66.pianist(1)
* * *
大切な友達がいたんだ。
名前は、クレア。
クレアは実家の隣に住んでた女の子。音楽が大好きで、ピアノがとても上手な子だった。
仲良くなったのは七歳の頃だったかな。
壁の向こう側から聞こえてくるピアノの音が気になって窓を覗いてみた、ある日のこと。そこに見えたのは、同い年くらいの女の子が黒い立派なグランドピアノを演奏している姿だった。
小さな手足をめいっぱい伸ばし、ハイテンポなメロディを弾いている。とても大変そうなのに口元を楽しげに綻ばせていて、その横顔は力強い活力に満ちていた。
眩しくって、目を奪われた。
彼女が手を止め、呼吸を整える。するとこちらの視線に気が付いて、振り向いた彼女と目が合って。ワタシはアワアワと動転しながら、ニコッとごまかし笑いを浮かべた。彼女もニコリとはにかんだ。
それが出会い。
晴れやかな空を映したような青い目を綺麗だと思った。
クレアは体が丈夫じゃなくて、外で激しく運動しちゃいけないってお医者さんに言われていたんだ。箒にも乗っちゃダメって。だから、遊ぶのはいつも家の中。ワタシはクレアの家に毎日のように遊びに行って、色んなことをいっぱい一緒にしたよ。お菓子を食べたり、花の図鑑を読んだり、トランプをしたり、お互いを占い合ったり。
その中でも一番の楽しみだったのはクレアのピアノ。次第にワタシは聞くだけじゃなく、クレアの伴奏に合わせて歌を歌うようになった。ピアノも触らせてもらったけど、ワタシには歌の方が合っていたみたい。
友達はいっぱいいたけど、クレアは一番の特別だった。体が弱いとは思えないほど、息が切れるくらいに全身を大きく使って音色を奏でるクレアがかっこよかったから。ピアノを、音楽を心の底から楽しんでいるのが伝わってきて、誰よりも素敵に思えたから。
ワタシはクレアのピアノが大好きだった。
その演奏に歌声を重ねている間は、彼女と同じ感覚を共有できる気がした。その間だけは、ワタシも彼女の輝きを分けてもらえるような気がしていた。
「ねぇ、もっと弾いて!」
「うん! じゃあミリーもまた一緒に歌ってくれる?」
ワタシがクレアのピアノを好きなのと同じように、クレアもワタシの歌を好きだって何度も言ってくれたんだ。
「わたしね、ミリーの歌がすっごく好きだよ!」
そんな風に。
クレアに憧れたことがワタシの歌い始めたきっかけだったけど、それには気が付いていたのかな?
ワタシがアイドルになろうとしたきっかけも、クレアなんだよ。自由にお出かけできないクレアが、ワタシの歌をいつでも聴きたいって言ってくれていたから。クレアがいなかったらきっと、オーディションに気が付くことも応募することもなかったはず。
最終審査まで受かったって聞いたワタシがまず想像したのも、ステージで大勢の観客に囲まれる光景じゃなくって、あのピアノの部屋でクレアに報告することだった。
そしてクレアは、本当に自分のことのように、喜んでくれたんだ。
駆け出しアイドルとして歌うようになって、沢山の人がワタシの歌を楽しみにしてくれるようになったけれど、ワタシの気持ちはずっとクレア一人に向いていた。傍にいられる時間が減った分、一層強く気持ちがこもっていった。
こんなの本当は、アイドルとしてはいけないこと。人にバレたら怒られちゃう。でも、その気持ちが収まることはなかった。
数年経って、ワタシは事務所から近いところに学生寮があるスズライト魔法学校へ通うことが決まった。だけどクレアは体の都合で家の遠くへは行けないから、ワタシたちが共有できる時間はますます短くなってしまったんだ。
そんな中、ワタシがクレアに送れる一番のメッセージは何よりも歌だって信じていた。クレアに届いてほしくて、いっぱい気持ちを込めて歌を歌った。
クレアからは沢山の手紙が届けられた。
お仕事が忙しくて、クレアが送ってくれる手紙にどんどん返事が追い付かなくなってしまった頃に、「これはファンレターです。わたしが送りたいだけだから、無理に返事しなくてもいいからね」と添えられていたことがある。
だけど、読むことも書くこともやめなかった。クレアは思いやりがあって優しいからそう言ってくれたけど、返事がないのってやっぱり寂しいと思う。それに、ワタシが話したいことだっていっぱいあったもん。実は、授業中にこっそり隠れて返事書いたりしてたんだ。内緒にしてね?
忙しいけど、満たされた日々。それが崩れてきたのは、一年前の夏休みの頃じゃないかって思う。
レッスン、ライブ、収録、手紙、インタビューに答えて、営業も……、しなきゃいけないこともしたいことも山ほどあって。それで真面目に授業出てなかったから、一科目だけ補習になっちゃったことがあるの。
学校が夏休みになっても、仕事はギッシリだ。スケジュールの合間にどうにか時間を作って、早くクレアに会いに行きたかったのに、補習のせいでそれが少しだけ遅れてしまった。担任だったパルティナ先生にもこってりと叱られて、凹んだなぁ。
ワタシ達の家があるティンスターは、ここやお城よりもずっと北へ行ったところ。山も越えなくちゃいけないような場所だから、箒で朝に出発しても着くのは夕暮れ時になる。
なのにその日は寝坊までしちゃって、そのせいで着いたときにはすっかり夜ご飯の時間だった。隣の家の明かりを見ながら実家に帰って、いくらお隣さんでもこの時間から遊びに行くのは迷惑だよなぁってぼんやり思いながらご飯を食べて。
窓の向こうへと目をやる。隣は閉まったカーテンから明かりが漏れていて、なんだかワクワクする気持ちが溢れた。
「明日は朝から遊びに行っちゃおうかな。クレアに会えるの久しぶりだから楽しみ~!」
「え……ちょっと、ミリーあんた、クレアちゃんと文通してるんじゃなかった? 聞いてないの?」
「何を?」
きょとんとして尋ねると、向かい側に座ったお母さんは言いにくそうに眉を寄せた。
「あの子は今いないよ。一ヶ月前に体調を崩して、港の方の病院に入院してるんだって」