左手を頬の星に軽く添えました。ぶかっとした大きなバングルがキラリと日差しを反射します。
「正解はね、アタシのおねーちゃんがマリちゃんとちょうど同い年なの。王立に通ってたときだったかな? 外国行っちゃったって聞いてちょっと寂しかったけど、元気にしてるならよかったの。戻ってきてくれたのも嬉しいの!」
「あ、その、お母さんは来てないんです。こっちにいるのは私だけで」
「えっ、そうだったの? じゃあルミナちゃんは、外国で一人なの? スゴイスゴーイ! アタシだったら寂しくって帰りたくなっちゃうかもなの」
私はパリアンさんに、母について聞いてみたいことが沢山ありました。けれどパリアンさんが喋っているうちに、続々と他クラスの生徒たちが集まってきてしまいます。このまま話し続けて、友人を待たせるのも申し訳ありません。本音ではまだもう少々話していたかったですけれど、私は質問を諦めました。
段ボール箱に手を伸ばしてしゃがみます。それに合わせてパリアンさんがこちらに顔を近付けてきて、ニヤリと耳打ちしました。
「ねぇねぇルミナちゃん、ここだけの話、担任の先生にイヤなとこない? 後でそれとなーく伝えちゃうの」
予想していなかった内容でした。
「えっ、え? 先生? 平気ですよ? ちょっと厳しいときはあるけど、嫌ってほどじゃ。質問も答えてくれて、優しいですし」
「ホントに? ……なぁんだ」
「え」
私の答えに一瞬だけ天真爛漫な笑顔がフッと消えて、声のトーンと瞳の輝きが暗くなります。一転した雰囲気にドキリとしたけれど、パリアンさんはくるりと髪をなびかせて立ち上がり、すっかり元の様子で別の生徒に応じ出してしまいました。
何だったのだろう? 突然どうして、先生のことを?
疑問を残したまま、パリアンさんと別れます。
ですがこの後、日を跨がないうちに、彼女とは再び出会うことになるのでした。
教室に入ってすぐの場所に、ドサッと段ボールを下ろします。私はそのまま実行委員と一緒になって傍に屈み、箱からTシャツを一つずつ取り出してクラスメイトへ配っていきました。皆はその場ですぐにビニールを開封し、そのサイズや手触りなどを確かめていました。
最後のMサイズは、パルティナ先生へ手渡します。
「これは先生の分です!」
「あ、ありがとう……これを私も着るのね……」
先生は微笑んで受け取りましたが、改めてTシャツを見下ろす顔は次第にこわばっていきました。
「ちょっと若々しすぎない……?」
と、零したのを耳ざとく聞きつけた女子生徒たちが、その周りを囲ってキャーキャーと否定します。そんなわけないですよ、といった反論の嵐です。事実、先生は決してそう気にするほどの年齢ではなさそうであり、それどころか、教員の中でも一、二を争うほど年若いはずでした。
先生は、半袖のカットソーと花柄のロングスカートといった格好です。どちらも淡い色合いで、涼やかにまとまっています。小ぶりな銀の腕時計と飾り気のないツヤツヤの爪も相まって、先生の生真面目さがよく表れていました。
髪型は普段通りの、シンプルなゴムで結わえた一つ結びです。前髪を留める二本のヘアピンはバツ印にクロスさせています。その容姿でこのTシャツを身に着けて生徒と並べばすっかり紛れてしまうかも、と、私もこっそり思っていました。
その突如、不機嫌な声が飛んできます。
「うっわ。何アレ。わざわざあんなこと言って構ってもらっちゃって、それでいい気になってんだからヤな女なの~」
振り返ると、廊下の扉の縁にパリアンさんが寄り掛かっていました。昇降口で明るく話していた姿とはまるで別人のような険しい目つきで腕組みをして、ジロリと先生を睨みつけています。
誰だろう? とざわつく生徒たちの前を、先生はつかつかと早足で歩いていって。
脇目も振らず一直線にパリアンさんの真正面へ向かうと、その最後の一歩に思い切り力を込めて振り下ろしました。
「パリアン! あなたはまた勝手なことを! 何しに来たの、不法侵入よ!」
踏み抜かれたパンプスのヒールと同時に発せられた怒声の衝撃に、教室の空気がビリビリと震えます。
「ちゃんと許可もらってます~、なの~。決めつけるとかダサダサなの」
「日頃の行いが悪いからでしょう? だいたいその格好は何!? 場所を考えなさい!」
「好きな服着て何が悪いの!」
「ああ、これだから嫌だわ。相変わらず考える脳もないのね? それがわからないからあなたはいつまでも馬鹿なのよ」
「アンタこそ昔っからイヤミなところホントに変わらないの! 大ッキライ!」
「じゃあ何でいるわけ? 帰りなさい、今すぐ」
「何その言い方! ヒドイの! パルティナばっかりズルい! アタシだって会ってみたかったんだもん!」
「! あなたいい加減に……!」
二人の言い合いは全く収まる気配がありません。生徒たちは皆ぱちくりと目を丸くし、口をぽかんと開けて、彼女たちの争う様を唖然として見ています。
背後からのその視線にハッと気が付いたパルティナ先生は我に返ると、焦燥を露わにして振り返りました。
白い肌がみるみるうちに赤く染まり、どんなときでも真っ直ぐで凛々しい立ち振る舞いがガタガタと崩れていきます。
「とっ、とにかく! 帰って! 皆さんも、この人には構わないで、忘れて、早く次の準備をするように! いいですね!?」
シャツが入ったままのビニール袋をぐしゃりと抱き締め、ライトブルーの髪を振り乱してまくし立てると、先生はパリアンさんを押しのけて逃げ隠れるように教室から出ていってしまいました。
「ベーだ!!」
パリアンさんは、先生の背へ向けて子供がするように舌を出します。
その後、何事もなかったかのようにキョトンと教室を一望し、綺麗すぎるくらいにこやかな笑みを残すと、先生と逆方向へスタスタと立ち去りました。
まるで台風が通ったよう。私たちは、終始呆気に取られたまま動けませんでした。
「……あんな先生、初めて見た……」
ぽつりと呟いたネフィリーに、友人たちもこくりと頷きます。それを皮切りに、先生の知り合いみたいだったね? 友達かな? でもなんか仲悪そうじゃなかった? と、固まっていた空気はほぐれてクスクス笑いが漏れました。