創作小説公開場所:concerto

バックアップ感覚で小説をアップロードしていきます。

[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

63.星と空色(2)

 店舗の販売フロアの奥に、星柄のカーテンで仕切られた応接スペースがあります。中には柔らかいソファが二つ用意されていて、隣の壁には大きなスタンドミラーが立ててありました。木の本棚にはぎっしりとカタログが詰め込まれています。テーブルの上にもいくつか広げてあり、美容院の待合室のようです。

 カーテンを開けた先の空間は、当時からほとんど変わっていませんでした。テーブルの上に並べられたカタログの中身が違ったりしていたけれど、それ以外はミリーの記憶の中のままです。

 中へ足を踏み入れると、スタンドミラーに自分の全身が映り込んでミリーをドキリとさせます。

 思わず通学鞄を強く握って力んだ肩を少しずつ下ろしながら、ミリーは弱々しく息をつきました。

 パリアンさんが、ミリーのプライベートを守るために教えてくれた魔法。

 それが過去に身を助けてくれたことは事実でしたし、彼女の思いやりにも感謝しているけれど、決して好きな魔法ではありません。ミリー曰く、姿や声がすっかり別人に変わってしまって、自分が自分でないようなのが嫌だと。

 まだ胸の動悸が収まらず、ミリーはその場に立ち尽くします。

 儚く優しい雰囲気の、空色の少女。

 動揺と恐れを抱いた目に映ったのは誰の姿だったのでしょうか。

 

 カーテンの隙間を覗いてみると、店内がガランとして人の気配がなくなっており、明るいのにどこか寂しい雰囲気が満ちています。

 ソファに腰かけて待つ内にレコードのBGMがフェードアウトしていき、しばらくして他の物音もしなくなりました。コツコツと足音が近づいてきて、カーテンの仕切りがゆっくり開かれます。パリアンさんがやってきました。

「誰も入ってこないから……もう魔法解いて平気なの」

「ううん、このままお話させてください」

 別人の姿を借りたままでいることをやんわりと注意されますが、それをミリーは首を振って拒否します。パリアンさんは長い睫毛を伏せて俯きました。

「アタシは、そんな使い方するためにその魔法を教えたんじゃないの……」

「わかってます。こんなことしたってクレアは帰ってこない。ワタシの隣にクレアはいない。けど、今日だけ……今だけ」

 消え入りそうな声で訴えるミリー。鞄を乗せた膝の上で両手をギュッと握り締めました。

 向かい側のソファにパリアンさんがゆっくりと腰を下ろします。

「ここ数日、町でもまたミリーの噂聞くようになったの……無理しないでなの。……ホントの理由を話せば、応援してくれるみんなだってきっと今みたいには言えなくなるのに」

「……だとしても、公表はしないです。これからも。それにワタシ、歌いたくないわけじゃないんだ。……ワタシは、ただ……」

「……話せそうだったら、教えてほしいの。何があったの?」

 パリアンさんは真剣な顔をしていました。

 夏休み最後の日に出会った盲目の少女、シズクとの出来事を、ミリーは説明し始めます。語りながら、その目線は時折ちらちらと鏡に映る自分の姿に揺れました。

 シズクはミリーの歌が聞きたいと願い、ミリーはそれに応えようとしていました。「歌えない」と嘆いて逃げ出した自分のことを他の誰よりも責めて、変えようとしていました。それがシズク一人だけの望みではないことを知っていたからです。

 自分はまたステージに立つことを望まれているのだろうと、ミリーは理解していました。それは喜ぶべきこと、自分は恵まれている、とも。

 頭ではそう思っていたけれど、心はそれを受け入れることができず、何度も拒んでしまう。そうして、同じことをぐるぐると繰り返す自分に嫌気が差す。そう話す彼女の顔は苦悩に歪みました。

 もしもこの時、この場に私がいたとしたら、自己嫌悪を告白する青髪の少女を見てもそれが「ミリー」だとはわからなかったことでしょう。そこには、私の知っているミリーの姿はありませんでした。

