創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

65.噂と真実

 静かな室内に、パサリと、ページを捲るひそやかな音だけが繰り返されていました。バレッドさんは読みかけの雑誌を再び手に取って、彼女たちがやってくる前の様子にすっかり戻っています。彼が出現させた大量の雑誌は全てパリアンさんによって拾い集められ、カウンターの裏へ一時的に片付けられていました。
 足を組んでソファに腰かけ、目線を落としたまま動かないバレッドさんの前にミリーは立ち、ぺこりと頭を下げます。
「話聞いてくれて、ありがとうございました。……正直、引っかかってることはまだいっぱいあるけど……気にしないことにします」
「………」
「はっきり言ってもらってちょっとだけスッキリしました」
 彼が何の反応も示さないため、自分自身へ言い聞かせているかのようです。その堂々とした背中にパリアンさんは嬉しそうな表情をして、くるんとミリーの顔を覗き込みました。
「もうバレッドのこと怖くないの?」
「うーん……それはまだ、ちょっと。パリアンさん、事前にクレアのこと喋ってたりしてないですよね? 実は全部打ち合わせしてあったり……」
「してるワケないの! アタシだって、バレッドがヒドイこと言っちゃったからハラハラしてたのー!」
 ミリーの問いかけに、パリアンさんは声を張り上げます。
 それにクスッと苦笑すると、もう一度彼に向き直りました。
「じゃあなんで、バレッドさんは知ってたんですか? 家族や事務所の人たち以外、ワタシは誰にもクレアのことを話してないし、どんな雑誌にだって載せないようにしてもらったのに。今見た雑誌の中にだって、本当のこと書いてるのは一つも無かったはずなのに……」
「………」
「って、聞いても、答えてくれないですよね」
 バレッドさんは顔を上げず、口も開きません。ミリーは首を横に振り、からりと笑いました。
「もういいです。だって、本当にバレッドさんの言う通りだったと思いますもん」
 彼と視線は合わないけれど、長い前髪の切れ間に僅かばかり覗く彼の瞳をしっかり見ます。
「これからは、ちゃんと前を見てみせるよ」
 先程まで風に震えていた窓ガラスに、ミリーの晴れやかな横顔が映されていました。
 
