62.星と空色(1)
鼻歌を歌いながらリズミカルに廊下を歩いていたパリアンさんは、静かでガランとした来客用昇降口の手前で呼び止められて立ち止まりました。
よく通る、女の子の高い声です。
「パリアンさんっ」
「ぅん? わぁ、ミリーだ! 久しぶりなの~!」
下駄箱の影からぴょこんと姿を現したのはミリーでした。パリアンさんは抱きつきそうな勢いで駆け寄ります。二人は両手をパチンと合わせて笑顔で向かい合いました。
「また自分でお届けに来たんですね? ずーっとパリアンさんの声聞こえてましたよ。パルティナ先生との喧嘩もバッチリ」
「やーん、恥ずかしいの。でもだってムカつくんだもん! その話はおしまい! なの!」
「あはは、ごめんなさーい」
気心の知れた様子の二人は、さながら年の離れた姉妹のようでした。彼女とパルティナ先生が口論ばかりしているということも、ミリーは以前から知っていたような話ぶりです。
パリアンさんは話題を変えて、ここで自分を待っていたのかとミリーに問いました。
「こっち側って生徒は使わないんじゃないの? もしかしてだけど、アタシに何かお話なの?」
「え、えへへ……でもまだ、戻ってからもお仕事ですよね……」
「ミリーは今日暇なの? じゃあパパーッて片付けちゃうから、お店で待っててなの~」
「いいんですか?」
「うんうん!」
言葉に合わせて二回頷きます。遠慮がちな目を向けて体の前で手を重ねるミリーへ、パリアンさんはお姉さんらしい微笑みで答えました。
「気付いてる? そうやってね、ミリーがちょっぴり弱気でお願いしてくるときって本当に人を頼りたいときなの。だから張り切っちゃうの! アタシは何でもお見通しなの★」
ぐっと拳を握り、力こぶを作る仕草をします。
明るく振舞っていたミリーでしたが、パリアンさんの言葉に少しだけ目を見張りました。眉は下向きに下がり、口も小さくすぼんでいきます。
「……ずっと話せなくて、すいませんでした」
「アタシはいいの、事情はマネージャーさんからだいたい聞いたの。無理ないことだと思うの……。頑張りすぎる方がダメなのっ!」
パリアンさんはミリーと対照的に、眉をピンと張って声を上げました。
ミリーの瞳を覗き込んでピタリと視線を重ね、はつらつとした笑顔を見せます。ミリーはつられて、へにゃりと口を綻ばせました。
「先に行ってるの。あ、そうだっ、よく一緒に来てるお団子結びの子も来るの?」
トントンとつま先を鳴らして、来客用のスリッパから厚底サンダルに履き替えます。パリアンさんの身長はより一層すらりと高くなりました。
「え……と、今日はワタシ一人で」
「りょ~かいなの! 『変装』してきても大丈夫だからね、ちゃんと気付くの。待ってるの~!」
踊るようにひらひらと手を振りながら、パリアンさんは校舎を後にしました。
クラスTシャツの襟元を捲ってタグを見ると、鮮やかな青色で「fairy style」と綴られています。その周りには小さな星が散りばめられていて、パリアンさんの頬のペイントを彷彿とさせました。
スズライトの商店街にはいくつもの店舗が並んでいます。ブティック「fairy style」はその中でも一際派手で目立つ、鮮やかなイエローとピンクのポップな看板を掲げたお店です。皆はフェアスタという略称で呼んでいます。パリアンさんは、その店主なのでした。
彼女のブティックでは若い女性向けの衣類を多く取り扱っていますが、それとは別に、ユニフォームの注文・製作も請け負っています。私は気が付かなかったのですが、クラスTシャツを注文する時に学校へ送られたカタログは「fairy style」のものだったのです。
それは個人でも団体でも、どんな衣類であろうとも注文を引き受けるという、パリアンさんが最も売りにしているサービスでした。店主の彼女は着飾ることが好きで、自分以外の人を着飾らせるのも好きで、服を一から作ることも好きなのです。彼女の趣味を兼ねたこのサービスはその性質上、こだわればこだわる程に値が張ることは避けられなかったけれど、それだけの価値はあるものだと高く評価されていました。
その評判が、ミリーの所属する事務所の耳にも届いていたのでしょう。二年ほど前、ミリーのアイドルとしての活動が軌道に乗ってきた頃、新曲と共に新しい衣装を仕立てようという話が上がりました。その依頼先が「fairy style」でした。
あの人がいなければ今の自分はいない、そう思える人物の一人だと、後にミリーは語っています。
以前よりミリーのことをチェックしていたパリアンさんは、その活動に携われるのは願ってもない申し出だと全身で喜びを表しました。
「ミリーちゃんだ~っ! えっ、ホントのホントに、アタシがお洋服作っていいの!?」
「えへへ、よろしくお願いしますっ」
「こちらこそなの! 全力でお手伝いさせていただきます、なの! じゃあ早速、具体的なお話を始めたいの。皆さん座って座って!」
まだスズライト魔法学校に通い始める前で幼かったミリーは、その場には同席していたけれど、大人たちが交わす話をはっきりと理解していたわけではありません。その内容も、もうあまり覚えていません。ですが、インタビューのように細かく質問を受けたことは記憶に残っているといいます。
