創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

70.singer(2)

 一歩を踏み出すきっかけになったのは、シズクちゃんだった。
 本当の願いを押し殺して、歌っちゃいけないんだと思い込む一方で、このままじゃいけないってこともずっとわかってた。ワタシの歌を待ってくれている人はクレアの他にも沢山いて、その人たちに嘘を吐いたままのワタシの態度は不誠実でしかないもん。
 そんな中で出会ったシズクちゃんの存在は、立ち止まってしまっていたワタシの心に大きな波紋を広げた。
「あの子は……目が見えてなかったな。確か、手術するって」
 シザーが呟く。
 ここまで聞いていて、いくらか察しがついたみたいだ。ワタシは頷いた。
「手術、って言葉でね、クレアが重なって見えたの。それで、このまま別れたら絶対にまた後悔する、って思った」
 それが過剰反応だという自覚はあったけど、衝動は収まらなくって。
 二人の症状はまるで違う。シズクちゃんはクレアじゃない。だから、ワタシがしているのは身勝手な感情の押し付けでしかないんだ。
 クレアの病気は、体内に魔力を留めることができないというものだった。ボロボロと崩れ落ちるように魔力が流出していくのを止められず、全身が内側から徐々に弱っていくという、長年治療法が確立できていない難病なんだって。
 実際のところ、クレアの容体が悪化したのは彼女自身の身体よりも環境要因が大きかった、って話を後から聞いた。ワタシがお見舞いに行っていなかったあの冬の頃、スズライトに循環している妖精の魔力を何か別の大きな力が食い破ったような乱れが観測されていて、そのせいで発生した不安定な魔力の波がクレアの体にも影響を与えたんじゃないか……って。聞いてもよくわからなかったけど……。
 クレアは、ワタシにはただの検査だと偽りながら、本当は何回も施術を繰り返していたらしい。その事実も、そうして何度治療を施しても望ましい成果が出なかったことも、ワタシはずっと知らなかった。
 だけど、そんなことは関係ない。クレアが苦しんでいるときにワタシが傍にいなかったのも、何もしなかったのも、どうしようもなく本当のことだから。
 この後悔は、薄れていくことはあっても、消えることは一生ないんだろうな。
 抱えたまま生きるんだ。

 

 シズクちゃんと一緒に病院へ向かう間、その歩幅に合わせてゆっくりと歩きながら色々な話を聞いた。
 目が見えないのは怪我じゃなくて病気で、元はちゃんと見えていたけど、小さい頃のことすぎてもう覚えていないとか。検査と手術のためにこの夏から入院していて、体は健康だから暇で仕方がないとか。
 あの子の語る言葉全てが、明るく喋っていたクレアを思い起こさせる。手術なんて怖くない、と元気そうに笑う様子にまで、クレアの笑顔が被って見える。
『ママがレコード持ってきてくれてね、それがミリーちゃんのお歌でねっ、ずーっと聴いてたからもう歌詞見なくたって完璧に歌えるんだよ! すごいでしょ! シズクはね、最初のデビュー曲が一番好きだよ! ホントのホントーに、お歌聞かせてくれるの!?』
『……うん。約束する。でも、今すぐじゃないよ? ちゃんと用意できたら教えるね』
『わかった! 絶対約束!』
 シズクちゃんはあんなにも真っ直ぐワタシを応援してくれていたのに、ワタシはクレアと比較するばかりでシズクちゃん自身のことを何も見てなかった。その自分勝手さがわかっていたから、まだ自己嫌悪に苛まれた。
 でも、グズグズしている時間はないんだ。
 シズクちゃんが無邪気に笑いかける。
『手術の日はね、えっとえっと、来月の最後のお休みの日だから! そんなに先なのにもう入院してなきゃいけないなんておかしいよねー? 早く聞かせてねっ』
 ドキリとした。
 グズグズしていられない。今すぐにでも心を決めて行動を始めなきゃ、きっと間に合わない。
 あまりに急だった。
 本当はまだちょっと、自分を許せない気持ちは残ってる。だけど、好機と思うしかない。
 そう、これはチャンス。シズクちゃんがチャンスをくれたんだよ。
 同じ後悔を繰り返したくない。自分の気持ちをごまかしたくない。ワタシはワタシ自身のために、ワタシ自身が願うままに、シズクちゃんの願いを叶えるんだと決めた。
 それがわがままだとしても、もう構わない。ワタシは前に進みたい。
 また歌えるようになりたい。
 それが今のワタシの一番の願いだ。