「ワタシ、あの時、歌いたいって確かに思いました。だけどそれってあの子のためじゃないんです。きっと同情ですらない。こんなの、自分のことばっかりで……わがままだ」

 ミリーの顔が、徐々にパリアンさんの正面から横へと傾いていきます。

 視線はどんどんずれて、吸い寄せられるように。

 そうして鏡に映る空色の少女と目が合ったとき、言葉を紡ごうとする唇は小さく震えて、か細い息を洩らします。

 影が濃くなり、昏く濁っていく虚ろな瞳。

「こんなこと願っちゃいけない。”わたし”が許さない。だってそうしたら、多分、そのまま”わたし”は……」

「それ以上はストップなの、ミリー」

 その目の前に、パリアンさんが腕を伸ばしました。ラメを乗せたネイルの光る指先が鏡とミリーの間に割って入り、瞳はハッと光を取り戻します。

 パリアンさんは間髪入れずに続けました。

「アナタはミリー。ミリーの道を決めるのはミリーなの。クレアちゃんの思いも、クレアちゃんだけが決められるの。それはミリーの決めることじゃない」

 手を伸ばしたまま、もう片方の手をホットパンツのポケットに入れます。とても短い木の枝同然の棒切れを取り出すと、ミリーを指しました。

 ライムグリーンの瞳がチカッと輝いて。

 その瞬間、ミリーにかかっていた魔法は力を失い、瞬く間に彼女本来の容姿へと戻りました。不意に鏡の中に現れた自分の姿に驚いて、ミリーはその大きな丸い目を見開きます。

 張り詰めた顔のパリアンさんにじっと見られ、ミリーは逃げるように目を逸らしました。

 パリアンさんはそっと腕を下ろすと、細い枝の杖を包み込むように両手を重ね合わせます。

「ミリー、今アナタは幸せなの?」

「えっ。し、幸せ……?」

「そ。えっとね……えぇーっと……うぅ、いきなりだからうまくまとまんないの。アタシは難しいことお話するのは苦手なの……ちゃんとできるかな……」

 戸惑いながら聞き返すミリーに、パリアンさんの声は最初の一言こそはっきりしていたけれど、だんだん尻すぼみに小さくなっていきました。指先をいじいじと動かし、言葉を探して僅かに口を閉ざしてから、続けます。

「うまく言えないかもだけど聞いてほしいの。まず……人間の『幸せ』っていうのは人それぞれ全然違くて、その人の中にしか答えがないものだってアタシは思うの。それでね、えっと、アタシが言わなきゃないのは……」

 まるで脈絡のない話題の転換に困惑しつつも、ミリーは大人しく耳を傾けていました。

 パリアンさんはどこかに原稿でもあるかのように、時々口を止めてはふらふらと目線を宙に泳がせます。けれど、喋っているときは真っ直ぐにミリーの瞳を見据えていました。

「ミリーが幸せって思うのはどんなときなの?」

「……パリアンさんは?」

「アタシ? アタシはカレと一緒にいるときに決まってるの! ……って、違う違うっ。今はそんな場合じゃないの!」

 胸を反らして反射的に笑顔で答え、すぐにハッとすると、ブンブンと首を振ります。

「こほん。とにかくね? これ! っていうミリーだけの『幸せ』を一つでいいから見つけてほしいの。そういうのが誰にだって一つはあるはずなの! どうしたらいいのかわからなくなっちゃったときは一旦その悩みを捨てちゃって、その代わりに、どんなときが幸せなのか想像してみるの。そしたら、本当にしたいことがわかってくるの」

「……クレアはもういないのに、そんなの……」

「後ろ向きにならないで、なの」

 沈んだ面持ちでいるミリーに、パリアンさんは前向きな言葉をかけ続けます。

 陽の光の影でしゃがみ込むその手を取るように。日向の中とへ引っ張り上げるように。

「アタシは、もうミリーは幸せを見つけられてるって思ってるの。でもそれはミリーが自分で気付かなきゃいけないことなの」

「うーん……ワタシも難しい話は苦手なんだけどなぁ……」

 ミリーは軽い言い方で苦笑したけれど、それが作り物の明るさであることをパリアンさんは見抜いていました。

 小さく息を吸って立ち上がると、ミリーのすぐ隣へ寄り添うように座り直します。

「またいつでもお話に来ていいの。明日でも、お休みの日でも。アタシはずっとミリーの味方なの。悲しい気持ちも苦しい気持ちもアタシが代わってあげることはできないし、その気持ち全部をわかってあげることもできないけど……一人ぼっちよりは絶対にいいの」

 目を閉じて優しい顔で語るパリアンさんの言葉は、ミリーの心をぎゅっと締め付けました。

 柔らかい金髪に首元をくすぐられながら、少しだけ、鼻をすすります。

 パリアンさんはミリーの方を見ず、薄暗くなってきた窓の外を見上げました。淡い桃色の水彩絵の具が垂れたような、霞んだ夕焼け空がブラインドの隙間から覗いていました。

「真っ暗になる前に今日は帰るの。それで、夜ご飯食べてお風呂入ったら、早く寝ちゃってなの。暗ぁい夜の考え事は、嫌な方にばっかり流されるものなの。だからダメ。早くおやすみなさいするの。いーい?」

 ミリーが囁くように返事をすると、左頬の星に指先で触れながら穏やかな微笑みを浮かべました。

「もし眠れなかったら窓を見て、月か星の光を探すといいの。そうしてると落ち着くんだって。……ずぅっと昔にね、アタシの大好きなお友達が教えてくれたの。星空を見るのが好きな、優しい子だったの……」

 あたたかな夢を見るようにぽつぽつと呟きます。

「あの子はもう帰ってこないけど……大事な思い出がいっぱいあるから、寂しくないの。いつだってアタシの隣にいるって思えるの」

 その「友達」の話をするパリアンさんの声色はしっとりと落ち着いていて、切なげで、これまでに一度も聞いたことのないようなものでした。その響きに、ミリーは不安に似た気持ちを感じます。

 けれど、おずおずと見上げた彼女の表情は嘘偽りのない幸福で満ちていました。

 彼女の瞳が映す世界を知りたいと思い、ミリーは彼女を真似るように、そっと瞼を閉じてみました。

 

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