「この楽譜だと、ここのところが一番の見せ場なの? サクッとでいいから振り付け見せてくれる? それとどんな風に、どんな気持ちで歌うの? ……うんうん、ありがとなの。それなら、この飾りはターンするとき邪魔になるかも?」
「でもねでもねっ、モチーフとしては曲の表現にピッタリだと思うの。すごくいいと思うの! だからもうちょっと小さめにするか、刺繍や髪飾りにするのはどう?」
「これが生地サンプルなの。スカートをキラキラさせたいんだよね? 人気なのはこっちなんだけど、お値段的にはこっちのがお得なの。ステージライトの下なら同じくらいキラキラに見えるはずなの。いかがなの?」
打ち合わせは数回にわたって行われました。スケジュールの都合が合うときにはミリーも参加し、その度にどこかしら変化しているデザイン案をチェックしては想像を膨らませていました。
実物を仕立てる段階に入ってからは、その想像はより楽しいものになりました。ミリーが呼ばれたのは採寸の日だけだったけれど、形作られていく過程を見ているとワクワクして、自主的に何度も見学に行きました。二人が親しくなるのは自然なことでした。
「ミリーはこれから先、もっともっと人気が出るの! 絶対なの! でね、そうなったらきっと普通にお出かけするのが難しくなっちゃうかもだから、アタシからとびっきりの魔法をプレゼントしちゃうの。ただのオシャレにも使えるの~♪」
ある日そう言って教えてくれたのは、別人の姿へ変身することができる魔法のことでした。
しかしそれは現代のスズライトでは、悪用される可能性があるという理由で好ましく思われていません。そのため、後ほどミリーの知らないところで、パリアンさんは事務所の人から苦言を呈されていたそうです。
そんな問題があったりもしたのですけれど、ミリーが彼女に懐いていたこともあり、衣装作りは続けられました。結果として、彼女の仕立てた衣装には誰もが感嘆したのでした。
それ以来パリアンさんは、ブティックを経営する傍ら、ミリーを手伝うようになっていきました。
無邪気なパリアンさんとの談笑には、年の差など忘れてしまいます。しかしその一方で、仕事における彼女はミリーを幼い子供だと侮らずに周囲の大人にするのと変わらない態度で対等に接してくれていました。
だからミリーは、パリアンさんに一際信頼を寄せていました。友人としてしたいことをやっているだけ、そう言って笑う彼女が、どれだけミリーの救いになったことでしょう。
昨年の冬、学業を理由として活動休止を発表したミリー。それ以降も彼女の店には一般客として訪れていたけれど、二人での会話はほとんどしていません。
ミリーがアイドルとして表に出なくなった理由。歌わなくなった理由。歌えなくなった理由。
本当の理由を、あの冬に何があったのかを、パリアンさんは知っていました。
ミリーが進級後も平静を装って「fairy style」へ足を運んでいたのはひとえにパリアンさんに心配をかけないため、元気な姿を見せるためです。しかし、その行動がかえってパリアンさんを心配させていたとは思ってもみませんでした。彼女が事情を聞かされていたと、ミリーは知りませんでした。
肩の高さで外向きに跳ねている空色の髪と、さざめく海のような瞳。しなやかな長い指。
商店街の路地裏で魔力の光に包まれて「変装」を終えたミリーは鞄を持ったままの制服姿で、営業中の店内に入っていきます。誰も彼女がミリーだとは気付きません。
パリアンさんの手が空くまでの間、ミリーは新作の秋服を眺めながら時間を潰しました。
気になる服を見つけて手に取ったけれど、試着室の鏡の前でたじろいで足を止めます。
試着はせずに来た道を戻り、服を畳み直して棚へ戻していたとき、背後で何かがガチャンと音を立てて床に落ちました。
振り向くと、少々離れたレジカウンターの向こう側から、パリアンさんがひどく狼狽した顔をして彼女の横顔を凝視しています。
「し、失礼しました……なの」
パリアンさんがカウンターの下へ身を屈めました。ミリーはそれを横目に見て、肩にかかった髪にそっと触れます。
ほどなくして、まだうろたえている様子のパリアンさんが足早にやってきました。前髪が少し乱れています。
「……クレアちゃん……」
改めてその顔を正面からまじまじと見つめ、通学鞄に付けたハート型のチャームをちらりと見下ろした後、信じられないものを見る目をしたまま問いました。
「……アナタ、ミリーなの?」
口角を上げて無言で頷いたその笑顔は儚く、今にも消えてしまいそうです。折れそうに細い体とどこにも日焼け跡の見当たらない肌が、中空に揺らめく蜃気楼のようでした。
「アタシ、一回しか会わなかったけど……わかるの。覚えてるの。そんな、なんで……その姿……」
ミリーは答えず、ただ微笑み続けます。
「奥の部屋で、待ってますね」
「う、うん……わかったの……」
薄い唇から吐息のように零れた声は、店内に流れるポップスに掻き消されてしまいそうでした。