 

 細い木漏れ日が泉を照らしている。
 シザーの目元にも柔らかな光が落ちていて、気持ちの整理がついたみたいだ。
「ここだけの話にしておいた方がいいか? レルズの奴が心配して、活動休止にした事情知りたがってたみたいなんだけどさ」
「レルズ君が……そっか。そうだね」
 彼は、ワタシの歌を好きだと言ってくれた人の一人。知り合ったのはアイドルを休んでからのことだったけど、向こうはそれ以前からワタシを見ていてくれた。多分、今も変わらずに。
 きっと同じ疑問を抱いたまま待ってくれている人は、レルズ君の他にも沢山いるはずだよね。そのことからも逃げないで素直に受け入れて、謝って、気持ちを伝えないといけない。やらなきゃないことはいっぱいだ。
「そうしてもらおっかな。いつかワタシが自分の口で、ちゃんと言うよ」
「ん、そか。よし、わかった」
 ワタシがそう答えると、シザーは満足そうに微笑んで頷いた。
 話し始めは慎重な顔をしていたシザーだったけれど、なんだか今は晴れ晴れとしているように見えるかも。ワタシも今は、その目を逸らさず正面からちゃんと向き合える。
 シザーは、ワタシの長話に対して自分の思いをあまり口にしなかった。途中で口を挟むことも一切なかった。
「大丈夫ってのはマジだな。顔でわかるぜ」
 感想らしい感想を発したことといえば、一通り聞き終わった後にそう言ったくらい。言葉の代わりに、その目でワタシを見守ってくれている。静かな瞳。なんだか大人みたいだ。
 森の空気は穏やかで、優しい風がちょっぴり肌寒い。
 水面がかすかに揺れる。
 不意に、思い出したようにシザーが顔を上げて、
「なあ、歌ってみてくれないか?」
 そんなことを言い出した。

 

