創作小説公開場所:concerto

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[執筆状況](2023年12月)

次回更新*「暇を持て余す妖精たちの」第5話…2024年上旬予定。

110話までの内容で書籍作成予定。編集作業中。(2023年5月~)

84.彼女の隣の陽だまりへ

 廊下には各教室の宣伝ポスターがぺたぺたと貼りつけられていて、その壁際で立ち止まり買い食いをしている生徒の姿が多く見られます。たこ焼きの入った容器を手にしている人もちらほらと目に留まり、自分たちのクラスに行ったのだろうかとエレナは想像しました。

 先程レルズたちが立ち寄ったと思われる唐揚げのお店には、まだ列がありました。その様子にエレナは少しの焦りを感じます。昼食の時間にはまだだいぶ早いのに賑わっている飲食店を見ると、ルベリーのことが気がかりになるのでした。

 終わりがけの時間帯が最も静かで、ルベリーにとって最も安全だろうということはわかっていました。しかし、エレナはその時間ステージの司会進行役を務めるため講堂から離れられません。もちろんクラスメイトのことも頼りにしているけれど、自分自身も傍にいられるときがいいと考えていたのです。

 急く気持ちもありますが、エレナは自分のクラスのたこ焼き屋を見る前に、その隣でゴムボール掬いの催しを開いている私たちの教室も確認していきました。

 生徒の他に小さな子供を連れた客が多く、これまでに見た飲食店と比べると落ち着いているようです。紙で作ったカラフルな花飾りを貼りつけている扉の真下に受付席があり、そこで店番をしている最中の友人に声をかけます。

「お疲れ様、いーちゃん。調子どう?」

「うん、大丈夫。さっきまでミリーちゃんが来ててね、ちょっとトラブル起きかけたけど何とかなったから」

「え。そ、そう? 本当に大丈夫かしら。ミリーがどうかしたの?」

「んー……まあ、原因はお店じゃないし、ミリーちゃんたちの方ももう心配いらないと思うよ。気にしないで~」

 少々気がかりではあったけれど、教室内にミリーの姿はなく何も異常は見られません。笑って言う彼女を信じて、隣の教室へ移動します。廊下で客引きをしていた二名のクラスメイトが、エレナに気付いて手を振りました。

 教室の中の、机を並べた飲食スペースには誰も座っていません。来る途中で見かけたように、出店を見て回りながら他の場所で食べているのでしょう。問題は起きておらず、ホッとして店内へ入りました。

 席と席の間のスペースで輪になって立ち話をしている、四人の人たちがいます。彼らの姿に、エレナは見覚えがありました。

 少し前に受付席で彼女がパンフレットを渡した男の子と両親の三人組です。そして、男の子が見上げる先に立っていたのはルベリーでした。

 ルベリーは橙のクラスTシャツの上からエプロンを付けて、頭に三角巾も巻いています。普段は下ろしている長い黒髪をすっきりと一つに結い上げ、調理をする準備のできている格好です。微笑んで、三人と和やかに話していました。

「もしかして、ルベリーのご家族?」

「エレナさん」

「えっ、あっ、受付の」

 弾んだ足取りで近付きながら声をかけると、彼らもエレナの顔を覚えていたようです。振り向いた男の子は少し驚いた顔をし、すぐにきりっと頬を引き締めました。両親は安堵した表情を浮かべます。

「弟さんかしら?」

「ライールです。えっと、あ、姉がお世話になっています!」

「まあ、可愛い!」

 エレナはライールと同じ視線の高さまで身を屈め、その琥珀色の瞳を覗き込んでにこりと笑いました。

「さっきは気が付かなかったけど、目の色がそっくりなのね。わたしは一人っ子だから、こういうのって羨ましい。綺麗な目ね」

「……あ、ありがとう、ございます」

「………」

 クラス内の女生徒たちもライールの周囲に集まってきて、口々に歓声を上げます。気恥ずかしそうにほんのりと頬を赤らめて戸惑う弟に、ルベリーは黙って柔らかい眼差しを向けました。

 

 三人が学園祭を訪れたのは、もちろんルベリーに会うことや行事を楽しむことが目的ではあるけれど、単にそれだけではありません。

 エレナがその心をほぐすまで、ルベリーは他人の心の声が聞こえるようになったことを誰にも相談していませんでした。つまり、先日の出来事を経て担任のギアー先生が連絡をするまで、家族もルベリーの現状を何も知らなかったのです。

 学園祭が始まる前に一度だけ、ルベリーは寮から実家へ帰り家族に話をしていました。そうするべきだとギアー先生にも促されたからです。ルベリーの家は、学校からさほど遠くない距離にありました。

