82.学園祭の始まり(1)
正門の前に大きな風船のアーチと柱が立っています。
校庭の外周に沿うように複数の屋台が並び、屋根がカラフルです。
三階の窓からは各クラス手作りの垂れ幕がかかり、ガーランドも吊るされていて、壁沿いには立て看板がずらりと並んでいます。
校内にも風船飾りが浮いていて、他にも色とりどりの画用紙やテープで至る所を装飾されていました。
空に向かって鳴り響く、二発のピストルの音。
いよいよ、スズライト魔法学校の学園祭が始まります。
机と椅子の大半を別室へ移動させて広々とした状態となっている教室の中央に、子供一人入れるくらいの大きさのビニールプールを膨らませました。私はその中に向けて杖を振り、水を流し込んでいきます。
中に入れておいたゴムボールが、水を弾きながら表面に浮いてきました。色も柄も大きさも様々のボールたちは水に煌めいて、飴玉のようです。
他にも教室内の三か所に机を置き、その上にちょうど収まるくらいの小さな桶を同様に用意しました。水が撥ねたり零れたりしてもいいように床には撥水シートを敷いているため、誰かがその上を通るたびにカサカサと音が立ちます。
「あれ? パルティナ先生は?」
そんな声が聞こえてきたので私も辺りを見渡すと、講堂で開会セレモニーを終えて戻るときまでは一緒だったはずの先生の姿が既にありません。生徒たちとお揃いのクラスTシャツ姿が恥ずかしくて、隠れてしまったのでしょうか。
先生はそれが配布された当初から着ることを渋っていましたが、当日にはしっかりと身に着けてくれていました。皆のコメントを受けて「早く整列してちょうだい」と唇を尖らせていたのは、きっと照れ隠しです。
先生を探して声を上げていた女子生徒は、黒板の前でチョークを手にしていました。黒板の中央には大きく店名を書いたのですが、今やその周囲のスペースに大量の落書きがされていて何とも雑多な印象になっています。手の空いた生徒たちが各々自由に描いているようで、全く統一感がありませんし出店との関連性もありません。ですが、それがかえって賑やかさを演出しているようにも見えます。
「せっかく先生描いたのに。似てるでしょ?」
「可愛い!」
「でしょー」
彼女が指したパルティナ先生の顔は、くりくりの丸い目とニッコリ弧を描く口が特に可愛らしく描かれていました。
その横で、キラが友人から何か描くよう促されていますが彼は遠慮している様子です。私は近寄っていって会話に混ざります。
「オレはいい。これ以上何描けって言うんだ」
「じゃあ私に描かせて! えーと、うーんと……」
「……何も考えないで来たのかよ」
張り切ってチョークを受け取ったはいいものの描くものが思いつかず手を止める私に対し、キラはいつも通りのクールな態度でした。
そうこうしている内に一通りの支度と設営の仕上げが終了し、開場まで少し時間が余ります。女子生徒は椅子の周りに集まって、順番に互いの髪で遊び始めました。私のような短めの髪でも友人の手にかかれば、前髪に編み込みを入れてリボンを結び可愛らしいヘアアレンジの完成です。
ロングヘアの人たちは、普段よりも手の込んだ髪型にしてもらっています。中でも、特に大きく印象を変えていたのがネフィリーでした。
気に入っているからと、彼女はいつでも頭のてっぺんでお団子一つ結びに括っているのですけれど、この日ばかりは友人にされるがままです。緩いウェーブがかかってボリュームもある彼女の長髪は、数人がかりで遊ばれていました。
両耳の上辺りでお団子を二つ作り、その結び目から髪の束をリボンのように垂らした髪型が出来上がって、ネフィリーは気恥ずかしそうにはにかみます。
「花みたいね。ありがとう」
机の上に立てた鏡を見ながら、ピンク色の小ぶりな花が付いているヘアピンでそっと前髪を留めました。
どこを見に行こう、とパンフレットを広げてネフィリーと笑い合いながら、時間を潰します。