 どこか遠くで、鳥が羽ばたく。
 ワタシは開いた口が塞がらなかった。
 い、今? ここで!?
 シザーっていつもいきなり! 何考えてるのかほんとにわかんないなぁ、もう!
「あー、いや、ミリーの覚悟を疑ってるわけじゃないぜ。ただ何つーか、何でだろうな、お前の歌を聞きたい気がしたんだ。まだ駄目だったか」
「う、ううん……駄目じゃない、けど、急だからびっくりしちゃった」
 宿題やってきた? と休み時間に聞くみたいにシザーは軽く口にしたけれど、ワタシは授業中に指名された気分だ。シザーからこんなことを言われるなんて、全く考えもしなかった。
「ワタシあれからずっと歌ってない、って言ったよね?」
「そうだな。じゃ練習ってことで。な?」
「うっ、うぅー」
 シザーはニッと笑う。ワタシは体を縮こまらせた。
 毎日のように歌を歌っていたあの頃から、半年以上の月日が経っている。だから、感覚を取り戻すための練習は確かに必要。頭ではわかってる。
 ワタシが今すぐに歌い出せないのは、不安な思いも強いからだった。
 単に久しぶりだから上手にできないかもしれないという恐れもあるけど、もっと大きな理由は、期待に応えられないのが怖いということ。
 ワタシは心から歌が好きだったわけじゃないし、志だって全然立派じゃない。かつてクレアのピアノがそうだったように、今のワタシの歌が誰かの心に響くのか、って改めて考えると、怖い。
 自信がないんだ。
「……できるかなぁ」
「できるさ」
 ついポロっと零してしまった弱音を、シザーはさらりと掬い上げた。
 優しくて力強い眼差しが、ワタシを見据える。
「ミリーの気持ちは本物だからな。したいって思ってんならできる。好きならできる。好きなんだろ、歌うの」
「……うん」
「俺にはそんなに好きなことも打ち込めるもんもねーから、ミリー達のことが羨ましくなったのかもな。だから教えてくれよ、ミリーの好きなことをさ!」
 シザーの晴れやかな声が、眩しい笑顔が、胸の中を温かくしていく。
 前までだったら、こんなにも直球で期待を向けられたら暗い影の方に逃げたくなっていたと思う。でも、なぜか今は違った。彼の笑顔には、人の心を照らす力があるみたいだった。
 こちらの困惑にはお構いなしと、シザーはどんどんとワタシを引っ張っていく。
「曲は何でもいい、ってのも困るか。そうだな、お前の一番好きな曲か、今歌いたいと思ったのがあればそれがいい」
「そんなの……」
 そう言われて、反射的にパっと浮かんだイメージはもちろん、手書きのあの楽譜。他のどんなものより大切な、宝石のように大事にしている楽曲。
 音符の一つ一つが、まるでワタシに歌われるのを待ち望んでいるかのように、煌めいて見える。
 一番好きな曲だなんて、決まってるよ。ここまでワタシの話を全部聞いた後なら、言うまでもないでしょ?
 わかってて聞いてるのかな? と思ったけど、そんな顔ではなさそう。さっきまでは大人みたいだったのに、今は子供みたいに純粋な目を向けていた。
 これは、多分……何も深い意味はないよね。シザーだもん。

 

 シザーは知らない。気付いていない。あの日、貴方が初めてワタシの前で笑顔を見せたときに、ワタシがどんな気持ちを抱いたのか。ワタシには、それをシザーみたいに簡単に口に出すことはできないから。
 笑ってる方がいい、って言ってくれたね。
 嬉しかった。
 実はね、あの瞬間ワタシも同じ風に思っていたんだよ。
 貴方は笑ってる方がいい、って。
 初めて見たその表情をもっと見てみたい、って。

 

 ワタシは倒木の椅子から立ち上がり、パパっと軽くスカートを払った。
 透明に澄んだ光の筋が泉の中央に降り注いでいる。
 きゅっと唇を引き結んで一歩ずつ進み、光の目の前まできたところで振り向いた。
 小さく開けた口から息を吸い、少し止めて。
 セーラー服の襟元に右手を添える。

 

「……聞いててね?」

 

 ワタシの一挙一動にシザーの視線が向かう。
 木漏れ日のスポットライトを浴びた姿は、どんな風に見えているだろう。
 どうか、魔法をかけることができますように。

 

 クレアを想い、悼み、クレア一人のためだけに綴った詩。この歌はワタシそのものだ。
 半年もの間歌っていなかったけれど、歌えなかったけれど、一語一句全て覚えている。
 歌い出しは不安だったけれど、少し音が揺らいでしまったけれど、昔と変わらずに声は発せられた。そのことに罪悪感もなくて、肺の動きが右手に伝わったとき、懐かしい感じがした。
 不安だったのは初めだけだった。
 なんて簡単なことだったんだろう。一体何を怖がってたんだろう。
 最初の一音を乗り越えてしまえば、あとはその流れに身を委ねるだけでよかった。流れ出したメロディは自然に、途絶えることなく、先へ先へと紡がれていく。
 心も体も解放されていく感覚を覚える。
 世界に音が溢れ出す。
 真っ白な雲が穏やかに流れる、晴天の空を表したようなバラード。そのしっとりとした旋律に、胸の底で淀んでいた澱がするすると溶けていく。
 頭のてっぺんから足の爪先まで行き渡るのを想像しながら、息をたっぷり吸って、吐いて。
 伸びやかに、高らかに、どこまでも響かせるように。
 森を超え、あの空の向こうにも届くように。
 歌いながら、記憶の中にある伴奏を心に思い描く。
 聞こえるはずのないピアノの音色が、ワタシの歌声に寄り添ってくれている気がした。