 幸いにも三人が彼女を拒絶することはなく、これまで通りに接しようとしてくれました。しかし、一度説明を受けただけでルベリーの「体質」の変化を受け止めきれたわけではありません。

 優しく労わろうとする笑顔の裏にある確かな困惑は伝わってしまい、皮肉にも、それを聞いた彼女の様子こそが三人を信じさせる決定打となりました。

 彼らの大きな目的の一つが、その謝罪でした。

「この前はごめんね。でも、母さんたちはまたルベリーを傷つけてしまうかもしれないけど、家族として理解しなきゃいけない。ううん、わかりたいって思ってる。だから今度からは、何かあったら遠慮しないで母さんたちを頼ってほしいの。一緒に悩ませてちょうだい」

「姉さんが姉さんなのは変わらないじゃない。僕たちは気にしないからね」

「……うん、わかってるよ」

 そのような会話を終えた辺りで、エレナは到着したのでした。

 事前に手紙で学園祭に来ると知らされていたけれど、わざわざ謝られるとは思っていなかったとルベリーは言います。家での出来事には、ルベリー以上に三人の方が強く後悔し胸を痛めていました。

 家族間のわだかまりはすっかり解消され――いいえ、元よりそのようなものはなかったのでしょう。そこにあったのは、温かい家庭の姿に他なりませんでした。

 彼らのもう一つの懸念は学校でのルベリーの友人関係でしたが、こちらもすぐに払拭されます。教室内の級友たちの姿に加え、受付で出会ったエレナがクラスメイトだと名乗ったことが、両親を安心させました。

 二人はしばらく子供たちの談笑を見守っていましたが、その合間で母親がルベリーに向かって姿勢を正します。

 彼女の口が開かれる前にその心を察し、ルベリーの眉はぴくりと上がりました。

「当番はいつまで?」

「……え。……時間は、まだ三十分くらいある……けど……」

「じゃあ、その頃にまた来るわね」

 ルベリーは返事をせず、唇を閉じて目を伏せます。

「一階の角に人通りの少ない通路があったから。クラスの手伝いが終わったら、その辺りで休んでいましょう」

「………」

 エレナは二人の横顔を交互に見ます。母親は優しく語りかけますが、ルベリーは目を合わせずに俯いたままでした。

「ルベリーに似た”病状”の事例を探して、調べたのよ。あまり多くは見つからなかったけど、人混みは避けるべきとどの本でも言っていたわ。人の多いところは苦しいのよね?」

「あのね、ちょっと前に隣の教室で凄い人だかりができてたんだ。外もいっぱい人来てたよ。行くのは危ないよ」

 ライールも母親に続きました。父親は言葉を発しませんがその表情は雄弁で、眉を八の字にして眉間に皺が寄っています。

 彼らが皆ルベリーの身を案じてそう言っていることはエレナにも伝わってきました。けれど、ずっと暗い顔をしているルベリーのことも見過ごすことはできませんでした。

 一歩前に踏み出し、明るく切り出します。

「うふふ。今なら、わたしにもルベリーの心が読めるかもしれないわ」

 ルベリーは顔を上げて、エレナに弱々しい目を向けました。エレナは微笑みかけながら頷きます。

 ルベリーの瞳に陽の光が差して、淡い煌めきが浮かびました。

 その煌めきを包むように目をギュッと閉じて、拳を握ります。

 ゆっくり瞼を上げて三人の視線を受け止めると、ルベリーはぽつぽつと思いを綴り始めました。

「……心配してくれてありがとう。でも、私……病気じゃ、ないよ」

 母親が少し目を見張り、動揺が表れます。

「私は平気……朝の開会式も大丈夫だった……から、少し、見て回りたい……」

「わたしも付いていきます! 心配しないでください!」

 ルベリーと隣り合わせに並んだエレナの朗らかな声色に、彼らは押されている様子でした。静まる空気に怖気づくことなく、エレナは堂々と声を張ります。

「ちょうど、一人で寂しいって思ってたところだったのよ。ルベリーがいればトラブルに早く気付けて、見回りも捗るわね! それから、みんなの楽しそうな気持ちもいっぱいわたしに聞かせてほしいわ! これってルベリーだからできることよ!」