「ネフィリーさん。ちょっと頼みが」
ふと呼び声がして廊下の方を見ると、いつの間にか戻ってきたパルティナ先生が顔を出していました。
「大事なことを伝え忘れていたわ。急な話になってしまって悪いのだけど」
「……? はい」
私はネフィリーからパンフレットを預かります。
話し終えて戻ってくるのを待っていると、教室の天井の中央にくっついている透明な半球がぴかぴかと点滅を始めました。
この学校が学校として使われ始めるよりも前の遥か古代からあるという設備の一つで、遠くの音声を伝える魔法がかかっている装置です。この点滅は、その発動の合図でした。
開場の時間です。
馴染みある鐘の音が鳴り、それに合わせて球体からも聞き慣れた女生徒の声が聞こえてきます。エレナの声でした。
「全校生徒の皆さん、ご来場の皆さん! お待たせしました! これより、スズライト魔法学校の学園祭が開催となります! 最後まで楽しんでいってくださいねー!」
明るく高らかな声が、校舎一帯に響き渡ります。
原稿の用意はあるはずですが、素の彼女も少し滲んでいたように聞こえました。私も含めて、声の主を知る友人たちは笑みを洩らします。
「お待たせ。始まっちゃったね」
ネフィリーが先生と別れて戻ってきました。
「先生のお願いって何だったの?」
「閉会式で模擬店とステージの投票結果発表した後、優勝者に花束渡す係をやってほしいって話だったよ」
私がスズライトへやってきたばかりの頃、クラスの皆で一つずつ種を植えたコミナライトの花のことを覚えているでしょうか。ネフィリーが係となって世話を続けていた花です。学園祭の時期に見頃を迎えるあの花は、そのために準備されたものだったのでした。
思わぬ用途に驚くと、ネフィリーも頷きます。
「他にも、後夜祭の飾りにも使ってるみたい。暗い所で光るから、明かりも兼ねて」
「光るの!?」
「知らない? ルミナ、さっきから驚きすぎじゃない?」
「だってそんな花、きっとスズライトにしか咲いてないよ。見たことない!」
「……そうなんだ。私はスズライトを出たことがないから、コミナライトは光るのが普通だと思ってたよ。あ、でも、摘み取っても光が消えないようにする方法があるのは知らなかった。花束を作るのは他のクラスの仕事だったらしいよ。そっちがしたかったな」
花束を渡すだけとはいえ壇上に立つのは緊張する、とネフィリーは困り顔です。しかし、私が代わろうかと聞いてみると、大丈夫だよと首を振りました。
「そういう係って、委員会の人がやるんじゃないんだね」
「……言われてみれば、確かに?」
「私が育てました! みたいな感じ?」
「そ、そうなのかな? ……何、それ?」
私たちは話をしながら、パンフレットだけを持って廊下に向かいます。
「あっ、いた! ネフィリー、ルミナ! 二人も髪型変えてるー!」
扉を出てすぐに、隣の教室からミリーが駆け寄ってきました。
隣のクラスのTシャツは、橙のストライプ柄に背番号が付いたスポーツのユニフォームのようなデザインです。髪はツーサイドアップにしています。私がそれに気付いたのはもう少し後になってからでしたが、青緑の花飾りのヘアピンはネフィリーとペアの物でした。
「どこから行く?」
「ワタシはこのまんま、まずは二人のクラスで遊んでいきたいなっ。いい? 無くなっちゃう前に、いい景品欲しいもんね!」
「おー! お目が高いってやつだぜ、ミリーちゃん! それじゃあお客さん第一号はミリーちゃんで決まりだ!」
教室の入り口の真横で話していたので、当番のクラスメイトが中から顔を出し会話に混ざってきます。ミリーはニッコリと振り返りました。
「お邪魔しまーす♪」
「よっしゃっ、これはネタになるな……!」
「……ま、程々に頑張れ」
彼は見事最初の客引きに成功して、グッと拳を握ります。午後からの店番まで自由時間のキラは適当な応援の言葉を残し、ミリーと入れ違いに教室を出ていきました。