「最近、ちょっと怖いなって思う男の人と話すことが多いなぁ。どうしてだろ? なんだか慣れてきちゃいそう」
 そう言って茶目っ気ある笑顔で、ミリーが肩をすくめてみせた頃。
「へっくし!」
「うおっ!?」
 二人分のくしゃみが、青空の下に轟きます。
 ほぼ同じタイミングで鼻をすすったシザーとスティンヴにレルズは驚き、それからおかしそうに笑いました。
「今すっげーハモってたっす! 寒いっすか? 何か買ってきましょうかシザーさん!」
「いや、大丈夫だ。もう夕方は涼しくなってきたな」
「ぼくも別にいらない」
「俺はシザーさんに聞いてんだっつの! 前もこんなやり取りしたろ!」
 三人は校舎裏に集まっています。校舎の外壁と裏庭の間にある階段に、三角の形になって座っていました。段の下の方にレルズとシザーが並び、スティンヴはその二段上で足を組んでいます。いつものように、特に何をするでもなくたむろっているだけでした。
 穏やかな空気。視界の端に映る花壇で、可愛らしい花を咲かせたコスモスが風に揺れています。
 シザーはレルズに向き直りました。
「で、話の続きなんだが」
「ああ、はいっす。俺に聞きたいことって、何すか?」
「ミリーのことでちょっとさ」
「!」
「レルズはあいつの歌、生で聞いたことってあるか?」
「!?」
 シザーが一つ話を進めるたびに、レルズの瞼は大きく開かれていきます。最後には目玉が飛び出そうなくらいになりました。合わせて上半身を大きく仰け反らせ、引きつった笑顔であたふたと早口に聞き返します。
「なっ、ななななな何でそんなこと俺に聞くんすか!?」
「え、何でってそりゃ、スティンヴは興味ねーって聞かなくてもわかるだろ」
「あ、ああー……。なんだ、そういうことっすね……」
 振り返って、白けた顔で関心がなさそうにゆっくり頷くスティンヴを一瞥すると、レルズはぱちくりと瞬きをしました。ミリーのファンだということが気恥ずかしくて周囲に隠しているのに、それがよりにもよって尊敬するシザーにバレたのかと焦ったのでした。
 ほっと息をつき、平静を装って元の体勢に戻ります。
「ま、まあそっすね、ライブ行ったことはあるっすよ。町中ですげー評判でしたし、同じ学校にそんな有名人がいるって聞いたら気になるっすからね! これぐらい普通っすよね! シザーさんは一回も無いんすか?」
「ああ。町で流れてたレコードを何曲か聞いたことはあるが、実際歌ってるとこは見たことねー。どうだった?」
「ど、どうってのは……ライブの感想ってことっすかね……?」
 レルズは何と言えばいいものかと困惑しました。彼がなぜ急にそんなことを聞くのかも不思議でした。
 答えあぐねているレルズに、シザーが言葉を付け足します。
「変なこと聞いてるっつーのはわかってんだけど……実は歌ったフリだけだとか」
「へ!? いやいやいや! それはないっすよ!?」
「だよなあ」
 即座に否定されて、シザーはポリポリと頬を掻きました。その顔をレルズは怪訝に覗き込み、尋ね返しました。
「マジで何があったっすか、シザーさん。……何か妙な噂、聞いたりしました?」
「噂っつーか、ミリーがだいぶ前に言ってたんだ。”歌えない”って。それ思い出して、どういう意味なのか気になってな」
「えっ、……そんな、なんすかそれ……」
 レルズが唖然とします。
 彼の大きな目に戸惑いと落胆の色が広がったけれど、意外にも激しい動揺は見られませんでした。最も強く表れているように見えた感情は、悲しみでした。
「……勉強するための活動休止としか発表されてないはずっすけど……やっぱし、他に理由あるんすかね……」
「やっぱり? 心当たりあるのか?」
「えと……」
 独り言のような呟きを聞き返すと、俯いて膝の上で手を組み合わせます。
 ゆるやかに流れていく雲が日光を遮り、うなだれた肩に影が落ちて、肌寒さが増しました。
「去年の冬休みに年越しライブがあって、それが今んとこ最後のライブなんすよ。そん時は何も変わったとこはなくって……でもその後、休み明けからしばらく……そっすね、二、三週間くらい、学校に全然来てなかったらしいんです」
「理由はクラスの奴らも誰も知らなかったのか? 仲良かった女子とか」
「多分……。俺はクラス違ったんで、ただ単に仕事だって噂しか知らねっす。学校休んでたその間に『ピアニスト』っていう新曲をリリースしたのが最後で、同時に活動休止の発表もあって……それからはずっと普通に登校してきてるはずなんすけど……けど、あの発表の仕方は不自然だったって思うっす……!」
 レルズは組み合わせた手にグッと一層力を込めて、歯を噛み締めます。
「ミリーちゃ――ゲホッゲホッ、い、いや、あの子は、どんなことも自分の口で言ってくれてたっす! なのに最後に限って、新曲の発表も活動休止もその理由も全部あんな文章の説明だけでいなくなるなんて、おかしいっす! 絶対に何か……何か、隠してるっす……」
 熱を帯びた声はすぐに萎んでいき、指先からも弱々しく力が抜けていきました。
「でも、もしそれが、シザーさんが今言った話のことなら……俺……」
 レルズにも思い当たる節があるようでした。恐らく、活動復帰の予定はないのかと彼女自身に尋ねたあの日のことを思い出していたのでしょう。
 シザーは背を反らして無言で空を仰ぎました。
「俺、何も知らねーんだな」
「ってか、こいつが詳しすぎだろ」
「そそそそんなことねーし!? おめーは知らないんだろうけどな、そんときの雑誌はどれも『突然の休止宣言!』っつってマジすごかったんだぞ!? 別にこんぐらい知ってる奴たくさんいるっての!」
 ボソリと呟いたスティンヴにレルズは腰を浮かせて反論しますが、まるで相手にされていません。
 一人で声を張り上げるレルズの様子を横目に見ると、一呼吸遅れてシザーは体を揺らしながら笑みを零しました。それでこの話題は終わりました。

 

 ステージに立つミリーの姿を、シザーは知りません。
 彼が知っているのは、友人に囲まれて笑顔を見せる制服姿。そしてもう一つ、日陰になった路地裏で膝を抱えてしゃくり上げる姿。
 その花のような笑顔と小さな体は、自分よりも弱いものだと思えました。
 だからシザーは、半ば強引にミリーの腕を掴んで、彼女の歌が聞きたいと願うシズクから引き離そうとしました。それが彼女のために自分が取るべき行動だと真っ直ぐに信じていました。
 しかしミリーは、その手を振りほどいたのでした。
『ありがと。……でも……いいんだ』
 そう微笑んで、優しく。
 あの時には、ミリーの涙は既に乾いていたようでした。

 