 それが建前上の理由であることは、ルベリーには伝わっていました。ただルベリーを思いやっている一心なのだということがわかっていました。

 時にはお節介にも感じるくらいだけれど、エレナはいつでも友人を大事に思っているのです。それは私もよく知っていることなので、ルベリーの気持ちがわかります。

 変わらず不安と迷いを抱いている三人に向かって、エレナは更に付け足しました。

「そうね、ライール君も一緒に来ない?」

「ぼ、僕も?」

「本当に大丈夫だって、見ててくれるかしら? 一緒にいれば安心でしょう? 何だったら、お母様もお父様も大歓迎ですよ!」

 ライールは困り顔で背後の両親を見上げます。両親は、切実に訴えるルベリーと真っ直ぐなエレナの気持ちを推し量るように二人のことを見つめていました。

「お、お願い」

 ルベリーは胸元に両手を押し当てます。

「私は学園祭を回りたい。……エレナと、行きたいよ」

 

 ――この喋り方も、呼び方も……これから頑張って直していくから。

 ――人に言われたから……そう思われてるからじゃなくて。……私が、変わりたくて。

 

 そのとき、エレナの胸中にも確かな光が宿りました。

 本当の意味で友達になれたような気がしました。

 父親が、ポンとおもむろに両手をライールの肩に置きます。

 驚いて目を丸くするライールに対し、両親はすっかり柔らかな顔つきになっていました。

「付いていかせてもらいなさい。母さんたちはいいわ」

「え、でも……」

 数分前のような安堵した表情を浮かべ、かぶりを振ります。ライールだけが眉を下げて尚も心配そうです。

 これまでずっと一言も喋らずに黙っていた父親が、一度しっかりエレナと目を合わせて、頭を下げ、初めて口を開きます。

「……これからも、娘をよろしくお願いします」

 静かで落ち着いた穏やかな声は、ルベリーの雰囲気に少し似ていました。

「はい! 任せてください!」

 エレナは満面の笑みで答えます。

 そのまま、流れるようにバッと振り向いて。

「良かったわね!」

 差し出されたエレナの手のひらに誘われるまま、ルベリーは握っていた手をほどいてパチンと手を合わせました。

 

 パンフレットの校内地図を広げながら、廊下に出ていくエレナたち。左右を見て、エレナは僅かにでも人通りの少ない右手の方を指し示しました。ルベリーとライールはその後に続いていきます。ルベリーは、髪は結んだままでエプロンを外していました。

「あ、あの……ええと……エ、エレナ」

「ふふふっ」

「……!」

 後ろからおずおずと名前を口にするルベリーに、振り返ったエレナは思わず笑みを零します。頬を紅潮させて恥じらう、少しだけムキになったような顔を見るのも初めてでした。

「ごめんなさい、わたしも少し気恥ずかしいのよ。何かしら?」

 ルベリーは一呼吸置いて気持ちを落ち着かせてから、彼女に問いかけます。

「……見回りって、委員会以外の生徒とは駄目……ってルール……」

「そうね、原則禁止だわ。だからライール君にも来てもらったの。ちゃーんと、外部のお客様を案内してるように見えるはずよ?」

「………」

「え、え?」

 唐突に自分の名前を出されて、ライールは困惑しています。エレナは申し訳なさそうな微笑みを浮かべました。

「わたしの都合でいきなり付き合わせちゃってごめんなさいね、ライール君。本当に案内するから、許してくれる? 気になるところはあるかしら? ちょっとくらいならわたしが買ってあげるわよ」

「い、いえっ、大丈夫です」

 遠慮するライールの横で、一緒になってルベリーもそっくりな表情をしています。エレナはまた少し羨ましさを感じました。

 人とすれ違ったり傍を通ったりする度にライールは顔をこわばらせて、何度もちらちらとルベリーの顔色を確認しています。

「本当に大丈夫なの、姉さん。無理は駄目だからね?」

「……大丈夫。きっと。前の夏祭りのときと、今は違う……」

 ルベリーは弟を安心させるような優しい声色で、そっと囁きました。

 心から祭りを楽しめていない様子のライールを見かね、エレナはその手を引いて別の模擬店の中へと足を踏み入れていきます。彼はここでも女生徒に人気で、数名に囲み込まれました。

 二人でその輪を外から見守っているとき、ルベリーがぽつんと呟きます。

「午後、講堂に行くとき……私も一緒に、行く」

 一瞬ハッとした表情を見せて、エレナは首を横に振りました。

「気付いてるのよね。わたしたちの計画に」

 ルベリーは黙ってこくりと頷きます。正面を向いたまま会話を続ける二人は神妙な顔です。

「ルベリーにだけは、サプライズもできないわね。けど、今日までずっと秘密にしててくれてありがと」

「……うまくいく……かな」

「やってみせるわ。わたしは心配してない。あとはミリー次第よ」

「………」

 横目で伺うと、エレナの引き結んだ唇と毅然とした口調には彼女への信頼が表れています。

 女子生徒たちからライールが解放されると、パっと元の笑顔に戻って次の教室に歩いていきました。