 

 長く息を吐きながら、ゆっくりと右手を下ろす。サビだけのつもりだったのに、気付けばまるまる一番が終わるまで歌い続けていた。
 体中に充足感と高揚感が満ちている。
 ――歌えた。
 歌えたんだ。
 最後にもう一度、深く息を吸った。森林の清々しい空気が染み渡った。
 呼吸を整えながらシザーの方へ意識を向ける。彼はどこか惚けた様子で、数秒ほど遅れてワタシの視線に気付きハッとした。
「あっ、お、終わりか?」
「え? 何その反応、ど、どこか変だったかな……?」
「逆。もっと聴きたかった」
 シザーは呟くように口にすると、繰り返した。
「レコードで聴くのと全然違う。すごいな。うん、すげーよ、ミリー」
 飾り気のない、素朴でストレートすぎるその感想がワタシの不意を打ち、ギュッと胸をいっぱいにさせる。
 シザーの声色は徐々に熱を帯び、両膝に手をつくと身を乗り出してきた。大きく瞳孔を開いた目がいつになくキラキラして見えるのは……ワタシのうぬぼれかも。
 そんな風に見えるのも、歌って褒められるのは初めてじゃないのにこんなにドキドキしているのも、全てを聞いてほしいと思ったのも、きっと理由は単純明快だったとわかった。
 彼が、ワタシの特別だからなんだ。
 だけどシザーのことだから、彼には他意は全然ないんだろうなぁ。
 そう考えると、火照った心は少しだけ落ち着きを取り戻した。ワタシのこの内心の揺れ動きが、あのシザーに伝わっているはずもない。
 照れ隠しに、ビッと指を突きつける。
「シザーは今、超贅沢なお願いしたんだからね! そこんとこ、ちゃんとわかっといてよ?」
「おう、急に自信満々じゃねーか」
「当然! そうでなきゃ、アイドルは続けられないよ!」
 言い切って、堂々と胸を反らした。ちょうど夕焼けのスポットライトが当たった。
 羽が生えたみたいに、すっかり心は軽い。
「この続きは、本番のお楽しみね?」
「本番。それって――」
 ピクリと、シザーは僅かに目を見張った。
 それを見逃さない。
 咄嗟に閃く。
「えへへっ、これ以上はまだ秘密! そうだなぁ、ヒントは学園祭? なんて」
 ここぞとばかりに、その単語をちらつかせてみせた。
 ちょっと意地が悪かったかも。シザーが学園祭を避けようとしているのは、エレナに聞いて知ってるし。
 だけど、ワタシはシザーと一緒の思い出が欲しいんだよ。だってワタシたちは、今しか一緒にいられないかもしれないでしょ。同じ場所で同じ時間を共有できることって、奇跡みたいなことなんだよ。
 クレアとはできなかった。
 もしかしたら、ワタシはクレアの代わりを求めているだけなのかもしれない。でも、そうだとしても、今のこの思いを大事にしていたい。たとえどんな理由でも、もう自分の気持ちに嘘をつかないって決めたから。
 それに、こう言ってしまえばワタシだって引き下がれなくなる。覚悟を決めろっ、ワタシ!
「本当のワタシは、全然こんなものじゃないよ! 本番はもっと、もっと、さっきより何倍もいいパフォーマンスをしてみせるから。……だから、シザーにもまた聴いてほしいな?」
 シザーの返事はなかった。けど、ワタシは願い続ける。
 ここはゴールじゃない。
 まだ始まってすらいない。
 これからがワタシの本当のスタートライン。
 これからもクレアが魅せてくれた世界に生き続けていたいから。
 そのための第一歩として、考えていることがあるんだ。
 ワタシの新しい門出、大切な人に見守っていてほしいな。

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