 ガヤガヤと賑やかな、浮足立つ教室。
 視界の隅にシザーの背が映ります。
 やっとこの瞬間を捉えた、と、ミリーは瞳を光らせました。
 学園祭準備とはいえ、まだ授業時間中です。それにも関わらず通学鞄を持って教室後方の扉から廊下へ出ていくシザーを見つけ、ミリーはその後を追いかけていました。
 腕を伸ばし、彼のシャツの背中をちょんと掴みます。
 先日起きたルベリーの件での話し合い中には黙って席についていたシザーですけれど、この時間中はギアー先生が教室に戻ってこないとわかると、彼は賑わいに紛れてふらりと姿を消すようになっていました。
 ある日ミリーはそのことに気付き、教卓前に立つエレナにこっそり尋ねていました。
「シザーって、学祭でもあの感じ……?」
「多分、そうね。去年はどこかでサボッてたみたいだわ。今年は少しくらい顔出してちょうだい、って頼んではいるけど……どうかしら」
 そう答えながら、エレナも寂しそうに首を振ります。彼女も校内でのシザーの振る舞いに納得しているわけではないのでしょう。
 ミリーは、夏休み前に皆でキラの部屋へ集まって遊びの計画を立てた日のことを思い浮かべます。大きく口を開けて笑う、シザーの明るい素顔が思い浮かびます。
 しかし、軽く背を引っ張られて振り向いた彼は、そんな感情を押し殺したような無色透明の瞳をしていました。
「何だ」
 付いてきたのがミリーだとわかって少しだけ目を見張りましたが、硬く強張らせた声で短く言います。
「帰っちゃうの……?」
 手を離し、ミリーも小声で遠慮がちに聞きました。
 シザーは口をへの字に曲げて視線を外し、ぽつぽつと低い声で続けます。
「いいんだ、俺は。早く戻れよ」
「で、でも……うぅ、むぅ~……」
 校内では話しかけない。元々シザーとはそうした約束をしていました。決して忘れてはいないけれど、飲み込んだ言葉と伝え足りない思いは喉につっかえます。
 口を閉じて目だけで訴えかけるミリーの様子を見かねたのか、シザーはしかめ面で彼女の傍へ一歩近付きました。
 ぐっと顔を寄せ、周囲に目を配り誰もいないことを確認しながら耳打ちします。
「……!」
「あん時の子供の話か? ……シズク……っつったっけ」
「え、えっ?」
 ミリーがドギマギとして返事に詰まったのを、図星だったからだとシザーは判断しました。彼女が目を大きく見開いて頬を淡く染めているのは見えていませんでした。
「森でいいか」
「も、森? あ……前のときと同じ場所、だよね。……うん、わかった……後で行くよ」
 シザーの静かな声から彼の言葉の意図を理解したミリーは、まだ少し赤い顔で答えます。
 何事もなかったかのように体を離してスタスタと振り返らず去っていく後ろ姿を、ミリーは呆然と見送りました。
 彼が曲がり角の向こうへと消えた後になってようやく身動きが取れるようになり、顔を両手で覆って溜息を吐き出します。言葉にならない様々な感情がこもっていました。

 

 放課後になって、箒に跨り真っ直ぐに妖精の森方面へ向かいます。
 最初に待ち合わせたときと同じ場所に、シザーが腕組みをして立っていました。彼はミリーが地に足を降ろしたのを見ると、無言で森の奥を指差します。木々の間へと消えていくその背中に、少し離れて付いていきました。
 外の道から見えなくなるくらいに進んだところで、シザーが振り向きます。
「どうだここ、夏休みに見つけたんだ」
 すっかり人が変わったような爽やかな顔と声をしていました。
 彼の向こう側には開けた場所があり、透き通った鏡のような泉がありました。木漏れ日を浴びて水面が輝いています。ミリーはシザーの変わり身に少々面食らったものの、その美しい光景にすぐ歓声を上げました。
「キレイ! こんな場所、知らなかったよ。ワタシ実はこの辺の森に入ったことってあんまりないんだ」
「たまに途中から道が変になってて、来れなかったりするんだけどな」
「変に?」
「聞いたことないか? この森ん中歩いてると、気付いたらUターンさせられてて来た道戻ってるっつー話。ま、今日はちゃんと来れたみてーだな。うっし、ここなら誰にも聞かれねーだろ」
「確かに誰もいなさそうだけど……ふふ、妖精はどこかで聞いてるんじゃないかな?」
「どうだか」
 ミリーの冗談めいた口ぶりを、シザーは鼻で笑いました。
 泉のほとりに倒れている太い木をベンチのようにして腰かけて、シザーはミリーを視線で呼びます。隣にちょこんと膝を揃えて座ると、波一つない静かな水面を眺めました。
 先に口を開いたのはシザーでした。上半身を捻ってミリーの方へ向け、率直に切り出します。
「後悔してねーか? あの子供の頼み聞いたこと」
 ミリーは泉を見下ろしたまま微笑して話しました。
「してないよ、してない。ありがと、心配してくれて」
「当たり前だろ。……もう“歌える”のか?」
「……うん。頑張る。きっと、大丈夫になったはずだから」
「そうか」
 二人は途切れ途切れに言葉を交わします。
 風が吹いて、泉が揺らされました。さわさわと木々が騒めきます。
 シザーは口をつぐみ、再び泉に目をやりました。足をぶらつかせて落ち着かない様子で、まだ何かを聞きたそうにしています。
「………」
「お話……したいな」
「?」
 ぽつりとミリーが呟き、今度はミリーがシザーの方へと顔を向ける番でした。
 風に吹かれて木の葉が舞い、一枚ひらりと泉の上に浮かびます。
「聞いてくれる? あの時言えなかった、歌えなかった理由」
 首を傾げて穏やかに問いかけると、シザーはスッと顔を引き締めて、真っ直ぐな力強い眼差しで頷きました。
「俺でいいんなら聞くぜ」
「うん……。あのね、ワタシは」
 ミリーが優しく微笑みます。

 

「ワタシは、本当はずっと……歌いたかったんだ」

 

 語られたのは、私の知らないジュニアアイドル・ミリーの真実でした。

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